11 ズレてるねぇ
「……」
ここにいたのか。
ヴィルテは、カラディシア国際空港のジムに足を踏み入れた。
広々とした室内には、トレッドミルやエアロバイク、筋力トレーニング用のマシンが整然と並んでいる。壁の一面は大きなガラス窓になっており、その向こうには、雪に覆われた滑走路が広がっていた。
外はもう薄暗い。
天井の照明に照らされた室内では、何台ものトレッドミルが動いていた。
ういん、ういん、ういん。
「ふっふっふ」
「聞いたかい」
「聞いたねぇ」
「白米だって」
「楽しみだねぇ」
「コミットしなよ」
「結果にねぇ」
しごできヨハンナたちだった。
パンツスーツではなく、スポーツウェアを着ている。
何人ものヨハンナが、それぞれのトレッドミルの上を走りながら、楽しそうに話していた。
どうやら、先ほどのラジオヨハンナの配信を聴いていたらしい。
ヴィルテは、その光景をしばらく眺めていた。
仕事中もヨハンナ。
休憩中もヨハンナ。
仕事が終わってもヨハンナ。
この空港には、ヨハンナしかいないのだろうか。
いや、そんなことはないはずだ。
ヴィルテは室内を見渡した。
奥の床には、ピラティスマットが何枚も敷かれていた。
その上で、ヨハンナたちが寝ていた。
昼寝ヨハンナたちだった。
仰向けになっているヨハンナ。
横向きになっているヨハンナ。
目を閉じ、両手をお腹の上に置いているヨハンナ。
みんな静かだった。
他のところで寝ればいいのに。
ヴィルテは眉をひそめた。
しかし、すぐに首を傾げた。
違う。
よく見ると、ヨハンナたちのお腹が、ゆっくりと上下している。
吸って。
吐いて。
吸って。
吐いて。
運動してる。
腹式呼吸だ。
「……なるほど」
ヴィルテは小さく呟いた。
昼寝ヨハンナたちは、目を閉じたまま呼吸を続けていた。
その横を通り過ぎようとしたところで、声をかけられた。
「おや」
「ヴィルテちゃん」
「コミットしに来たのかい?」
「結果にねぇ」
「ふっふっふ」
トレッドミルの上から、何人ものヨハンナがこちらを見ていた。
走る速度は落としていない。
「……まあ、そんなところです。ちょっと走ろうかと」
「良いねぇ」
「健康は大事だからねぇ」
「ふっふっふ」
「運動中は音楽を聴きたいので、失礼しますね」
「構わないさ」
ヨハンナたちは、あっさりと頷いた。
ヴィルテは空いているトレッドミルを選び、乗った。
操作パネルに指を伸ばす。
速度設定。
まずは七キロで行こう。
スタートボタンを押す。
ういん。
足元のベルトが動き始めた。
最初はゆっくり。
やがて速度が上がり、ヴィルテは軽く走り始めた。
Rowena5で音楽を再生する。
イヤホンから流れてきた音に合わせて、足を運ぶ。
たっ、たっ、たっ、たっ。
窓の向こうでは、雪が降っていた。
滑走路の誘導灯が、薄暗い空の下で点々と光っている。
ヴィルテは呼吸を整えた。
たっ、たっ、たっ、たっ。
走る。
走る。
時々、操作パネルに表示された時間を確認する。
五分。
八分。
十二分。
十五分。
「ふう、水飲も」
ヴィルテは速度を落とし、トレッドミルを停止させた。
足元のベルトがゆっくりと止まる。
イヤホンを外し、タオルで額の汗を拭いた。
喉が渇いた。
水を飲もうと、持ってきたボトルに手を伸ばす。
「……」
何かを感じた。
視線だった。
ヴィルテは振り返った。
ヨハンナがいた。
三人も。
いつの間に近づいてきたのだろう。
三人のヨハンナが、少し離れたところに立って、こちらを見ていた。
何やら真剣な顔をしている。
「フォームはねぇ」
一人目のヨハンナが言った。
「悪くないけどねぇ」
二人目のヨハンナが続けた。
「体幹がちょっと」
三人目のヨハンナが、ヴィルテの姿勢を眺めた。
「ズレてるねぇ」
「……」
ヴィルテは三人を見た。
三人とも、こちらを見ていた。
「……見てたんですか」
「ふっふっふ」
「なかなか良い走りだったよ」
「ただねぇ」
「体幹がねぇ」
「ズレてるねぇ」
「……」
ヴィルテは水を飲んだ。
ごく、ごく。
それから、もう一度三人を見た。
「……音楽を聴いてるので」
「ふっふっふ、そうだったねぇ」
「失礼したねぇ」
「水分補給は大事だよ」
「そうだねぇ」
三人は頷いた。
そして、その場を離れていった。
ヴィルテはしばらく、その背中を見送っていた。
ういん、ういん、ういん。
ジムには、相変わらずトレッドミルの音が響いている。
奥のピラティスマットでは、昼寝ヨハンナたちが静かに腹式呼吸を続けていた。
ヴィルテはイヤホンをつけ直した。
操作パネルに手を伸ばす。
スタート。
ういん。
ベルトが動き始める。
ヴィルテは走り出した。
少しだけ、背筋を伸ばして。




