1 ピッツォッケリ・ジャポネーゼ
中央文化区画のヴェネツィアエリア。
ヴィルテは、Rowenaの画面に映し出された景色を眺めていた。
青い空。白い雲。水面に映る色とりどりの建物。運河にはゴンドラが浮かび、その向こうにはサンマルコ広場と大聖堂が見える。
つい先日まで蕎麦殻ソファに沈んでいた男が、そこに立っていた。
『というわけで、今回は、カラディシア中央文化区画のヴェネツィアエリアに参りました!』
晴れやかな顔だった。
『見てくださいこの景色。本物みたいでしょう。サンマルコ広場に大聖堂、そしてこの運河!』
カメラがゆっくりと周囲を映す。
運河沿いにはレストランが並び、テラス席では人々が食事を楽しんでいた。石畳の上を観光客が歩き、橋の向こうでは誰かが写真を撮っている。
『今日はこちらのレストランに入りましょう! ヤンマヤァ!』
記者は陽気に片手を上げた。
もはや、かつてのできるビジネスマン、プロのジャーナリストの面影はない。
今や彼は、プロのグルメリポーターだった。
「……元気ですね」
「元気だねぇ」
隣で動画を見ていたウィルヴェルが答えた。
画面の中では、記者がレストランに入っていくところだった。
『こんにちはー!』
『ふっふっふ、いらっしゃい』
厨房から現れたのは、白いコックコートに身を包んだ金髪の女性だった。
「……」
「……」
ヴィルテとウィルヴェルは、無言で画面を見つめた。
『では、こちらのおすすめを!』
『ふっふっふ、おすすめかい?』
シェフヨハンナは、にんまりと笑った。
『それはもちろん、ピッツォッケリにイカスミを混ぜたシーフードパスタさ』
『わー、楽しみですねー!』
しばらくして、テーブルに料理が運ばれてきた。
幅広の平打ちパスタに、黒々としたソースが絡んでいる。エビ、イカ、貝類が盛りつけられ、刻んだ香草が彩りを添えていた。
記者はフォークを手に取った。
『では、いただきます!』
くるくる。
もぐ。
『……ブォーノ!』
『ふっふっふ、ピッツォッケリはねぇ、蕎麦粉を8割練り込んだパスタなのさ』
『なるほど』
聞いているのか聞いていないのかわからない勢いで食べている記者だった。
くるくる。
もぐもぐ。
『……これ、そばつゆ合いそうですね』
ちら。
何かを期待するような目で、シェフヨハンナを見る。
『ふっふっふ、日本人はねぇ、パスタにそばつゆを絡めて食べるのさ』
『そちらもいただけますか?』
『もちろんさ。ちなみに、そばつゆはそっちのピッツォッケリ・ネーロにも混ざってるよ。そして』
シェフヨハンナは、す、と皿を差し出した。
『こっちはねぇ、家庭的なイタリア料理を参考にしたものでねぇ、ピッツォッケリ・ジャポネーゼさ』
皿の上には、先ほどと同じ幅広のパスタ。
ただし、こちらはずいぶん簡素だった。
パスタの上に、缶詰のツナが載っている。刻んだ青紫蘇が散らされ、醤油のような色のソースが薄く絡んでいた。
記者は皿に顔を近づけ、香りを嗅いだ。
『……』
くるくる。
もぐ。
『……うんま。紫蘇?』
『紫蘇だねぇ』
シェフヨハンナは答えながら、次の皿を並べた。
たらこパスタ。
ペスト・ジェノヴェーゼ。
ボロネーゼ。
カルボナーラ。
次々とテーブルに料理が増えていく。
どう見ても、記者を新商品のモニターにする気しか感じられなかった。
しかし、記者はそんなことを気にする様子もなく、次のパスタにフォークを伸ばした。
『ふっふっふ、ちなみにこれは、Oic Corner EUでも食べられるよ』
『おっ』
記者が顔を上げた。
そして、カメラに向き直る。
『聞きました?』
にこぉ。
『動画をご覧になってるみなさんもー?』
フォークを持った手で、画面の向こうを指す。
『早速お近くのOic Corner EUへー?』
ちら。
シェフヨハンナを見る。
『『ヤンマヤァ!』』
二人は声を合わせ、陽気に片手を上げた。
そこで動画が終わった。
ヴィルテは、しばらく画面を見つめていた。
数日前、あの記者は蕎麦殻ソファに沈みながら、自分はもうだめだと嘆いていた。
休めば休むほど仕事のクオリティが上がる。
月に一度しか記事を書きたくない。
一生ここで蕎麦を食べて暮らす。
そう言っていた男が、今ではヴェネツィアの運河を背景に、満面の笑みでパスタを紹介している。
しかも、楽しそうだった。
ウィルヴェルも、黙って画面を見ていた。
ヴィルテは、ちら、と隣にいるウィルヴェルを見る。
「いく?」
「行きましょ」




