6 記者失踪事件
「そもそも、どうしてこの国を作ろうと思ったんですか?」
クロアチアからやってきた記者は、テーブルの向こうに座る女性に尋ねた。
女性は金色の髪を肩に流し、薄い色のシャツの上にトレンチコートを羽織っていた。外見は十八歳ほど。手元には飲み物の入ったタンブラーがある。
カラディシア共和国外務大臣、ヨハンナ。
「作ろうと思ったわけじゃないんだよねぇ」
「と言いますと?」
「最初は、古い街並みを修復していただけなんだ。建物を直して、道路を整備して、商店を作って。そうしたら人が集まってきた」
「それが国家になった?」
「まあ、途中で色々あってねぇ」
「色々?」
「吸血鬼が出たり」
「吸血鬼」
「ふっふっふ」
ヨハンナは笑った。
記者は手元の端末に目を落とした。
「……そこは詳しく聞いても?」
「長くなるよ?」
「構いません」
「じゃあ、また今度にしようか」
「今度ですか」
「うん」
記者は端末に何かを打ち込んだ。
「それで、国家として成立したあとは?」
「道路を舗装して、住宅を作って、食料の供給体制を整えて。あとは仕事を作ったり、学校を作ったり」
「ずいぶん簡単におっしゃいますね」
「簡単ではなかったよ」
ヨハンナはタンブラーを持ち上げた。
「でも、やることはわかっていたからねぇ」
「なるほど。では、戦争が始まった際には、どのような対応を?」
「避難してきた人たちを受け入れたよ」
「当時はまだ建国から間もなかったはずですが」
「そうだねぇ。建物も足りなかったし、物資も不足していた」
「それでも受け入れた?」
「来ちゃったものは仕方ないじゃないか」
「……」
「寒いんだよ、あの辺りは。屋根と毛布くらいは用意しないとねぇ」
記者は頷いた。
「避難民のみんなには、代わりに、モニターになってもらったんだよ。料理を食べてもらったり、新作ゲームをプレイしてもらったりね。まあ、楽しんでもらってる姿を見させてもらって、感想を聞いただけさ。一石二鳥かな」
「食料の供給も課題だったのでは?」
「そうそう。そこで蕎麦だよ」
「蕎麦?」
「うん。蕎麦」
ヨハンナは、何かを思い出したように微笑んだ。
「食べたことあるかい?」
「日本料理ですよね。名前は知っていますが」
「ちょっと食べてみるかい?」
「え?」
「お腹、空いてないかい?」
「……まあ、少し」
「じゃあ、ちょうどいいねぇ」
ヨハンナは端末を操作した。
数分後、テーブルに温かい蕎麦が運ばれてきた。
澄んだ褐色のつゆに、細い麺。刻んだネギが浮いている。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
記者はフォークを探したが、見当たらなかった。
代わりに箸が二本、器の横に置かれていた。
「箸は使える?」
「多少は」
「ふっふっふ。じゃあ、いただこうか」
ヨハンナも自分の蕎麦を食べ始めた。
記者は麺をつまみ、慎重に口へ運んだ。
温かい。
柔らかいが、歯応えがある。
何より、つゆがうまい。
「……これは」
「どう?」
「おいしいですね」
「そうでしょう」
「このスープは何で作っているんですか?」
「出汁だねぇ。昆布や椎茸を使っているよ」
「肉は?」
「入ってないよ」
「へえ……、ラーメンよりもあっさりしてますね」
記者はもう一口食べた。
今度は少し勢いよく啜った。
ずずっ。
「おっと」
「ふっふっふ」
「失礼」
「別にいいんだよ。啜って食べても」
「そうなんですか?」
「うん」
ずずずっ。
記者は箸を動かした。
ずずっ。
ずずずずっ。
やがて器が空になった。
「……おかわりをいただいても?」
「もちろん」
ヨハンナは端末を操作した。
「今度は冷たいのにしてみようか」
「冷たい蕎麦?」
「ざる蕎麦だねぇ」
「ざる?」
「ふっふっふ。まあ、食べてみなよ」
しばらくして、今度は竹製のざるに盛られた蕎麦が運ばれてきた。
細い麺の上には、刻んだ海苔が散らされている。
小さな器には濃い色のつゆ。別皿にはネギと、緑色のペーストが少量。
「これは?」
「ワサビだよ」
記者の顔が曇った。
「ワサビ……」
「知ってる?」
「ええ。ウィーンの寿司屋で食べたことがあります」
「どうだった?」
