【歴史 生活】捕鯨【アメリカ】
【問い】 米国の捕鯨の歴史をまとめて。
基地、エリア、捕獲量の推移など。
【回答】 Geminiさん
米国の捕鯨の歴史について、ご指定の「基地」「エリア」「捕獲量の推移」を軸にまとめました。
19世紀の米国は世界最大の捕鯨国であり、その活動は世界の海を網羅していました。
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捕鯨基地(主要な港)の変遷
初期の基地:マサチューセッツ州ナンタケット島
18世紀から19世紀初頭の主役です。港が浅く大型船の出入港が難しくなったため、次第に衰退しました。
全盛期の基地:マサチューセッツ州ニューベッドフォード
ナンタケットに代わり、世界最大の捕鯨基地となりました。1840年代には米国捕鯨船の3分の1以上がこの港に籍を置いていました。
その他の東海岸の基地:ロードアイランド州ニューポート、コネチカット州ニューロンドン、ニューヨーク州ロングアイランドなど。
末期の基地:カリフォルニア州サンフランシスコ
19世紀後半、漁場が北太平洋や北極海へシフトするにつれ、東海岸から激戦地に近い西海岸へと拠点が移りました。
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漁場(エリア)の拡大プロセス
1700年代前半:北大西洋
アメリカ東海岸沿岸から始まり、徐々に大西洋中部、南大西洋へと南下しました。
1790年代以降:太平洋への進出
ホーン岬を回って太平洋へ進出しました。ガラパゴス諸島周辺やチリ沖が好漁場となります。
1820年代以降:日本近海(ジャパン・グラウンド)
マッコウクジラを求めて日本近海(三陸沖や小笠原諸島周辺)へ大挙して押し寄せました。捕鯨船の補給港を確保することが、後のペリー来航(開国要求)の大きな動機となります。
1840年代以降:北太平洋・オホーツク海・ベーリング海
セミクジラやホッキョククジラを狙い、寒冷海域へと北上しました。
1848年以降:北極海
ベーリング海峡を越えて北極海へ進入。これが米国帆船捕鯨における「最後の漁場」となりました。
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捕獲量・規模の推移
1770年代(独立戦争前)
船数:約300〜360隻
年間捕獲量:マッコウクジラ約1,800頭、セミクジラ約140頭(油の生産量からの逆算)
独立戦争によって一時壊滅的な打撃を受けました。
1840年代(絶頂期)
船数:1846年にピークを迎え、735隻に達しました(世界中の捕鯨船の約8割が米国船)。
年間捕獲量:1844年〜1848年の5年間で、マッコウクジラ計24,860頭(年平均 約4,970頭)、セミクジラ計22,270頭(年平均 約4,450頭)に達し、合計で年間約9,400頭以上を捕獲していました。
1860年代以降(衰退期)
1859年にペンシルベニア州で石油が発見され、灯油としての鯨油の需要が激減しました。
南北戦争(1861〜1865年)により、多くの捕鯨船が沈没または徴用されました。
船数は1870年代には200隻台、1890年代には数十隻へと急減しました。
1900年代以降(終焉)
1920年代にアメリカの商業帆船捕鯨は完全に姿を消しました。
米国捕鯨は、資源の枯渇(捕りすぎによる激減)と、石油という代替エネルギーの登場によって急速に幕を閉じました。
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【問い】 米国での鯨の利用用途は油だけだったのでしょうか
【回答】 Geminiさん
アメリカでのクジラの利用用途は、油(鯨油)が圧倒的な主役でしたが、実は油だけではありませんでした。
もう一つの重要な素材として「鯨ひげ」があり、時代が下ると「工業用の潤滑油」や「肥料」などにも形を変えていきました。
一方で、日本とは決定的に異なる特徴として「肉はほとんど食べなかった」という点があります。
具体的な用途の全体像は以下の通りです。
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1. 鯨油(げいゆ)の用途
マッコウクジラから採れる「マッコウ鯨油」と、セミクジラなどから採れる「一般鯨油」で使い道が分かれていました。
灯火用の燃料
石油が登場する前、クジラの油は街灯や室内のランプの燃料として最高級品でした。特にマッコウ鯨油は、煙や臭いが少なく、非常に明るい光を放ったため重宝されました。
高級ローソク
マッコウクジラの頭部から採れる凝固性の高い油(脳油)は、最高品質のローソクの原料になりました。このローソクの明るさが、現在の明るさの単位である「カンデラ(光度)」の基準(国際ろうそく)の元になったほどです。
機械の潤滑油
産業革命期、精密機械や紡績機、鉄道などの動きをスムーズにするための高性能な潤滑油として不可欠でした。
石鹸や革製品のなめし剤
一般鯨油は、安価な石鹸の原料や、革を柔らかくするための加工に大量に使われました。
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2. 鯨ひげ(バリーン)の用途
セミクジラやホッキョククジラなどの口にある「鯨ひげ」は、現代の「プラスチック」や「バネ」のような役割を果たしていました。軽くて柔軟性があり、熱を加えると形を自由に変えられる特性があったためです。
ファッション(コルセットやスカートの骨組み)
