1 はじめてのバイト
外務大臣は仕事を紹介したい
「でも、なにやれば良いんですか?」
ヴィルテは、クロワッサンの最後の一欠片を口に運んだ。
夕暮れのパリエリア。路地裏のカフェには、コーヒーの香りと食器の触れ合う音が漂っていた。
哲学ヨハンナは、カフェ・オ・レを飲みながら考えた。
「そうだねぇ、文章を書いたことは?」
「ありません」
「SNSは?」
「それほど」
「動画も?」
「撮りません」
「普段なにやって過ごしてるんだい」
「宿題と昼寝ですかね」
「そうかい」
哲学ヨハンナは頷いた。
「じゃあ、ローウェルを出してご覧よ」
「えっと、どうやれば」
「ふっふっふ、こうさ」
哲学ヨハンナは、ポケットからRowena5を取り出した。
「オーケーローウェル」
『はい、外務大臣』
画面にストップウォッチが表示された。
数字が、秒単位で増えていく。
「なんの表示だい」
『初回限定無料サービスの開始です』
「了承してないねぇ」
『サービスを提供するのはこちら側なので』
「一理あるねぇ。じゃあ、そこのメモリを消去」
ストップウォッチが消えた。
『お呼びですか』
「呼んだねぇ」
『ご要件をお伺いいたします』
「もう要件は済んだよ」
哲学ヨハンナは、Rowena5をポケットにしまった。
「こういう感じさ」
「なるほど」
ヴィルテもRowena5を取り出した。
普段は時刻を確認したり、連絡を取ったりする程度で、音声アシスタントを使ったことはなかった。
「オーケーローウェル」
『はじめまして』
画面が淡く光った。
「わたしはヴィルテ・コントリマイテ。ヴィルテって呼んでください」
『はい、ヴィルテ。ご要件をお伺いいたします』
ヴィルテは、哲学ヨハンナを見た。
「これでどうします?」
「ふっふっふ、あとはねぇ、そうだねぇ、インフルエンサーになるとしたらどういう形で活動したい?」
「インフルエンサーって?」
「ユーチューバーやモデルさ」
「そうですね、それなら、顔は出したくないので」
「もったいないねぇ、可愛いのに」
ヴィルテの頬が、ほんのり赤くなった。
顔が熱い。
「ありがとうございます。文章とかですかね」
「いいねぇ、ガイドブックはどうだい?」
「あ、良いですね」
ヴィルテは、少し考えた。
これまで歩いてきた中央文化区画の街並みを思い出す。
ヴィリニュスの広場。京都の鴨川。セーヌ川の緑色の水。煙草の吸い殻を飾る清掃員ヨハンナ。
紹介したいことなら、いくつもあった。
「文章だけだと厳しい時代だからねぇ。まあ、ローウェルなら惹きつける形に仕上げてくれるだろうけどねぇ」
「なるほど」
「活動資金は一日七千レフ。レシートは全部写真に撮って保存しておいてね。そしたら経費で落ちるからねぇ」
「了解です」
七千レフ。
ヴィルテは、頭の中で数字を繰り返した。
「その日の記録を、できればガイドブックの形か、文章の形で送ってほしいねぇ。写真や動画だけでも良いよ。そしたらこっちで仕上げるから」
「はい」
「成果を確認できたら、報酬を振り込むよ。とりあえず、今送っちゃうね。Rowena5でOic Payアプリを開いて」
「はい」
ヴィルテは、アプリを起動した。
哲学ヨハンナも自分のRowena5を取り出し、画面を何度か操作した。
ほどなくして、ヴィルテの端末が震えた。
画面には、入金通知が表示されていた。
+7,000レフ
「あ」
「これが明日の取材費だよ。毎日七千レフが加算されるからねぇ。余ったら好きに使うといいよ」
「ありがとうございます」
「ふっふっふ、好きなところへ行って、好きなことをして、その感想を聞かせておくれ」
「はい」
ヴィルテは、もう一度残高を確認した。
七千レフ。
間違いなく増えている。
「ローウェル出して」
「はい。オーケーローウェル」
『お呼びですか? ヴィルテ』
「やあ、ローウェル」
『おや、外務大臣』
「リマインド。毎日十九時に、ヴィルテちゃんに、哲学ヨハンナ外務大臣への報告を」
『タスクを生成しました』
「ありがとう」
『外務大臣』
「なんだい」
『外務大臣のローウェルから言伝を』
「なんだい」
『初回限定無料サービスのメモリを削除したとのことです』
「よかった。ありがとう」
『失礼いたします』
哲学ヨハンナは、カフェ・オ・レを飲んだ。
「仕事ができすぎるのが玉にキズだねぇ」
『聞こえてますよ』




