1 Oic Placeへ
Oic Place。
「なんすかここ」
「Oic Placeだよ。わざわざホテルに泊まるなんて、リサーチが足りないねぇ」
「ふーん」
ウィルヴェルは建物を見上げた。
四階建ての大きな建物だった。外壁には大きな窓が並び、屋上には植え込みが見える。入口には人の出入りが絶えず、買い物袋を提げた老人や、リュックを背負った学生たちが行き交っていた。
「ホテルなんすか?」
「違うよ」
「じゃあなんなんすか」
「公共施設だねぇ。無料で寝泊まりできるし、シャワーも洗濯機もあるよ。Wi-Fiも使える」
「へー。いくらです?」
「無料だって言っただろう」
「いや、宿泊が」
「無料だよ」
「……マジすか」
「ふっふっふ」
哲学ヨハンナは入口へ向かった。
ウィルヴェルも後に続く。
自動ドアが開くと、暖かい空気とともに、人々の話し声が流れてきた。
入口の脇には靴箱が並んでいた。
「靴を脱ぎなよ」
「はいはい」
ウィルヴェルはスニーカーを脱ぎ、靴箱に収めた。
哲学ヨハンナも靴を脱いだ。
広々とした室内にはマットレスが敷き詰められ、あちこちで人々が思い思いに過ごしていた。
本を読む者。横になって眠る者。ノートパソコンを開く者。コーヒーを飲みながら談笑する者。
壁際には飲食スペースがあり、その向こうにはシャワー室や洗濯設備への案内が見えた。
「……なんか、すごいっすね」
「そうかい?」
「みんな住んでるんすか?」
「住んでるわけじゃないよ。利用してるだけさ」
「泊まり放題?」
「そうだねぇ」
「食べ物は?」
「有料のものも無料のものもあるよ」
「へー……」
ウィルヴェルは首から提げたカメラに手を伸ばした。
「撮っていいっすか?」
「ふっふっふ、まずは人に聞くことを覚えたようだねぇ」
「さすがに今日の今日ですからねぇ」
「人の顔が写るなら許可を取りなよ」
「はーい」
ウィルヴェルはカメラを構え、天井から差し込む光と、広い室内を撮影した。
ぱしゃ。
「……」
ぱしゃ。
「……」
ぱしゃ。
「きみねぇ」
「人は写してないっすよ」
「そうかい」
哲学ヨハンナは肩をすくめた。
「こっちだよ」
二人はマットレスの間を歩いていった。
途中、床に寝転がっていた若い男が、哲学ヨハンナに片手を上げた。
「よー、ヨハンナ」
「やあ」
「今日も仕事?」
「仕事帰りだよ」
「お疲れー」
「ふっふっふ、どうもねぇ」
少し進むと、今度はコーヒーを飲んでいた女性が声をかけてきた。
「ヨハンナさん、昨日の件ありがとうございました」
「気にしなくていいよ」
「またお願いしますね」
「考えとくよ」
ウィルヴェルは隣を歩く哲学ヨハンナを見た。
「顔広いっすねぇ」
「そうかい?」
「外務大臣って、こんなとこ来るんすか」
「来るよ」
「暇なんすか?」
「暇になりたいねぇ」
「でしょうねぇ」
哲学ヨハンナは小さく笑った。
やがて、室内の一角から電子音が聞こえてきた。
ゲームの効果音だった。
「だからねぇ、ラックスはCCが強いしシールドも張れるから、エンチャンターにもなれるんだよ」
「なるほど。あ、このバトルアカデミアスキン良いですね」
「可愛いよねぇ。ちなみに、個人的には、ヘイストと火力に偏ったビルドが強いと思うよ」
「へー」
マットレスの上に、二人の少女が座っていた。
一人はパーカー姿で、ゲーム画面に向かっている。
もう一人は長い髪の少女で、隣から画面を覗き込んでいた。
ウィルヴェルは足を止めた。
「……」
パーカー姿の少女を見た。
隣の哲学ヨハンナを見た。
もう一度、パーカー姿の少女を見た。
「……ししょー」
「なんだい」
「いるんすけど」
「いるねぇ」
「ししょーが」
「そうだねぇ」
「……」
哲学ヨハンナは二人に近づいた。
「やあ」
パーカー姿のヨハンナが顔を上げた。
「やあ」
「調子はどうだい」
「いい感じだよ。ラックスの話をしてたんだ」
「そうかい」
「そっちは?」
「仕事帰りだねぇ」
「お疲れさま」
「ふっふっふ、どうもねぇ」
ウィルヴェルは黙って二人を見比べていた。
顔も声も同じだった。
片方はスーツ姿で、もう片方はパーカー姿。
片方は外務大臣で、もう片方はゲームをしている。
「……」
ウィルヴェルは哲学ヨハンナの袖を引いた。
「ししょー」
「なんだい」
「さっきの取り調べ室の向こうにもいたんすよね」
「いたねぇ」
「ここにもいるんすか」
「いるねぇ」
「カラディシアには何人いるんすか」
「さあねぇ」
「さあねぇって」
「ふっふっふ」
ゲームをしていたヨハンナが、ウィルヴェルを見上げた。
「やあ、ウィルヴェル」
「あ、どもっす」
「大統領官邸、綺麗だったかい」
「めっちゃ綺麗でした」
隣に座っていたリトアニア人の少女が、怪訝そうに三人を見ていた。
「……お知り合いですか?」
「そうだよ」
哲学ヨハンナが答えた。
「名探偵ヨハンナの弟子でねぇ。イギリスから来た記者なんだ」
「へえ」
「こっちはヴィルテ。リトアニアから来たばかりなんだよ」
「ヴィルテ・コントリマイテです」
「あ、ども。ウィルヴェルっす」
ウィルヴェルは片手を上げた。
「記者さんなんですか?」
「そうっすよ。旅行の記事とか、ガイドブックとか書いてます」
「へえ。私も今、ガイドブックを作ってるんです」
「えっ」
ウィルヴェルはヴィルテを見た。
「マジすか」
「はい。まだ作り始めたばかりですけど」
「へえー」
ウィルヴェルは隣に腰を下ろした。
「どんなの作ってるんすか?」
「えっと、観光客向けなんですけど、普通の観光地だけじゃなくて、スーパーとか、普段の生活で使うお店とかも紹介したくて」
「……」
ウィルヴェルは目を輝かせた。
「いいじゃないすかー」
「そうですか?」
「そうっすよ。観光地なんて調べりゃ出てくるんすから。大事なのは、そこに住んでる人が普段なにしてるかなんすよねぇ」
「……あ、それ、わかります」
「でしょー?」
二人は顔を見合わせた。
哲学ヨハンナは、近くのマットレスに腰を下ろした。
「ふっふっふ」
ゲーミングヨハンナが画面を指さした。
「ところで、ラックスの話は?」
「あ、そうでした」
ヴィルテはゲーム画面に視線を戻した。
「すみません、ちょっと待ってください」
「いいっすよー」
ウィルヴェルも画面を覗き込んだ。
「なにやってるんすか?」
「ワイルドリフトだよ」
「強いんすか?」
「ふっふっふ」
ゲーミングヨハンナは笑った。
「コミットしてるよ」
「結果にねぇ」
哲学ヨハンナも笑った。
「……」
ウィルヴェルは二人を見た。
「なんすかそれ」
「ふっふっふ」
「ふっふっふ」
「……」
ヴィルテは小さくため息をついた。
「気にしないほうがいいですよ」
ウィルヴェルは頷いた。
「知ってるっす」
「そうなんです」
ヴィルテは、少しだけ嬉しそうに答えた。




