男爵令嬢マリアのうむぼれ
「おぉ、マリアや! その後の首尾はどうなのだ?」
でっぷりと太った父イシュハルトが、太りすぎてだらしなくなった身体を揺らしながら、帰ってきた私を出迎える。
「うふふ、もちろん順調よ!」
私は、そんな父を心のどこかでは軽蔑しながら、計画が順調に進んでいることを伝える。
「さすがは我が娘! 遊びとはいえ、マーティン公爵家の息子を取り逃したと聞いた時は悔しくてたまらんかったが、ロバーツ公爵家もお前が嫁ぐ家格としては充分だ! マリア、ナラノ=ベネットはどんな様子なのだ?」
「え、ナラノ? あぁ、あんなのは、もう舞台から退場したわよ! 私とフランツ先生がいい感じだ、って勘違いして、身を引いてくれたのよ! ばっか、よねぇ! ……フランツ先生は、どこからどう見ても、ナラノが好きなのに。フランツ先生は、いっつも、ムカつくくらいナラノにだけは態度が違うのにね」
「ふぉっふぉっふぉっ! そうかそうか。でかしたぞ、マリア! 邪魔なベネット公爵家の小娘が身をひいたのか! ならば、あとはロバーツ公爵家の倅とお前が婚約して、くっつくだけだな!」
父イシュハルトは相変わらず、気持ちの悪い笑い方をしている。だが、父はマリアの1番の理解者でもあり、共犯者でもある。
「えぇ、そうね! 早くフランツ先生と結婚して夫婦になりたいわ!」
(アロイスさんとはダメだったけど、絶対にフランツ先生と結婚してやるんだから! やっと邪魔なナラノがいなくなったのだから、これで私とフランツ先生を邪魔する存在はいないはずだわ!)
もうすぐ見た目も家柄も良いフランツ先生と結婚できると思って、私は思わず笑みが溢れた。
「おー、そうかそうか! なに、安心するがいい。ロバーツ公爵家の倅は、私の言いなりの人形も同然だ! あのことで脅せば、マリアとの結婚は断らんだろうからな! ふぉっふぉっふぉっ!」
(ふふふ、そうね。……あのことを使って脅せば、フランツ先生は私を好きでなくとも、言いなりになってくれるでしょうね)
「えぇ、そうね!」
マリアは、父イシュハルトとともにこの先のことを考えて、黒い笑みを浮かべた。
自分たちの行動が、リバース男爵家を破滅に導いているとも知らずに、2人の親子は愚かな計画に満足していたのだった。
父と離れ自室に戻ると、マリアは1人物思いに浸った。
ナラノのことを考えると、全てがマリアの思い通りにいきすぎて、おかしくってたまらなくて、思わず笑いが込み上げてくる。
(……馬鹿な、ナラノ。 まさか大好きなフランツ先生を、自分のせいで私に奪われることさえも知らずに、今ものうのうと過ごしているんだろうだから。 馬鹿よね。 真実も知らずに私にフランツ先生を奪われるなんて、ほんとに笑っちゃうわ!)
――――ナラノが忘れてしまった出来事は、フランツとナラノを引き裂くために、リバース男爵家によって引き起こされた事件だったということも、知らずにいるんだから。
父イシュハルトから、幼い時から高位の貴族と結婚を望まれていたマリア。
普通の男爵令嬢なら、妥当な身分の者と結婚するのが普通だし、令嬢本人も身分に見合った男性と恋愛をして、結婚をするのが一般的なことだ。
――だが、マリアはそこいらにいるような普通の男爵令嬢じゃなかった。
マリアは、
『どうして、この私が男爵令嬢なのよ! 私だって、貴族なのよ! 身分なんて関係ないわ! 私は、もっと上! そう、公爵家くらい身分が高い人と結婚して、公爵夫人になるのよ!』と、
頭がおかしくなっているわけではないのに、そんなことを考えるような頭の女性だった。
これが、他の一般的な男爵家であれば、『そんな馬鹿な考えは身を危険に晒すし、やめろ。冷静になれ!』くらいは言って、娘を嗜めただろう。
――だが、ここはリバース男爵家。
マリアの父イシュハルトは、
『おぉっ! そうかそうか! マリアは賢い娘だなぁ! そうだぞ! お前なら、公爵夫人も夢じゃない! 公爵夫人になれば、男爵令嬢などと言って侮られ蔑まれることもなくなる。お前だって貴族なんだ。身分がなんだ、身分が!
