5 群れ
翌日、ヴィルテ・コントリマイテは、穏やかな雪の中をキックボードで進んでいた。
カラディシアには、Oic Cycleというシェアサービスがある。
自転車とキックボードを貸し出すサービスで、街のあちこちに設置されたステーションから自由に借りることができる。
利用方法は簡単だ。
Oic Payアプリで車体のQRコードを読み取るだけ。
足漕ぎタイプなら一時間、電動タイプなら三十分以内の利用が無料。それを超えると、十分ごとに足漕ぎタイプは十レフ、電動タイプは三十レフが加算される。
返却は、ステーションと呼ばれる縦一・五メートル、横三十メートルほどの四角い枠の中に車体を置くだけだ。自動的に利用時間が計算され、決済される。
もしステーションが満杯だった場合は、その様子を撮影してバーチャルアシスタントのローウェルに見せればいい。状況に応じて料金が割り引かれたり、無料になったりする。
ヴィルテがこのサービスを利用するのは、今日が初めてだった。
カラディシアには自家用車がない。
住宅街には商店や飲食店、公共施設が点在していて、普段の生活に必要なものは大抵徒歩圏内にある。
これまでは、わざわざ自転車やキックボードを借りる必要を感じなかった。
しかし、空港までは十キロメートル以上ある。
さすがに歩くのは面倒くさかった。
ヴィルテは地面を蹴った。
キックボードが雪の舞う街路を滑るように進んでいく。
建物の壁際にはムーヴァーが走っていた。
その上では、立ったままカップシリアルを食べている人や、コーヒーを飲んでいる人がいる。
歩道を歩く人。
走る人。
ヴィルテはそんな人々を横目に、もう一度地面を蹴った。
すいすいと進む。
街路は碁盤目状に整備されていた。
交差点には矢印と方角が描かれ、角を曲がった先に何があるのかも、建物の外壁を見ればわかるようになっている。
一定の距離ごとに、区画内の地図も設置されていた。
地図アプリを開く必要はなかった。
まっすぐ進み、時折角を一つ二つ曲がる。
また、まっすぐ進む。
灰色の空から、細かな雪が降り続いていた。
ヴィルテは時々速度を落として案内表示を確認しながら、空港へ向かった。
およそ一時間後。
カラディシア国際空港第4ターミナルに到着した。
空港内のステーションにキックボードを返却する。
Rowena5に利用終了の通知が届いた。
ヴィルテは端末をポケットにしまい、ターミナルの入口へ向かった。
巨大なガラスの自動ドア。
その前に立つ。
開かない。
少し待つ。
開かない。
ヴィルテはドアに手をかけた。
開いた。
手動だった。
建設途中だからだろう。
ヴィルテは中へ入った。
天井が高い。
床は磨かれ、照明が規則正しく並んでいる。遠くまで続く通路の両側には、まだ営業していない店舗や、工事用の資材が置かれていた。
入口の正面には、巨大な縦長のポスターが掲げられていた。
『世界一空気の綺麗な国 カラディシア』
「……」
ポスターには、凛々しい顔をしたヨハンナが写っていた。
どこか遠くを見つめながら、ほくそ笑んでいる。
ヴィルテはしばらく眺めた。
まあ、今更こんなことじゃ驚かない。
写真を一枚撮り、先へ進む。
数百メートルほど歩いたところで、見覚えのある金髪が見えた。
哲学ヨハンナだった。
普段の哲学ヨハンナは、濃紺のパンツスーツに、光沢のあるシルクのシャツを着ている。
今日はパジャマだった。
「哲学ヨハンナさん」
「やあやあ、来たね」
ヨハンナが片手を上げた。
「今日はわたしときみの貸し切りだよ。ふっふっふ、行こうか、案内するよ。一般エリアだけだけどねぇ。ゲートの向こうはさすがにセキュリティに関わる設備があるから見せられないけど、一般エリアだけでも十分楽しめると思うよ」
「よろしくお願いします」
「ふっふっふ、ところどころ作業中だけれど、十六時にはみんな上がるからね」
「はい」
二人は歩き始めた。
ターミナルの内部は、外から見た以上に広かった。
天井から吊り下げられた案内板。長く伸びる通路。壁一面を占めるガラス窓。
その向こうには、雪に覆われた滑走路が広がっている。
ヴィルテはカメラを構えた。
ぱしゃ。
ぱしゃ。
遠くから声が聞こえてきた。
「これどっちだったかな」
「B倉庫だねぇ」
「あれ持ってきてほしいねぇ」
「なんだい?」
「なんだったかなぁ」
「プラスドライバーかい」
「それではないんだけどねぇ、もうちょっとくれないかい?」
「マイナスドライバーかい」
「それでもないねぇ」
「そこ通るよぉ」
「おっと、すまないねぇ」
「六角レンチかい」
「それでもないねぇ。しっくりこない」
「ペンチかい」
「それだねぇ」
「面倒だから工具箱持ってきたよ」
「ありがたいねぇ」
ヴィルテは歩みを緩めた。
通路の先には、工事中の広大なホールがあった。
鉄骨が積まれ、足場が組まれ、床には工具や資材が並んでいる。
「鉄骨通るよぉ」
「危ないよぉ」
「ふっふっふ、危なかったねぇ」
「設計図これかい?」
「それだねぇ」
「スクリーンはないか……こっちの壁に写しちゃおう」
「みんなが確認できるねぇ」
「便利だねぇ」
「ふっふっふ」
「ふっふっふ」
「ふっふっふ」
「……」
ヴィルテは絶句した。
ヨハンナがいた。
大量のヨハンナ。
群れだった。
みんな作業着を着ている。
設計図を広げているヨハンナ。
資材を運んでいるヨハンナ。
釘を打っているヨハンナ。
金属を加工しているヨハンナ。
壁に映し出された設計図を眺めているヨハンナ。
どこを見てもヨハンナだった。
しかも、みんな手作業で建設を進めている。
ヴィルテは隣を歩く哲学ヨハンナを見た。
パジャマ姿だった。
もう一度、建設現場を見た。
作業着姿のヨハンナたちが働いていた。
「ベンチはここだねぇ」
「ベンチは慎重にねぇ」
「ベッドだからねぇ」
「大事だよ」
「大事だねぇ」
「睡眠はねぇ」
「人生の質に関わるからねぇ」
数人のヨハンナが、ベンチを運んでいた。
長い金属製のベンチだった。
壁際に置こうとして、いったん止まる。
「ここだと、昼は日当たりが強くないかい」
「そうだねぇ」
「こっちにしようか」
「それだ、そっちだねぇ」
ヨハンナたちはベンチを持ち上げ、少し離れた場所へ運んでいった。
ヴィルテはその様子を眺めていた。
建設途中の国際空港。
大量のヨハンナ。
その全員が、ベンチの置き場所について真剣に考えている。
ヴィルテはゆっくりと端末を構えた。
ぱしゃ。




