2 リストランテ・ディ・ピッツォッケリ
店に到着すると、まあ、当然のようにヨハンナがいた。
レジの向こうで、にこにこと二人を出迎えてくれる。
「ふっふっふ、二名かい?」
「はい」
「お願いしまっす」
「こちらへどうぞぉ。ふっふっふ」
ヴィルテとウィルヴェルは、レジヨハンナに案内されて店内へ入った。
リストランテ・ディ・ピッツォッケリ。
その名のとおり、蕎麦粉を使ったイタリアのパスタ、ピッツォッケリを専門に扱うリストランテである。
店内には、大学生くらいの雰囲気の客が多かった。
友人同士らしい二人組や、四人掛けのテーブルを囲む若者たちが、思い思いに食事を楽しんでいる。
「ペストー合うね」
「ねー」
「魚介が一番だな」
「蕎麦はやっぱりな」
「なー」
楽しそうだった。
ヴィルテは店内を見渡した。
木製のテーブル。白い食器。厨房から漂ってくる、オリーブオイルと香草の匂い。
なるほど、なかなか良い雰囲気のお店である。
そのときだった。
「だからねぇ、おでんっていうのはとてもヘルシーなのさ」
「それでもねぇ」
「わかるよ。スープパスタは邪道だっていうんだろう?」
「邪道すぎるねぇ」
厨房の方から声が聞こえてきた。
ヴィルテは足を止めた。
聞き覚えのある声だった。
というより、聞き覚えしかない声だった。
「試してご覧よ」
「そうはいうけどねぇ。スープパスタっていうけどねぇ、これはもはや蕎麦にセモリナ粉が入ってるようなものじゃないか。イタリア人としては許せないねぇ」
「スイス人じゃないか」
「そうだったねぇ」
「ふっふっふ」
「ふっふっふ」
厨房の奥で、二人のヨハンナが笑っていた。
一人はシェフヨハンナ。
もう一人はオーナーヨハンナ。
二人とも同じ顔で、同じ声で、同じように笑っている。
どうやら、おでんを使ったスープパスタについて議論していたらしい。
しかも、イタリア語で。
ヴィルテは少し考えた。
スイス人が二人
誰に見せるでもなく、厨房の隅で同じ顔の二人がコントをしていた。
イタリア語で。
「……」
ヴィルテはウィルヴェルを見た。
ウィルヴェルは何事もなかったように席へ向かっていた。
周囲の客も、普通に食事を続けている。
「ねー、ヴィルテ、こっち」
「あ、はい」
ヴィルテはもう一度だけ厨房を見た。
「ふっふっふ」
「ふっふっふ」
まだ笑っていた。
ヴィルテも見なかったことにした。
ヴィルテはメニューに目を落とした。
ネーロ、ボンゴレ、ジャッポネーゼ、ペスト・ジェノヴェーゼ。
どれも美味しそうだった。
イカスミに、魚介。和風の味付けもあるらしい。ペスト・ジェノヴェーゼも気になる。
そうしているうちに、当然のようにウェイトレスヨハンナが水を運んできた。
しばらく迷った末、ヴィルテはイカスミのパスタを指差した。
「じゃあ、わたしはピッツォッケリ・ネーロ」
「わたしはピッツォッケリ・ボンゴレで」
「ふっふっふ、承ったよぉ」
ウェイトレスヨハンナは、にこにこと厨房へ向かった。
ヴィルテはその背中を見送った。
今日だけで、何人目のヨハンナだろう。
いや、もう数えるのはやめたのだった。
「ときどき、ヨハンナさんのこと見てると思うんです」
「うん?」
「宇宙人って、あんな感じなのかもって」
「わたしは毎日思ってたよ」
ウィルヴェルは、あっさり答えた。
「ししょーってなんですか?」
「うん。わたしが十五の頃にね、将来なにしよっかな〜って思ってたんだよね」
「はい」
「そしたら、先輩がししょーを紹介してくれたの。あの人、心理学の色んな博士号持ってるんだよね」
「三つ持ってるって聞きました」
「それは十三の頃だったかな。今はそんなもんじゃないよ」
「えぇ……」
ヴィルテは厨房を見た。
つい先ほど、イタリア人の誇りについて議論していた二人のヨハンナを思い出す。
「そんなに勉強して、どうするんでしょう」
「好奇心がすごいからね」
「あぁ」
それなら、なんとなくわかる気がした。
あの人なら、知りたいことができたら、納得するまで調べ続けるのだろう。
そして、納得した頃には別の疑問が生まれている。
たぶん、そんな感じなのだ。
「その時にはもう、スクールカウンセラーとしてうちの学園にいたんだけどね」
「はい」
「そしたら、記者の道を勧められたの。あの人ね、色んな人を見てるから、たぶんわたしのこともすぐわかったんだろうね」
「へぇ……」
ヴィルテは少し考えた。
「わたしも、ガイドブック作ってみたらどうだい、ふっふっふ、って言われて、今やってます」
「そうなんだ」
「はい」
「わたしもガイドブックは経験あるから。ってゆーか、今もやってるけどね。アドバイス欲しかったら、いつでも頼って」
「ありがとうございます」
ヴィルテは素直に頭を下げた。
ウィルヴェルは記者で、映像も撮っていて、ガイドブックまで作っている。
忙しそうな人だな、と思った。
もっとも、ウィルヴェル本人はそれほど忙しそうには見えない。
むしろ、毎日楽しそうだった。
そのときだった。
からんころん。
入り口のベルが鳴った。
「ふっふっふ、一人かい?」
「うん」
「ふっふっふ」
入ってきたのは、日本人らしい男性だった。
黒髪で、すらりとした体格。
落ち着いた雰囲気の人だった。
ウィルヴェルがそちらを見た。
男性もウィルヴェルを見た。
二人は、軽く頷き合った。
それだけだった。
男性はレジヨハンナに案内され、カウンター席に並んで座るヴィルテたちの、すぐ後ろのテーブル席に腰を下ろした。
ヴィルテはウィルヴェルを見た。
「知り合いですか?」
「ん?」
「あの人」
「あぁ」
ウィルヴェルは曖昧に頷いた。
「まあね」
「へー」
ヴィルテはもう一度、男性の方を見た。
男性はメニューを開いていた。
特にこちらを気にする様子もない。
ヴィルテもメニューに視線を戻した。
厨房から、また声が聞こえてきた。
「ふっふっふ」
「ふっふっふ」
どうやら、まだ何か話しているらしい。
ヴィルテは聞こえなかったことにした。