いずれはお前が公爵夫人になれば、殆どの貴族はお前よりも身分が下になるんだ! マナーや身分など考えず、お前はお前らしく!ありのままの姿で、天真爛漫でいなさい!』と、言うような残念な父親だった。
そして、そんな父親に育てられている娘のマリアも残念な娘だった。
『そうよね! 私は公爵夫人になる娘よ! 今は男爵令嬢でも、いつかは私の方が身分が上になるのよ! 身分差なんて気にしないわ! 私も貴族だし、私は私らしく、ありのままの私でいるのよ!』
自分勝手な持論を持ち出して、大真面目にそんなことを考えるような愚かな娘だったのだ。
マリアの父イシュハルトは、マリアと結婚できそうな年齢の公爵家の男性を調べた。
そして、相手の同意もなく、勝手に3人の公爵家の男性をマリアに見繕った。この時点ですでに色々とおかしい。
1人目は、ナラノの兄ホワイト=ベネット。
2人目は、ナラノの幼馴染のアロイス=マーティン。
そして、3人目が――――ナラノが恋をしているフランツ=ロバーツだった。
彼ら3人は公爵家と家柄も良いが、身長も高く見た目も良かった。そして、それぞれが公爵家の教育を受けているだけあって、聡明だと噂の若君たちだった。
マリアの父は、マリアの将来の夫となる彼らの絵を見せてから、マリアに誰が好みなのか? と、尋ねた。
やはり、おかしい。
勝手にマリアの父が、同意すら得ていない公爵家の若君たちから、娘で男爵令嬢のマリアが選ぶ立場になっていることに疑問すら抱いていないのは、おかしすぎる。
でも、マリアも、マリアの父のイシュハルトも何も思っていないようだった。
――――そして、マリアはフランツを選んだ。
理由は、マリアがフランツの絵に一目惚れをしたからだ。
マリアがフランツを選んだことで、イシュハルトはフランツ=ロバーツをマリアの将来の夫と定め、調査を開始した。
『なに?! ロバーツ公爵家の倅には、親しい娘がいるのか?!
だめだ、だめだっ! そんな娘は邪魔だ! その、ナラノ=ベネットという小娘は処分してしまえっ!!』
イシュハルトは、男爵家のくせに怪しい組織を従えていた。
マリアが選んだフランツのそばに、邪魔な娘がいると知ると、すぐさまナラノを排除する様に指示を出した。
そして、ナラノはマリアの父イシュハルトの手のものに襲われたのだ。
すぐに、フランツが急いでナラノを助け出したのだが、ナラノは何かに蝕まれていたのだ。
初めはナラノは無傷だと思われていた。
ナラノは助けられたあとも、身体的には目立った被害はなかったからだ。不幸中の幸いだが、幼い時から見目の整ったナラノが男性にそう言った意味で襲われておらずに良かった、とフランツ達は思っていた。
だが、幼いナラノは何かに蝕まれていた。また、その出来事のせいで、ナラノ心を傷つけられ、一部の記憶を失い、性格が変わってしまったのだ。
ナラノの父ストーンは、ベッネット公爵として家をあげてナラノを蝕む物の治療方法を探させた。だが、原因不明の治療方法を探すのは難航した。
フランツもナラノを助けようと、ロバーツ公爵家の力を使って治療方法を探させていたが、なかなかうまくいっていなかった。
そのとき、フランツは内密だと言って、マリアの父イシュハルトの手の者から接触を受けたのだ。
――『ナラノを蝕むものを一時的に抑える物を教える』、と言われたのだ。だが条件として、法外な値段をフランツは要求された。
そして、もしフランツが誰かにこの取引のことを伝えたら、ナラノを助ける物の取引は中止だ、とも伝えられたのだ。
