9 変わり果てた記者
ゲーミングヨハンナに教えてもらったのは、中央文化区画にほど近い、別のOic Placeだった。
「ここ、か」
ウィルヴェルは入り口のドアを押した。
ヴィルテもその後についていく。
ちょうど、ワイリフばかりやっていて飽きていたところだった。
ちなみに、飽きてはいたのだが、あの心地良いCCの音やエフェクトのせいだろうか。今や一日二時間はワイリフをやるようになっていた。
今のままではいけない。
このまま行くと、ゲーミングヨハンナのように、一日でエナジードリンクを一箱空けるくせに、ゲーム以外何もやらないような大人になってしまう。
それはヴィルテにもわかっていた。
わかっていたのだが、やめられなかった。
ついでにいうと、ガイドブックの制作も続けていたが、こちらはまあ、街歩きのついでだった。
いずれにせよ、この現状、どうにかしなければ。
「記者さん、無事ですかね」
「まあ、少なくとも酷い展開ではないと思う。ししょーがああいう風に笑ってるってことはそう」
ゲーミングヨハンナは、記者の居場所を尋ねられると、ひとしきり笑ってからこのOic Placeを教えてくれた。
なぜ笑っていたのかは、教えてくれなかった。
館内は暖かかった。
床にはマットレスが敷かれ、あちらこちらで人々が寝転がったり、本を読んだり、端末を操作したりしている。飲み物を片手に談笑する人々もいた。
ヴィルテは見慣れた光景に少し安心した。
ただ、ひとつ気になるものがあった。
館内の一角に、大きなクッションがいくつも置かれている。
人が座るためのものらしいが、座るというより、埋まるためのものに見えた。
そのうちのひとつに、男が沈んでいた。
「あぁ、良かった……」
ウィルヴェルが駆け寄った。
「記者さん、ご無事で」
「無事なもんかよぉ、ウィルヴェル。俺ぁもうだめだ……」
「なにがだめなんですか」
ウィルヴェルは、ちょっと呆れた様子だった。
ヴィルテは男を見た。
背もたれらしい背もたれのない巨大なクッションに、男の身体が深々と沈んでいる。片手には蕎麦の器。もう片方の手には箸。
その傍らに、製品名が書かれた札があった。
『人もだめにするソファ(蕎麦殻エディション)』
なるほど。
良いな、これ。
うちのOic Placeにはない。
ちょっと寝てみたい。
「俺ぁもうだめだぁ。休めば休むほどクオリティが上がりやがる」
「良いことじゃないですか。こないだまで、『月200時間超えないうちはやる気がないんだよ。やる気が。あと覚悟な。それまではアマチュアだから』とか、『インフルで体温40度になったら逆にやる気出ません?』とか、言ってたじゃないですか」
妙にクオリティの高い声真似をするウィルヴェルだった。
記者はうめき声を上げた。
「やめろよぉ、思い出させんなよぉ。俺ぁもうこのソファに沈みながらグースカ寝て、目が覚めたらぼんやりして、気が向いたらテキトーなこと記事にするって決めたんだよぉ」
「……なんてこった」
ウィルヴェルは呟いた。
酷いことにはなっていなかったが、ろくでもないことになっていた。
「ずぞぞぞぞ」
記者は蕎麦をすすった。
「……うっめ。見ろよこの蕎麦ぁ。40レフしないんだぞぉ。1ユーロで4杯行けるんだぜぇ。なんかのバグだろぉ」
「企業努力ですよ。それについて記事にしましょ」
「あ、それ良いな。さすが俺の後輩」
「やめてくださいよ。今はなんかそう呼ばれるの恥ずかしいんですよ。わかりません? わたしが今めちゃくちゃ恥ずかしいの」
見れば、Oic Place中の視線が集まっていた。
