5 外務大臣は旅をしたい
ムーヴァーに揺られること、およそ20分。
ヴィルテと哲学ヨハンナは、中央文化区画に到着した。
カラディシアの中央に位置するこの地区は、国の発祥の地でもある。
カラディシアの成り立ちを簡単にいえば、すべてはこの中央文化区画から始まった。
かつて、この一帯には遺跡のように荒れ果てた街があった。
そこにジプシーやロマ、ヒッピー、そしてヨハンナが住み着いたのが始まりらしい。
廃墟を修復し、道路を整え、屋根を直し、井戸を掘る。
人が住めるようにしているうちに、旅人たちの間で、ある噂が広まった。
旅人の楽園がある。
誰が言い始めたのかはわからない。
しかし、噂を聞きつけた旅人たちが集まり、やがて住み着く者も現れた。
人が増え、資金が集まり、街が広がった。
そして、現在。
人口700万人に及ぶ国家、カラディシアが完成した。
もっとも、国土の大部分を占める居住区画は、かなり規格化された街並みになっている。
横幅200メートルほどの正方形をした、四階建ての建物。
それらが碁盤目状に延々と並び、建物と建物の間には幅の広い道路が走っている。
建物の外壁沿いにはムーヴァー。
その内側には歩道。
そして、通りの中央には自転車道。
それが、どこまでも続いている。
もちろん、建物の外観や植栽には違いがあるし、ところどころに広場や公園もある。
しかし、基本的には同じ構造の街が延々と続くため、場所によっては、ちょっとしたリミナルスペースのようでもあった。
ところが、中央文化区画は違う。
ムーヴァーを降りたヴィルテは、目の前に広がる街並みを眺めた。
石畳。
街灯。
古い煉瓦造りの建物。
尖塔を備えた教会。
通りの向こうには、いくつもの煙突と、雪をかぶった屋根が重なっていた。
まるで、ヨーロッパ中の旧市街を、一か所に詰め込んだような場所だった。
とあるエリアには、ヴェネツィアやアムステルダムを思わせる運河がある。
水辺には古い石造りの建物が並び、橋の欄干には雪が積もっている。
とあるエリアには、ドナウ川を臨むウィーンのような街並み。
別のエリアには、ストックホルムのガムラスタンを思わせる、細い路地と色鮮やかな建物。
そして、ヴィルテの故郷であるヴィリニュスの街並みを再現した地区もあった。
中央文化区画には、ムーヴァーがない。
あるのは、延々と続く石畳だけだ。
もっとも、古い街並みの中にも、カラディシアらしいものはあった。
石造りの建物の一階には、Oic Cornerが入っている。
店先には共通規格の紙カップを返却するための回収口が設けられ、古風な鉄製の看板の下には、電子メニューが表示されていた。
路地の入口には、Rowenaの充電設備。
古い街灯に見えるものも、よく見れば小型の監視装置を備えている。
石畳の上を電動キックボードが走り、屋根の上には、雪をかぶった小さな庭園があった。
そして、通りの向こうでは、何かが宙を飛んでいた。
人だった。
ヴィルテは特に気にしなかった。
「さ、どこに行こうか」
哲学ヨハンナが言った。
「決めてないんですか」
「ふっふっふ、必要な時だけガイドになろうかと思ってねぇ」
「そうですか」
「大丈夫、ご飯は奢るよ。ご飯だけはねぇ、ふっふっふ」
「あ、ありがとうございます」
なにが面白いんだろう。
ヴィルテは、いつも通り困惑しながらお礼を言った。
哲学ヨハンナは、特に行きたい場所があるわけではないらしい。
それなら。
「じゃあ、とりあえず」
ヴィルテは、近くの建物の外壁に描かれた案内表示を見た。
石壁には、いくつもの矢印と行き先が記されている。
ヴィリニュス。
ガムラスタン。
ウィーン。
運河地区。
その他にも、いくつかの地名が並んでいた。
「ヴィリニュスエリアで」
「ふっふっふ、良いねぇ」
二人は石畳の通りを歩き始めた。
街灯の下では、厚手のコートを着た人々が行き交っている。
道端の小さな店からは、焼き菓子の匂いが漂っていた。
通りの角には、古い木製の扉を備えた建物があり、その横にはOicのロゴがついた小さな端末が設置されている。
「一昨日も来たんです」
「知ってるよ」
