26 時は静かに流れる
――その夜。
ラニャが退室し、一人になった私はいつものようにベッドの下に忍ばせておいた手紙を取り出し、封を開いた。
―ミルロア様
本日は公爵家のお茶会に参加ありがとうございました。ミルロア様がお茶会に参加して下さったことで我が家の汚名をそそぐことができましたわ。
お礼と言っては何ですが、私からの助言を。
ペリト・ポールクには気を付けなさい。彼は王家の忠実な犬よ。私から言えるのはそれだけ。
では、悲しきケラディナス様。
ごきげんよう
テア・エンストレーム―
小さく折りたたまれた手紙にはそう書かれていた。
きっと以前ならペリト様のことを疑いもしなかったけれど、今は「やっぱり」という思い。
私の周りは敵だらけね。
私は笑いたくなった。
国ぐるみで私を監視しているのかもしれない。
私はそこでふと気づいた。
ならあの図書室に挟まる紙は一体誰からかしら。
味方ではないにしても知っている情報を私に教えようとしてくれている。私と接点のある人だと思うんだけど、クラスメイト以外知っている人はペリト様とテア様しかいない。
もしかしてクラスメイト?
何度考えても分からないので考えを放棄する。
なるようにしかならない……もの。
こうして私は差し障りなく過ごしていく。
図書室で挟まれた手紙を読み、少しずつだけど、儀式についても情報を得ていく。
どうやら式典は貴族の前で行われるけれど、儀式自体は教会の関係者と王族のみが立ち会うだけらしい。そして聖女ケラディナスが命を落とすと、翌年までにクレマチスの紋を持つ女の子が生まれる。
ということは、私が死ななければ次の聖女が生まれないということのようね。
もし、仮に私が儀式から逃げきれたとして、国が気づくまで最長で一年という猶予がある。
それはとても長いように感じるけれど、短そう。
私は時間の許す限り、本を読み、知識を得る。なるべく目立つ行動は避け、人前ではまたボーっと過ごすようにしている。
最近はラニャも元の私に戻ったと思っているようで目を離す機会も多くなってきている。もちろん薬を飲まされることもない。
そんな中、ペリト様との月一度の婚約者と会う日が訪れた。
今日もペリト様は笑顔で男爵家のサロンへとやってきた。
「ミルロア、久しぶり。元気にしていたかい?」
「はい、ペリト様」
「そういえば、テア嬢のお茶会に呼ばれたと聞いたんだが、何もされなかったかい?」
「テア様はとても優しかったです。周りの方々も私に気を使っていただいて、とても楽しく過ごすことができました」
私がそう言うと、真意を探るかのように彼はジッと私の瞳を覗いている。
私はいつものように遠くを見つめた後、ペリト様を見てにこりと微笑んだ。
「そう。それはよかった」
彼は疑うことを止めて、また笑顔に戻り、話を続ける。
「ミルロア、来年の結婚式は王宮の教会を借りようと思っているんだ」
「ペリト様と結婚式。……嬉しいです」
「そう思ってくれていて嬉しいよ」
彼は笑顔でそう答える。彼は私のことなど欠片も思っていないのね……。
悲しいかな。
今なら分かる。
彼のその優しい笑顔は作り物なんだって。
私は精一杯の笑顔を返した。
「ミルロア、私はそろそろ時間だ。まだ領地の仕事が落ち着かなくてね。また今度時間が出来たら会いにくるよ」
「わかりました。ペリト様、忙しい中、ありがとうございました。私のためにお仕事の時間を割くことはいけません。私のことはいいのでどうぞお仕事を優先させてください」
「ミルロア、ありがとう」
彼はそう言って立ち上がり、早々にサロンを出ていく。
「ではまた会いに来るよ」
「……はい」
玄関まで出て彼を見送った後、私は自室に戻り、ラニャに気づかれないようにそっとため息を吐いた。
……はあ。
洗脳が解けるような感じね。あれほどペリト様が好きだったのに。
今はもう彼の貼り付けられた笑顔に心躍ることもない。胡散臭いともさえ思ってしまうわ。
いつか、彼に私のことを聞くことがあるかしら。
いえ、きっとこれから先もそれを聞くことはないわね。
テア様の手紙を全て信じるわけではないけれど、やはり彼は優しい嘘を吐いている。
今までのことを考えると、どうしても気持ちが前を向かせてくれない。
なんだか疲れちゃった。
もう、何も考えたくないな。
たまには勉強せず、寝てしまおう。
後ろ向きになりたくなる日を叱咤し、日々を過ごしていく。儀式まで残すことあとひと月となったこの日も。
いつもと変わらない朝。
いつもと同じ教室。
何も変わらない日々、そう思っていたんだけれど、たまたまそれが起こった。
この日は廊下側の扉と窓が開かれていて風の通りが良かった。
心地よい風が髪を掠めていく。
ふと顔を上げた時、私の前に先生から渡された課題の紙がひらりと飛んできた。何の気なく、紙を掴み、誰の紙かを確認するように文字を見た。
……この字は。
「ミルロア嬢、すまない」
そう言って私の席まで来たのはクロード様だった。
「クロード様だったのですね。どうぞ」
私は課題の書かれた紙をクロード様に手渡すと、彼はふっと微笑んで紙を受け取った。
本当にたまたまだった。
私の心は少し救われた気がした。
彼は私に教えようとしてくれていた。その気持ちが嬉しい。この人は味方ではなくても敵ではないということが知れたから。
ぎゅっと力の入っていた心が少し緩む。
でも、気を付けないと。
彼はただ教えてくれているだけ。気持ちが彼に向こうとしている。
もし、個人的なことを聞いたら答えてくれるのかしら?
でもそれは聞いてはいけない気もする。でも、もう私には時間が残されていない。ダメ元で聞いてみてもいいかもしれない。
私はそのままノートに思うまま書き始めた。
彼がどこまで答えてくれるかは分からないけれど、書くだけ書いた。
私は覚悟を持って動きはじめないとないといけない。
誰も居なくなる夜に一人ペーパーナイフで腕や指をそっと傷つけ、ピルグリム・フラスコにぽたりと血を垂らしていく。
多くればすぐに血は溜まるけれど、傷口がばれればラニャのことだ。
また薬で眠らせ、ピルグリム・フラスコを取り上げられてしまう可能性だってある。
大丈夫。
きっと大丈夫。
私はそう自分に言い聞かせながら準備をする。