ヴィルテは少しだけ二人から距離を取った。
「ほら、先輩。編集長に電話して」
「俺ぁもうだめだぁ」
「……ちっ。じゃあわたしがかけますよ」
ウィルヴェルは端末を取り出した。
ぷるるるる。
がちゃ。
「あ、編集長? ウィルヴェルです。見つけました」
『あ、かわって』
「はい。先輩、編集長です」
「俺ぁもう」
ぺしん。
「はい、編集長」
頭を抑えながら、記者は受け答えをした。
ウィルヴェルは手のひらを振りながら先輩を見守った。
『やあ、どうしたの? 締め切りまでもう3日だよ?』
「編集長、俺ぁもうだめなんです」
『どうしたよ、口調まで変わっちゃって』
「だめなんすよ、ウェンディ」
『私のこと名前で呼ぶようなキャラじゃなかったでしょ』
「蕎麦がうめえんす」
『悪いね、ちょっと長話を聞く気分じゃないから、端的に』
「俺ぁ決めたんです。もう毎月ひとつ記事書いて、一生ここでダラダラ蕎麦食うって」
『なるほど。それは良いけど、きみの記事は人気だから、せめて週1にして』
「やです」
『さすがにクビにするよ?』
「……」
記者は考えた。
そして……、
*
「おう、やってみろよ! あんたにゃ感謝してるがなぁ! お前のお気に入りの副編集長さ! あいつのバーコード頭にゃ前からうんざりしてたんだ! テカテカ光りやがって! 眩しくってしょうがねぇ! いいさ! 俺から辞めてやらァ!」
*
などと言えるはずもなく……。
「わかりました、編集長。では、週1ということで」
『うん、頼むよ。それに応じた報酬しか出せないけど良いの?』
「はい、構いません」
『心配したよ?』
「すみませんでした。ここの住みやすさに、衝撃を受けてしまいまして」
『まあ、君もね。うちのハゲとは折り合い悪いけど、熱心に頑張って、いつも真面目だからさ。ちょっとはそこで肩の力抜いてくると良いよ。でもまあ、いつでも今の仕事量に戻せるし、そしたら報酬も戻すからさ。まあ、いつでも戻ってこれるように、腕が衰えない程度にね』
「はい、感謝します」
『うん、じゃあ、頼むよ』
「編集長」
『うん』
「記事送りました」
『お、どれどれ……』
しばらく沈黙があった。
『ふっ、こんなユーモア入れたの初めてじゃない?』
「次々湧いてくるんです」
『クオリティ上がってるじゃん』
「私に足りなかったのは休息のようです」
『そこは前から言ってたよね』
「はい」
『おっけ、受け取ったよ。じゃあ、来週もよろしくね』
「はい。ご心配をおかけして申し訳ありません」
『いいよ。どうせ悪いのは全部ヨハンナだから。じゃあね』
「失礼します」
記者は電話越しにお辞儀した。
それから端末を返し、凛とした顔でウィルヴェルを見る。
「悪かったな」
「良かった、あの頃の先輩だ」
「おう。蕎麦食うか?」
「その蕎麦、大丈夫なやつ? 食ったらまたさっきみたいにならない?」
「なっても良いじゃないか」
「……」
ウィルヴェルは黙った。
ヴィルテも黙った。
記者は蕎麦をすすった。
ずぞぞぞぞ。
*
30分後。
「ずるずる、ずぞぞぞぞ!」
どよめきが湧き上がった。
「すげぇ、蕎麦の野郎、もう50杯目だ……」
「イカれてやがる」
「でもわかる」
「うめぇよな、蕎麦」
「おい、次の皿取ってるぞ」
「わんこ感覚で一皿行ってる……」
「イカれてやがる」
「それはそう」
記者は蕎麦殻ソファに沈みながら、次の皿に箸を伸ばした。
「ずぞぞぞぞ!」
ウィルヴェルとヴィルテは、少し離れたところで、他人のふりをしながらざる蕎麦をすすっていた。




