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幻想のカラディシア  作者: 空港ヨハンナ
ローウェル

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2 猫のシミ

 ヴィルテ・コントリマイテには、最近、気になっていることがあった。

 Oic Buvetteのスマイル0円である。

 昨日は一日かけて、百人の店員からスマイル0円を注文し、その様子を撮影した。

 結果、百人百様だった。

 口角だけが上がる人。目だけが笑う人。頬が引きつる人。なぜか片方の眉毛まで上がってしまう人。

 中には、顔全体を使って笑おうとするあまり、目を閉じてしまう人もいた。

 ヴィルテは、その百人分の写真を並べて眺めていた。

「……みんな違うんだ」

 ガビヤが応じる。

『顔の筋肉の使い方には個人差があります』

「そういうことじゃなくて」

『では、どういうことでしょう』

「同じ商品なのに、全部違う」

『なるほど』

「これ、人気投票できるんじゃない?」

『可能です』

「最優秀にごぉ賞」

『賞の名称として登録しますか?』

「いや、まだいい」

 ヴィルテは写真をスクロールした。

 七十二番目の店員は、特にすごかった。

 口元だけでなく、鼻の周囲まで引きつっている。

 しかし、本人はいたって真面目だ。

「この人、強いなあ……」

『何がでしょう』

「にごぉが」

『なるほど』

 ヴィルテは、百人分の写真を一つのフォルダにまとめた。

 タイトルは『スマイル0円百選』。

 いずれ、観光ガイドに載せるつもりだった。

 *

「ふっふっふ。なかなか面白いことをしてるねぇ」

 哲学ヨハンナは、ヴィルテの画面を覗き込んでいた。

「これ、昨日撮ったんです」

「百人分?」

「はい」

「よく集めたねぇ」

「一日かかりました」

「そりゃそうだろうねぇ」

 ヨハンナは画面をスクロールした。

「ふっふっふ。これはなかなか」

「ですよね」

「この人なんか、ずいぶん頑張ってるねぇ」

「七十二番です」

「名前じゃなくて番号なんだ」

「百人いるので」

「なるほどねぇ」

 ヨハンナは写真を眺めながら、何度か笑った。

「で、今日は何をするんだい?」

「各店舗のメニューを調べようと思ってます」

「ほう」

「Oic Buvetteって、店舗ごとにオリジナルメニューがあるんですよね」

「あるねぇ」

「だから、全部調べてみようかなって」

「全部?」

「はい」

「ふっふっふ。そりゃ大変だ」

「そんなに多いんですか?」

「多いよ」

「……どれくらい?」

「数えてみなよ」

「教えてくれないんですか」

「そのほうが面白いじゃないか」

 ヨハンナは財布から七千レフを取り出した。

「はい、今日の活動費」

「ありがとうございます」

「足りなかったら言いなよ」

「はい」

「無理して全部食べなくてもいいからねぇ」

「わかってます」

 ヴィルテは七千レフを受け取り、ガビヤに今日の予定を入力した。

 各店舗のオリジナルメニュー。

 今日のおすすめ。

 価格。

 味。

 そして、スマイル0円。

 昨日の調査は終わったが、スマイル0円の研究まで終わったわけではない。


 *


「じゃあ、今日のおすすめを。あと、スマイル0円」


「んにごぉ」


「ありがとうございます」


「はい」


 ヴィルテは注文を済ませ、席へ向かった。


 途中、バックヤードから声が聞こえてきた。


「良いかい? それじゃただの笑顔だ。スマイル0円は違うよ。もっと引きつってないと」


「にこぉ」


「…、まだだね。今日は他の仕事は良いから、にごぉ、できるまで練習して」


「わかりました」


 ヴィルテは足を止めた。


 どうやら、あれには訓練が必要らしい。


 席に着き、ガビヤを起動する。


「人によって引きつり方が違う、と」


 ヴィルテはメモを取った。


 しばらくすると、スーツ姿の男性が入店してきた。


「スマイル0円」


「にごぉ」


「ありがとう」


「はい」


 男性は何事もなかったように注文を続けた。


 次にやってきたのは、小さな子供を連れた母親だった。


「すまいるぜろえん!」


「にこぉ」


「ままぁ、なんかここのすまいるぜろえんびみょう」


 店員さんの笑顔が固まった。


「待ってね、ママも注文するからね」母親は、少し申し訳なさそうに、遠慮するように店員さんを見上げた。


 店員さんは頷いた。わかります、とでも言うように。


「すみません……、スマイル0円」


「にごぉ」


「やったー!」


「ふふ、よかったわね。すみません、2回も頼んじゃって」


「いつもなら、一組様一回までなんですが、まあ、内緒ということで」


「ありがとうございます」


 ヴィルテは再びガビヤにメモを取った。


 へえ、注文する人次第で、同じ店員さんでも、引きつり方が変わるんだ……。


 どうやら、ただ引きつればいいというものでもないらしい。


「おまたせしました。今日のおすすめです」


「ありがとうございます。シャコティスですか」


 皿には、切り分けられたシャコティスが載っていた。


 リトアニアでは馴染みのある菓子だ。


 ただし、見慣れないものが添えられている。


「このソースは、いちごですか?」


「はい。評判良いんですよ。わたしはスウェーデン出身なので、わからないんですけど、邪道ですかね」


「食べてみます」


 ヴィルテはシャコティスを一口大に切り、ソースをつけて食べた。


 甘い。


 そして、いちごの酸味がある。


「……おいしいですね」


「本当ですか?」


