10 確証バイアスと壊れているかもしれない体重計の関連性について語ろうか。まずはねぇ、確証バイアスというのはねぇ…(2時間後)…つまりこれが確証バイアスと正常性バイアスの違いというわけでねぇ、つまり…
ここは、カラディシア国際空港の大浴場。
今晩は、空港で夜を明かすこととなった。
午後四時。
終業を告げるアナウンスが空港構内に流れると、それまであちこちで働いていた大量のヨハンナたちは、さっさと仕事を切り上げ、どこかへ行ってしまった。
工具を片付け、端末を閉じ、上着を羽織り、帰っていく。
ほんの数分前まで、あれほど賑やかだった空港が、嘘のように静かになった。
みんなどこに消えたのか。
ヴィルテには、あまり気にもならなかった。
こんな状況では、なおさらだ。
「……」
ヴィルテは、体重計の目盛りを見つめていた。
もう一度、見つめた。
「……」
一度降りる。
少し待つ。
もう一度乗る。
「……」
数字は変わらなかった。
ヴィルテは体重計から降り、鏡の前に立った。
正面を向く。
横を向く。
お腹のあたりを見下ろし、もう一度、鏡を見る。
首を傾げた。
おかしい。
確かに、カラディシアへ来てからというもの、食事には困っていなかった。
蕎麦も美味しい。
おにぎりも美味しい。
ハンバーガーも美味しい。
しかも、安い。
安いから、つい買ってしまう。
買ってしまうと、食べてしまう。
食べてしまうと。
「……」
ヴィルテは、もう一度体重計を見た。
「……哲学ヨハンナさん」
「ふっふっふ、なんだい」
「これ壊れてますよ」
少し離れた洗面台で、哲学ヨハンナが歯を磨いていた。
パジャマ姿だった。
「ふっふっふ、現実と向き合う強さについて語ろうか?」
「だって、カラディシアのご飯美味しいんですもん!」
「ふっふっふ」
しゃこしゃこ。
哲学ヨハンナは歯を磨きながら、洗面台の脇に立てかけたRowena9を眺めていた。
画面には、ラジオヨハンナが映っている。
いつものライブ配信だった。
ただし、画面の中のヨハンナは、いつものように椅子に座ってはいなかった。
ういん、ういん、ういん。
規則的な機械音。
上下に揺れる金髪。
ラジオヨハンナは、トレッドミルの上を走っていた。
『ふっふっふ、実はねぇ、今度Oic Cornerに白米が出るんだよ。お米だねぇ。みんながいつも食べてるのは玄米。栄養価が高くて血糖値にも良いとされている。白米は、栄養価は玄米ほどじゃないけどねぇ、とにかく美味しいのさ』
ぴく、と、ヴィルテの耳が動いた。
白米。
ヴィルテは画面を見た。
『最近血糖値を気にしていてねぇ。ライブ配信を見ている人は、不思議に思ってただろうねぇ。音声だけの人も、なんかういんういん鳴ってるなって気になってるねぇ』
ういん、ういん、ういん。
『そう、トレッドミルに乗りながら配信してるんだよねぇ。やっぱり、喋ってるだけだと運動量がねぇ、気になるのさ』
ラジオヨハンナは走っていた。
画面の端には、トレッドミルの操作パネルが映っている。
数字が表示されていた。
15.0km/h。
『白米ねぇ、そう、美味しいよ。ただ血糖値がねぇ、気になるからねぇ、はっ、はっ、はっ、こうやって、時速十五キロで、ジョギングしながら、配信してるのさ、罪悪感から、目を、背けるために、ねぇ、ふっ、ふっ、ふっ』
ういん、ういん、ういん。
「……」
ヴィルテは黙って画面を見ていた。
ラジオヨハンナは走っていた。
かなり速かった。
それでも、白米の話をやめるつもりはないらしい。
ヴィルテは、体重計を見た。
鏡を見た。
もう一度、画面を見た。
「ふっふっふ、白米はねぇ、美味しいよ」
哲学ヨハンナが、歯ブラシを口から離して言った。
「……ちょっと運動します」
「あっちにジムがあるよ」
哲学ヨハンナが、廊下の方を指差した。
ヴィルテは頷いた。
それから、もう一度だけ体重計を見た。
数字は変わっていなかった。
ヴィルテは洗面所を出た。
背後から、ラジオヨハンナの声が聞こえてくる。
『ふっ、ふっ、ふっ……それでねぇ、白米なんだけどねぇ……』
ういん、ういん、ういん。
ヴィルテは少しだけ歩く速度を上げた。




