23 希望
「いらっしゃいませ」
店に入るとすぐに、店員の声が聞こえてきた。店内には何人かのお客さんがいて品物を眺めている。
私もそれに倣うように店内に置かれている舶来品を手に取ってみた。
店内には様々な品物が所狭しと置かれており、見ているだけで楽しい気分になってくる。
私が手に取ったのは薄べったい陶器の瓶だ。『ピルグリム・フラスコ』と書かれているが、これは何に使うのだろう?
手のひらほどの大きさで薄さは一センチあるかどうか。私が不思議そうに見ていると、横からラニャが声を掛けてきた。
「お嬢様、これはピルグリム・フラスコという品物ですね。他国の巡礼者がお守り代わりに聖水や香油を入れて首に下げて使う物です」
「ラニャは物知りなのね」
「そんなことはありませんよ。ですが、このピルグリム・フラスコは特注品のようですね。普通はもっと小さくて硬い陶器なのです」
私が手に取ったこのピルグリム・フラスコは白地に青い染料で細やかな絵が描かれていてとても美しい。
「……ラニャ。これ、欲しいわ」
私は一目ぼれをしたかのようにピルグリム・フラスコをぎゅっと胸に抱いた。
ラニャはそれを見て珍しく微笑んでいる。
ああ、もしかしてこれは宗教的な意味合いが強い物だからラニャは笑顔になっているのね。
……ということは、ラニャは教会の関係者なのかしら。
「お嬢様、他の物はどうですか?」
「そうですね」
私はラニャにピルグリム・フラスコを渡して他の品物も見ていく。
絨毯や香油や香木、貴族たちが使っているという装飾品など多種多様な品物があって見るのに飽きない。
香油や香木は匂いを確かめてみる。
!!
この香り。
お寺の線香の香りだ。
香りに記憶が紐づけされているのか、前世の記憶が鮮やかに浮かび上がった。
こっちは、嗅いだことのないスパイシーな香り。
様々な香りに驚きつつ、香油を選び、文房具が置かれている場所で金属ペンを購入することにした。この世界にはまだ万年筆という物がないのかもしれない。
「とても刺激的なお店でした」
「ミラージュお嬢様が喜んでいただけて何よりです。では、邸に戻りましょう」
「はい」
こうして私は短い時間だったけれど、街へ出ることができた。舶来品の店は珍しい品物ばかりだったように思える。
値段もかなり高額で平民には手が届かないのではないかと思った。物価はまだよくわからないけれど、前回ペリト様と一緒に行った食堂とは桁が違ったもの。
邸に戻り、ラニャは香油をピルグリム・フラスコに注いで机の上に置いた。
「お嬢様、何かあった時ように首から下げておきますか?」
「そうですね」
ラニャの言葉になるほど、と思った。確かこれは聖水や香油を入れて旅をしたってことは身を守る役割もあるのね。
ナイフで胸を刺されそうになった時、確かにピルグリム・フラスコに刺されば即死は免れそう。
でも、この瓶は特注と言われているだけあってとても薄い。力いっぱい刺したらすぐに割れてしまいそうよね。
ラニャの勧めもあり、私は香油の入ったピルグリム・フラスコを常に首にかけることにした。
そうして夜になると、いつものように今日の反省会を一人で行う。
首に掛けたピルグリム・フラスコをそっと開けて中身を嗅いでみると、やはり忘れている記憶がふわりと浮かんでくる。
あの時、亡くなったのはひいおばあちゃん。お寺の匂い。小さなころはよくひいおばあちゃんの家に遊びに行っていたっけ。
昔を懐かしむようにピルグリム・フラスコを眺めていると――。
稲妻が走ったような感覚が私の身体に巡った。
そうだ。これ、使えるんじゃない?
小刀で胸を刺して死ぬのなら、この香油に私の血を入れておけばいいんじゃないだろうか。でも、水に血が触れると草が生える。
香油は大丈夫なの?
私は早速試すことにした。
手を少し傷つけ、血が滲んだところに香油を垂らしてみる。月の明かりだけでは見えづらいが、目を凝らし、様子を窺う。
香油に血が混じり、香油は赤く色づいているが、草は生えてこない。
血の混じった香油に水を垂らすと、シュルシュルと草が生え始めた。
……凄い。
私は驚きと興奮、嬉しさのあまり、叫びそうになった。
このピルグリム・フラスコに一縷の望みを掛けられるのかもしれない。
涙が溢れてくる。
死ぬ定めから逃げられる。
ほんの小さな希望。
上手くいかないかもしれない。
だけど、それでも、その希望に縋りたい。
あとは……。
私は新たな決意をし、ピルグリム・フラスコをぎゅっと握った。
そして翌日からも普段通りのぼんやり令嬢で過ごし始めた。
不安で押し物されそうになっていたのに首にかけたお守りが私の気持ちを前向きにさせてくれる。
大丈夫。
私はまだ生きられると。




