【歴史】兵役と予備役【昭和】
【問い】 昭和初期の兵役と予備役の状況
以下、ある履歴表を書き起こしてみた
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昭和4/12/1 現役編入
昭和7/12/1 服役延期
昭和8/5/31 服役延期解止(終了の意)
昭和8/5/31 退団
昭和8/6/1 予備役編入
昭和11/11/30 予備役満期
昭和11/12/1 後予備役編入
昭和16/11/30 後予備役満期
昭和18/12/1 第一国民兵役編入
昭和24/1/1 第一国民兵役満期
昭和9年 簡閲点呼執行済
昭和10年 簡閲点呼執行済
昭和12年 簡閲点呼執行済
昭和13年 簡閲点呼執行済
昭和14年 簡閲点呼執行済
昭和16年 簡閲点呼執行済
昭和17年 簡閲点呼執行済
昭和18年 簡閲点呼執行済
昭和14年3/31 兵役法改正に依り後備兵役7年と為ん
昭和16年4/1 兵役法改正に依り後備兵役を廃し○兵役11年となる
昭和16/10/25充員招集を令せられ應召
昭和16/10/25疾病により召集解除即日帰郷せしむ
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つまり
徴兵 3年半
予備役 3年半
後予備役 5年
第一国民兵役 5年1ヶ月
簡閲点呼 退役後ほぼ1年おき
ということでいいのでしょうか。
【回答】 Geminiさん
提示していただいた履歴表は、当時の兵役制度(兵役法)の流れを非常に正確に記録した貴重な史料です。
結論から申し上げますと、大枠の捉え方は合っていますが、当時の法律(昭和2年制定の兵役法)に照らし合わせると、より正確な期間や理由が見えてきます。
少し細かい部分を含めて、各期間の意味を整理しました。
1. 「徴兵(現役)」の期間について
お書きの通り、足算すると「3年半」になります。
当時の歩兵の現役期間は原則「2年」でした。
しかし、この方の場合は途中で「服役延期」が入っています。
昭和7年12月から半年間、何らかの理由(病気療養、あるいは家庭の事情など)で現役の義務がストップしていたため、その遅れを取り戻すために昭和8年5月まで在籍が伸びました。
実質的に軍隊にいた期間は、延期期間を除くと「約3年」となります。
2. 「予備役」の期間について
昭和8年6月1日 〜 昭和11年11月30日
こちらは計算通り「3年半」です。
当時の法律で「現役+予備役=合計5年6ヶ月」と決まっていたため、現役が延びた分、予備役の期間が調整されています。
3. 「後備兵役(後予備)」の期間について
昭和11年12月1日 〜 昭和16年11月30日
こちらも計算通り「5年」です。
途中のメモにある「兵役法改正」の影響を強く受けている時期です。
本来は5年で終わるはずでしたが、戦争の長期化に伴う法改正により、期間が延長されました。
そのため、次の区分への移行時期が後ろにズレ込んでいます。
ちなみに、16年4月のメモにある「○兵役」の伏字は、おそらく「予備兵役(または後備兵役の改称)」を指しています。
4. 「第一国民兵役」の期間について
昭和18年12月1日 〜 昭和24年1月1日
お書きの通り「5年1ヶ月」の計算になります。
国民兵役は「40歳に達する年の12月まで」義務があると定められていました。
昭和24年1月1日に満期となっているのは、日本の敗戦(昭和20年)によって日本軍そのものが解体された後も、戸籍や書類上の手続きとして、本来の年齢上限に達した時点で正式に「満期(兵役義務終了)」の処理がなされたためです。
5. 簡閲点呼(かんえつてんこ)について
お書きの通り、退役(現役を離れた)後、ほぼ毎年1回おきに実施されています。
これは予備役や後備役、国民兵役にある人が、普段の生活を送りながらも「いつでも動員に応じられる状態か」「住所や健康状態に変わりはないか」を軍が確認するための、いわば定期健康診断と点呼を兼ねた集まりでした。
戦争が激しくなる昭和10年代後半には、ほぼ毎年のように義務づけられていたことが記録から分かります。
6. 昭和16年10月の召集について
太平洋戦争が勃発する直前の緊迫した時期に、一度「充員召集(部隊を戦時編成にするための召集)」がかかっています。
しかし、即日「疾病(病気など)」を理由に解除されて帰郷となっています。
体が軍務に耐えられないと判断されたため、実際の戦地への派遣は免れたという事実を示しています。
AI指摘の通り、病気療養期間がありました。