怪しいと思ったが、フランツはナラノを助けるために取引を受けた。
そして、ナラノへ『金色の宝石付きのピンクのレースのリボン』を送った。その宝石に、取引で得たナラノを蝕む物を一時的に抑える力を移して渡しており、それによりナラノは救われたのだ。
フランツは、その取引を続けてきていた。そして、その取引相手が、リバース男爵家と繋がっていることも、ようやく掴めてきていた。
調査はずっと続けていた。
入学してからフランツに接触してくるリバース男爵家のマリアから、何かナラノを蝕むものや、あの出来事について情報は得られないか、と探っていたのだが、未だに情報は得られていなかった。
ナラノは忘れてしまったその出来事も、ナラノの身体が何かに蝕まれ続けていることも、ナラノを傷つけないように自然と思い出さない限り知らないでおこうというベネット公爵家の配慮で、ナラノは知らされていなかった。
フランツは、ナラノの兄ホワイトに取引の詳しい内容は言えなかったが協力を頼んだ。ナラノと距離があいた後も連絡を取り、ナラノを蝕むものを一時的に抑える物を送り続けていたのだ。
マリアは、フランツのそういった献身的な所も好いていた。フランツがそうする相手が自分ではなくナラノなのは気に触るが、将来は結局フランツは自分の夫となるのだ。結婚するまでの多少の火遊びくらいは許してあげるつもりで、許していた。
マリア自身も、ペリクレス貴族学院にいる間は、本命のフランツとは別に、マーティン公爵家のアロイスとも付き合って遊ぼうと思っていた。 もしそこでマリアがアロイスに夢中になったら、アロイスを本命にしても良い、とすら思っていた。
なのに、アロイスはマリアを相手にしなかった。しかも、アロイスはナラノばかりを見つめていたのだ。
『また、ナラノ=ベネットか!』
マリアは無性に腹が立った。
『もう我慢できない!』、とばかりに、マリアは本命のフランツとの仲を進めるために動いた。
なぜかフランツからは、リバース男爵家の内情を良く聞かれたが、マリアがフランツと仲良くすることで、勝手にナラノは勘違いをしてくれたので、問題はない。
メアリア王女と違って、ナラノは誰にでも優しい。
そのことにつけ込んで、マリアはナラノがフランツから離れるように誘導していった。
(計画は順調だわ! フランツ先生も、まさかナラノを蝕む物を、お父様が仕込んだなんて気づいてないはずだもの。)
マリアは、自分の思うように進む出来事が面白くって顔がニヤけてきた。
(フランツ先生は、私の物よ! それでも、もしフランツ先生が抵抗してきたら、…………『ナラノを蝕むものを一時的に抑えている物を渡さないわよ!』と言って脅せば良いだけよね!)
意地悪く笑ったマリアは、この世の悪魔のようだった。
だがマリアは知らない。
――今この時、ナラノが『聖女』としての力を覚醒させたことを。
――そして、その力で、ナラノは自分を蝕んでいた物ですら、払ってしまったということを。
もう、ナラノは何にも蝕まれていなかった。
ナラノという弱みがなくなれば、もうマリアがフランツを脅すことはできなくなるだろうということも、気づいていなかった。
そして、さらに。
ナラノを探して見つけだしたフランツが、アロイスに抱きしめられてキスされそうになっているナラノを見て激しい怒りに震えたことを。そして、もうナラノへの想いを我慢しないことに決めたことも、まだマリアは知らなかった。
拗らせまくったフランツのナラノへの重すぎる愛は、もう止められそうになかった。