「やめてくださいなんで知ってるんですか」
「ゲーミングヨハンナに話してたじゃないか」
「あぁ、感覚を共有してるんでしたね」
「ふっふっふ」
ヴィルテは、少しだけ眉を寄せた。
便利な魔法だとは思う。
ただ、自分が誰かに話したことを、別の誰かが当然のように知っているというのは、どうにも落ち着かない。
もっとも、ヨハンナたちにとっては、それが普通なのだろう。
しばらく歩くと、視界が開けた。
中央広場だった。
広々とした石畳の広場。
その向こうには、白い大聖堂が建っている。
正面には列柱が並び、背後には大きな屋根が広がっていた。
少し離れた場所には鐘楼。
そして、広場からはピリエス通りとゲディミナス通りが伸びている。
ヴィルテは足を止めた。
見慣れた景色だった。
リトアニアの首都、ヴィリニュス。
その中心部と、ほとんど同じだった。
ゲディミナス通りは、ヴィリニュスのメインストリートだ。
官公庁や商業施設、飲食店などが集まり、国でも有数の繁華街となっている。
その通りが、ここにもあった。
街路樹。
建物の高さ。
窓の形。
通りの幅。
雪の積もった歩道まで、よく似ている。
ただし、こちらのゲディミナス通りには、車が走っていなかった。
自転車や電動キックボードが行き交い、古い建物の壁にはOicの看板が掲げられている。
大聖堂の前には、暖かい飲み物を販売する小さな屋台が並んでいた。
そのうちの一軒では、店員が宙に浮いたままコーヒーを淹れていた。
ヴィルテは、しばらく街並みを眺めた。
「……なんで、こんなに精巧に再現してるんですか」
「ふっふっふ、ヴィリニュスが大好きだからねぇ」
「それは嬉しいですけど」
「それもきみを誘った理由の一つさ」
「そうですか」
哲学ヨハンナは、両手をポケットに入れたまま歩いている。
「他にも、スウェーデンや日本も大好きなんだよねぇ。東京は景観を乱すから不採用にしたけど、京都の街並みはちょっと東の方にあるよ」
「日本か……」
ヴィルテは、昨晩のことを思い出した。
「あ、露天風呂もそうなんですね」
「そうだねぇ。あとは蕎麦や天丼、牛丼、カツ丼もねぇ」
「わたしもたまに食べますよ。お寿司とか。美味しいですけど、Oic Cornerにあるのはなんか違うような」
「ふっふっふ、リトアニアの日本食はやっぱりリトアニアの人々に向けてアレンジされてるねぇ。Oic Cornerの設計には日本人も関わってるからねぇ、こっちが本場の味さ」
「そうなんですね」
「日本のご飯は美味しいからねぇ」
哲学ヨハンナは、満足そうに頷いた。
ヴィルテは、もう一度周囲を見回した。
ヴィリニュスの大聖堂。
ゲディミナス通り。
ピリエス通り。
少し離れた場所には、ヴィリニュスの旧市街を思わせる建物が続いている。
そして、この街の別の場所には、ウィーンやストックホルム、アムステルダム、京都まであるという。
考えてみれば、ずいぶんと贅沢な街だ。
「ここって、旅人の楽園ってよりは、ヨハンナさんの楽園なんじゃ?」
「ふっふっふ、間違っちゃいないさ。わたしも旅人だからねぇ」
「そうですか」
「ふっふっふ」
ヨハンナは楽しそうだった。
ヴィルテは、ふと思い出した。
「悟りヨハンナさんは、15歳くらいのときに遭難してたって言ってましたね」
「ふっふっふ、その過去はわたしたちに共通するものだよ」
「あー、分身前ってことですか」
「そうだねぇ」
二人は広場を横切った。
大聖堂の前では、観光客らしい人々が写真を撮っている。
近くのベンチには、コーヒーを飲む老人が座っていた。
その頭上を、小さな魔法生物が横切っていった。
砂色の毛並みの猫っぽいやつ。
スフィンクスだ。
「遭難はいいよぉ」哲学ヨハンナが言った。「遭難してると増えるからねぇ」
「分身が」
「増えたねぇ」
「……」
「遭難前までは四体が限界だったんだけどねぇ、今はもっと増えるよ」
「…絶しますね」
ヴィルテは、隣を歩く外務大臣を見た。
ヨハンナは、相変わらず楽しそうだった。
ヴィルテは前を向いた。
石畳の向こうには、故郷によく似た街が続いている。
その隣を、遭難すると増える外務大臣が歩いていた。