「ひどい目に遭いました」
「ふっふっふ」
「あれは食べ物じゃありませんよ」
「そんなことないよ」
「鼻が壊れるかと思いました」
「つけすぎたんじゃない?」
「店員が勧めてきたんです」
「なるほどねぇ」
ヨハンナは自分のつゆに、ほんの少しだけワサビを溶いた。
「これくらいでいいんだよ」
「いや、私は結構です」
「まあまあ」
「いえ、本当に」
「ちょっとだけ」
「大臣」
「うん?」
「私は一度、ワサビでひどい目に遭っているんです」
ヨハンナは、にっこりと笑った。
「わたしは外務大臣だよ?」
「……」
「ふっふっふ」
記者はしばらくヨハンナを見つめた。
それから、ため息をついた。
「……わかりましたよ」
彼はワサビをほんの少し取り、つゆに溶いた。
蕎麦をつまみ、つゆにつける。
啜る。
「……」
「どう?」
「……うま」
「ふっふっふ」
「……これ」
もう一口。
「……やっば」
「そうだろう?」
「なるほど。こういう使い方をするものなんですね」
「うん」
「少し香りが変わりますね」
「そうそう」
記者はさらに蕎麦を啜った。
ずずずっ。
ずずっ。
「……おかわりをいただいても?」
「ふっふっふ。いいよ」
そのとき、部屋の扉が開いた。
秘書らしき女性が、ワゴンを押して入ってきた。
ワゴンには蕎麦の乾麺、つゆ、薬味、調理器具が積まれている。
記者は箸を止めた。
「……これは?」
「蕎麦だよ」
「それはわかりますが」
「色々試してもらおうと思ってねぇ」
「……」
記者はヨハンナを見た。
ヨハンナは笑っていた。
「……まさか」
「ふっふっふ」
「私、商品テストをさせられているんですか?」
「そうとも言うねぇ」
「インタビューですよね?」
「もちろん」
「私は取材に来たんですが」
「うん。だから、食べながら話そうじゃないか」
「……」
「次は、ちょっと麺の太さを変えてみようか」
記者は目の前のざるを見下ろした。
そして、少し考えた。
「……それも、おかわりできますか?」
「もちろん」
「では、お願いします」
ヨハンナは満足そうに頷いた。
「ふっふっふ」
取材は、それから二時間ほど続いた。
その間、記者は蕎麦を何杯食べたのか、途中から数えるのをやめていた。
「それでねぇ、話は変わるんだけど、この蕎麦のこと、あっちこっちで言いふらしてくれないかな」
「え? 記事にしろと?」
「まあ、それでも良いんだけどね。周りの人に、「こないださぁ、カラディシア行ったんだわ。そこでよぉ、めっちゃくっちゃうんめぇ蕎麦食ったんだわ。あそこの蕎麦めっちゃやべえぞ」」ヨハンナは、記者を見た。「みたいな感じで話してくれるだけでいいよ」
「私、そんな変な喋り方では…」
「ふっふっふ、ちなみに、もし記事にしてくれるなら、独占取材ということにさせてもらうよ」
「ちょっと待ってください」記者はスマホを取り出した。「編集長、はい、あ、終わりました。それでですね、外務大臣から、別件の取材の打診がありまして。はい、今ならこちらで独占させていただけるとのことです。はい、蕎麦です。蕎麦。日本の、ちょっと検索してみて、あ、はい、そうです。啜るやつ。美味しいんですよ。はい、はい、はーい。オッケー出ました」
「ふっふっふ」
*
「……で、結局、蕎麦の話になっちゃったんですね」
ヴィルテは画面を見ながら言った。
隣では、ゲーミングヨハンナがゲーム用の椅子に腰掛け、片手で飲み物を持っていた。
「ふっふっふ。そうだねぇ」
「外務大臣のインタビューですよね?」
「そうだよ」
「途中から、ずっと蕎麦を食べてましたけど」
「おいしそうだったねぇ」
「……」
ヴィルテは画面に視線を戻した。
隣で、難しい顔をしているのは、ウィルヴェル。
カラディシアで活動する記者だった。
画面には、蕎麦を啜るクロアチア人記者の姿が映っている。
その映像が止まった。
ウィルヴェルはため息を吐いた。
「さて、ここからが本題です」
「……本題?」
ヴィルテは首を傾げた。
ウィルヴェルは頷く。「このインタビューを受けた記者ですが、現在、行方がわからなくなっています」
「えっ」
「さて、どこにいるでしょう」
「どこにいるんですか?」
「わたしにもわかんないんだよねぇ…」