19世紀の女性ファッションに欠かせなかった、ウエストを締め付けるコルセットや、スカートを大きく膨らませる「クリノリン」の骨組みとして大量に消費されました。米国の捕鯨末期には、油よりもこの鯨ひげのほうが、高値で取引されるほどでした。
日用品のパーツ
傘の骨、鞭(むち)、帽子のつば、お世辞にも折れないバネ、高級なブラシの毛など、弾力性が必要なあらゆる道具に使われました。
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3. その他の部位の用途
竜涎香(りゅうぜんこう)
マッコウクジラの腸内で作られる結石です。非常に希少で、高級香水の香りを長持ちさせる保留剤として、金と同等以上の高値で取引されました。
骨や歯
船乗りたちが退屈な航海中に、クジラの歯や骨に彫刻を施す「スクリムショウ」と呼ばれる彫刻工芸品が生まれ、お土産や装飾品として流通しました。
また、工場で砕かれた骨は、農業用の「リン酸肥料」としても利用されました。
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なぜ肉は食べなかったのか
当時のアメリカでは、牛や豚、羊などの畜産業が盛んで、安価で美味しい肉が大量に手に入ったため、あえてクジラの肉を食べる文化が育ちませんでした。
また、数ヶ月から数年に及ぶ航海の中で、冷蔵技術のない時代だったため、巨大なクジラの肉を新鮮なまま本国へ持ち帰る方法がなかったという物理的な理由もあります。
そのため、海上で油と鯨ひげだけを剥ぎ取った後の肉(残骸)は、そのまま海へ捨てられていました。
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【問い】 1700~1900年代の各国の水揚げ量一覧を作って下さい
【回答】 Geminiさん
1700年代から1900年代にかけての、主要な捕鯨国における水揚げ量(捕獲頭数・産油量)の推移を一覧にまとめました。
当時は現代のような国際機関による正確な頭数記録がなく、主に「船数」や「鯨油の生産量(バレルまたはトン)」から逆算・推計した歴史データに基づいています。
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各国の捕鯨規模・水揚げ量の歴史的推移
1700年代(18世紀)
この時代はオランダとイギリスが北極海で主導権を握り、後半からアメリカが猛追を始めました。
国名 主な漁場 推定の年間水揚げ規模(盛期) 備考
オランダ 北極海・グリ 年間約1,000頭〜2,000頭 18世紀前半の絶対的王
ーンランド (世紀前半) 者。後半に衰退。
イギリス 北極海・ 鯨油:年間数千トン 政府の補助金により
南大西洋 1750年以降に急成長。
アメリカ 大西洋 クジラ:約2,000頭 1770年代初頭の規模。独
(マッコウ・セミ合計) 立戦争で一時ストップ。
日本 沿岸(突組・ 年間約150頭 紀州や長州、土佐などの
網取り式) (西海捕鯨など) 古式捕鯨の全盛期。
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1800年代(19世紀)
アメリカが世界の捕鯨船の約8割を占める「独占状態」となった時代です。
国名 主な漁場 推定の年間水揚げ規模(盛期) 備考
アメリカ 全世界(太 クジラ:年間約9,000〜10,000 1846年に735隻とピー
平洋・日本 頭(1840年代) ク。世界の海を席巻。
近海・北極海)
イギリス 南半球・北極海 鯨油:盛期で年間数千トン 1820年代以降、アメリ
カに押されて徐々に縮小。
フランス 太平洋・大西洋 クジラ:年間数百頭規模 アメリカに次ぐ規模を誇る
も、シェアは数%程度。
日本 沿岸 年間数十頭〜100頭前後 アメリカ船の乱獲により、
沿岸の資源が激減し衰退。
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1900年代(20世紀)
ノルウェーが開発した「モダン捕鯨(動力船と捕鯨砲)」と、洋上で巨大なクジラを即座に処理できる「母船式捕鯨」の登場により、捕獲数が桁違いに跳ね上がった時代です。
国名 主な漁場 推定の水揚げ規模(累計・盛期) 備考
ノルウェー 南極海・北大 20世紀累計:約数十万頭 近代捕鯨の技術を生み
西洋 出し、前半の主役に。
イギリス 南極海 20世紀前半に大領土(サウスジョ 後半に撤退。
ージア島など)を拠点に大量捕獲。
日本 南極海・北太 年間最大数万頭(1960年代の全 ノルウェーから技
平洋 盛期) 術を導入し、世界有
数の捕鯨国へ。
ソ連 南極海・北太 年間数万頭(1960年代) 1960年代に巨大な
平洋 母船団を編成し、猛
烈に捕獲。
アメリカ (ほぼ不参加) 商業捕鯨は1920年代までに事実 20世紀の大量捕獲
上消滅。 期には加わっていま
せん。
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19世紀と20世紀の「水揚げ」の決定的な違い
1800年代(アメリカ中心)の帆船捕鯨は、手漕ぎボートから手投げの銛(もり)で戦うスタイルだったため、スピードの遅いマッコウクジラやセミクジラしか捕れませんでした。
1900年代(ノルウェー・日本・ソ連など)になると、蒸気船と大砲により、泳ぎの速い巨大なシロナガスクジラやナガスクジラがターゲットになり、1960年代のピーク時には世界で年間8万頭以上が捕獲される事態となりました。