「はい。ただ、ソースをつけすぎると、シャコティスが湿っちゃうかも」


「ああ、なるほど」


「でも、好きです」


「よかったです」


 店員は安心した様子で笑った。


 普通の笑顔だった。


 ヴィルテはガビヤにそのことも記録した。


 *


「今日のおすすめ、シャルティバルシチャイですか……。じゃあ、お願いします」


 次の店舗では、鮮やかなピンク色の冷製スープが出てきた。


 添えられたジャガイモには、香草とバターが使われている。


 その次はツェペリナイ。


 さらにクーゲリス、キビナイ、ヴェダライ、ジャマイチュ・ブリーナイ。


 どれもこれも、独自のアレンジがなされていた。


 ツェペリナイには数種類のソースが用意され、クーゲリスにはきのこが加えられている。キビナイには野菜を中心にした具もあった。


 いずれもおいしかった。


 しかし。


「……なぜ」


 ヴィルテは七軒目のOic Buvetteで、とうとう店員に尋ねた。


「あの、どうしてリトアニア料理がこんなに多いんですか?」


「外務大臣はリトアニアがお好きなんです」


「へえ、外務大臣って、哲学ヨハンナさん?」


「哲学ヨハンナ? そちらは知りませんが、ヨハンナさんですね」


「そうなんだ」


「たまに大音量でリトアニアの国歌を聴いてますよ。なんか、リズムと曲がお好きなようで、よく歌ってらっしゃるところを目撃されてます」


「……国歌を?」


「はい。ワーキングホリデーも、リトアニアが記念すべき最初の提携国です」


「へえ……」


 ヴィルテはガビヤを見下ろした。


 外務大臣。


 リトアニア好き。


 国歌を歌う。


 最初のワーキングホリデー提携国。


 なんとなく、つながっているような気はする。


 しかし、なぜそこまで好きなのだろう。


 そう考えていると、店の奥から歌声が聞こえてきた。


『♬♪♬』


「……歌ってる」


 上手い。


 発音も完璧だ。


 ヴィルテはしばらく耳を傾けた。


「……ほんと、なんなんだろうな、あの人」


 *


 中央文化区画の大聖堂広場。


 ヴィルテは広場の中央に立ち、周囲を見渡した。


 ここもヴィリニュスそっくりだ。


 建物の外観や色合い、スケールまで。


 大聖堂の白い壁。広場を囲む街並み。石畳の広がり。


 故郷に帰ってきたような気分になる。


 ただし、ここはカラディシアだ。


 ヴィルテはふと、あることを思い出した。


 ヴィリニュスの大聖堂には、以前、自分が見つけた猫のような形のシミがある。


 大聖堂の影になる場所だ。


 観光客がわざわざ見に行くようなものではない。


 試しに、同じ場所へ向かってみた。


 壁沿いを歩き、角を曲がる。


 少し屈んで、目を凝らす。


「あった」


 猫のようなシミ。


 形も、位置も、ほとんど同じだった。


 ヴィルテはしばらくそれを見つめた。


 こんなところまで再現されている……。


 建物をそっくりに作るだけでも大変だろう。


 それなのに、どうしてこんなシミまで。


「なんなんだ、あの人……」


「謎だよね」


 突然、隣から声がした。


 ヴィルテはそちらを見る。


「ウィルヴェルさん」


「やあ、奇遇だね」


 カメラを提げたウィルヴェルが、片手を上げていた。


 いつものデニム姿だ。


「何してるんですか?」


「取材。ヴィルテちゃんは?」


「モニターです」


「なるほど」


 ウィルヴェルは大聖堂を見上げた。


「いやあ、しかし、よくできてるねえ」


「ヴィリニュスに行ったことあるんですか?」


「もちろん。何度か」


「じゃあ、これも知ってます?」


 ヴィルテは壁のシミを指差した。


「猫みたいなシミ」


「ん?」


 ウィルヴェルは近づいて、屈んだ。


「あ、本当だ」


「ヴィリニュスにもあるんですよ。まったく同じ場所に」


「へえ」


 ウィルヴェルはカメラを構えた。


 シャッター音が鳴る。


「知らなかった」


「こんなところまで再現する必要、あります?」


「ないね」


「ですよね」


「でも、面白い」


 ウィルヴェルはもう一枚撮った。


「ヨハンナししょー、こういうの好きそうだなあ」


「……やっぱり、ヨハンナさんが?」


「さあ?」


「さあって」


「ししょーが全部決めたかどうかは知らない。でも、こういうのを見つけたら喜ぶ人ではあるね」


「……そうなんですか」


「ふっふっふ、とか言いながら」


 ウィルヴェルはヨハンナの口調を真似た。


 ヴィルテは思わず笑った。


「似てますね」


「弟子なんで」


「関係あります?」


「たぶん」


 ウィルヴェルはカメラの画面を確認した。


 そこには、白い壁と、小さな猫のようなシミが写っていた。


「ところで、ヴィルテちゃん」


「はい」


「これ、記事にしていい?」


「どうぞ」


「発見者として名前も載せる?」


「いえ、別に」


「じゃあ、匿名のリトアニア人少女が発見したことにする」


「それ、必要ですか?」


「ちょっと記事っぽくなる」


「そうですか」


 ヴィルテはガビヤを取り出した。


 自分も、このシミのことを記録しておこう。


 カラディシアの大聖堂。


 ヴィリニュスの大聖堂とほぼ同じ。


 猫のようなシミまで再現。


 理由、不明。


 ヴィルテは最後に、もう一行書き加えた。


『ヨハンナさんに聞いてみる』


 もっとも、まともな答えが返ってくるかどうかは、わからなかった。

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