7 次はタバスコ
男性は、粉チーズの容器に箸を突っ込んでいた。
もちろん、未使用のものだ。
そして、つまりが取れて、ご機嫌な様子で粉チーズを振りかけること三十秒ほど。
粉チーズが空になった。
ヴィルテのではない。
男性のだ。
続いて、男性が手に取ったのはタバスコだった。
ふりふり。
とぽとぽ。
「……」
ヴィルテは、窓ガラスに映るその様子を眺めていた。
粉チーズで真っ白になったボロネーゼに、赤い液体がぽつぽつと落ちていく。
男性は、首を傾げた。
容器を持ち上げ、底の方を覗き込む。
どうやら、残量を確認しているらしい。
そして。
「……?」
注ぎ口を回し始めた。
何してるんだろう。
そんなことしたら外れちゃうけど。
くるくる。
くるくる。
外した。
「……」
ヴィルテはフォークを止めた。
男性は、注ぎ口を外したタバスコを、ボロネーゼの上で傾けた。
どばどばどば。
「……」
赤い液体が、勢いよく流れ出した。
先ほどまで雪山のようだったボロネーゼが、今度は赤く染まっていく。
ヴィルテは、じっと見ていた。
美味しいのだろうか。
それは。
粉チーズとタバスコを、あんなにたくさん。
もしかしたら、カラディシアではこういう食べ方も普通なのかもしれない。
自分も試そうか。
ヴィルテは、ちらりとテーブルのタバスコを見た。
その時だった。
「だめだよ」
「……?」
顔を上げると、ウィルヴェルがこちらを見ていた。
「なにがですか?」
「真似しようと思ったでしょ」
「……美味しいのかなって」
「あの人は特別な訓練を受けてるの」
「……」
「ヴィルテちゃんがやったら、お腹壊すよ」
「……そうなんですか」
ヴィルテは、もう一度窓ガラスを見た。
特別な訓練。
何の訓練だろう。
辛いものを食べる訓練だろうか。
男性は、フォークに巻きつけたボロネーゼを口に運んだところだった。
もぐもぐ。
もぐもぐ。
そして。
「はふ、はふ……」
辛そうに息を吐いていた。
「……」
ヴィルテは目を細めた。
男性は、口を少し開けて、熱を逃がすように息をしている。
それから、ようやく飲み込んだ。
なんだか、目が潤んでいる。
辛いのだろう。
たぶん。
特別な訓練を受けているのに。
「……可愛い」
ぽそりと呟いた。
隣で、ウィルヴェルが小さく笑った。
すると、男性が何かを言い始めた。
「おっかしいなぁ……奥歯に……」
日本語だった。
ヴィルテには意味がわからなかったけれど、男性は口元をもごもごさせ、舌で奥歯のあたりを探るような仕草をしていた。
どうやら、何か挟まってしまったらしい。
男性は、しきりに口の中を気にしていた。
顔が真っ赤だった。
耳まで赤い。
「ふふ」
ヴィルテは小さく笑った。
なんだか、見ていて飽きない人だった。
「声かけてくれば?」
ウィルヴェルが言った。
その声は、どこか楽しそうだった。
「いや、今は忙しそうなので……」
「ふふふ」
ウィルヴェルは笑った。
男性は、まだ奥歯を気にしていた。
「ヴィルテちゃんってさ」
「はい」
「変わってるね」
「……」
ヴィルテはウィルヴェルを見た。
「よく言われるんですよね……」
「そうなんだ」
「どこがですか?」
そう尋ねながら、ヴィルテは窓ガラスを見た。
男性が変な顔をしていた。
まだ奥歯に挟まった何かが取れないらしい。
口を閉じたり、少し開いたり。
舌を動かして、頬の内側を押している。
「少なくとも、あの人ほどではないと思いますけど……」
ウィルヴェルは笑った。
「まあ、そうだね」
それから、窓ガラスにちらりと目を向けた。
「可愛いの?」
「はい」
ヴィルテは頷いた。
「なんか、見てるうちに愛着湧いてきました」
「あははは」
ウィルヴェルは、とうとう声を出して笑った。
ヴィルテは首を傾げた。
そんなに面白いことを言っただろうか。
「ウェイトレス、ワインちょーだい」
ウィルヴェルが手を上げた。
「ふっふっふ」
ウェイトレスヨハンナがやってきた。
「白にしとくかい?」
「キンキンに冷えたピエモンテのやつちょーだい」
「ふっふっふ、いいねぇ」
ウェイトレスヨハンナは厨房の方へ向かい、すぐに戻ってきた。
手にはワインボトル。
そして、グラスが二つ。
「……え?」
ヴィルテは顔を上げた。
グラスが二つ。
一つはウィルヴェルの前に。
もう一つは、自分の前に置かれた。
「え、良いんですか?」
ヴィルテは、ヨハンナとウィルヴェルを交互に見上げた。
「ふっふっふ」
ヨハンナはにこにこしていた。
「カラディシアは魔法族の国だからねぇ。魔法族なら十四歳から飲めるよぉ」
「……!」
ヴィルテの顔が明るくなった。
「やったぁ」
「ふっふっふ。ちなみに人間なら十六歳からだねぇ」
「そういうの良いですから、早く飲みましょ飲みましょ」
「あはは、ヴィルテちゃん、急に元気になったね」
ウィルヴェルが笑った。
ヴィルテは、グラスに注がれていく白ワインを眺めた。
淡い黄金色の液体が、涼しげな音を立てて満ちていく。
冷えたグラスの表面には、うっすらと水滴が浮かんでいた。
美味しそう。
ヴィルテは思わず微笑んだ。
そして、ふと窓ガラスを見た。
男性は、まだ奥歯を気にしていた。
「……」
ヴィルテは小さく笑った。
忙しい人だなぁ。




