11 マイスウィートダーリンエバーネバー
「やべー、まじやべーし」
Oic Cornerに入ってくるなり、女性はそう言った。
二十代くらいの東欧系の女性だった。
メイクが濃い。
長い髪をきれいに整え、肩からバッグを提げている。
片手にはRowena 7。
もう片方の手で、入口の扉を閉めた。
「マイスウィートダーリンエバーネバーから連絡もらって、すぐに来ました!」
ヴィルテは顔を上げた。
マイスウィートダーリンエバーネバー。
聞き覚えがある。
できれば、もう二度と聞きたくなかった名前だった。
「あ、スマホの件っすね」
店員がカウンターの奥から顔を出した。
「そそそ、それそれ!」
「うっす。身元確認できる身分証などお持ちすか」
「これで大丈夫そ?」
女性はバッグから身分証を取り出した。
店員はそれを受け取り、画面に表示された情報と照合する。
「あー、もう全然ばっちしっす。これっすね」
カウンターの奥から、小さな端末を取り出した。
Rowena 5だった。
「それそれー!」
女性が嬉しそうに言った。
「念の為、ロック解除してもらっていいすか?」
「ロックかけてないんよ」
「まじやべーっすね」
「え?」
「今どきちょっとそれはやべーっすよ」
「やっぱり? マイスウィートダーリンエバーネバーにも言われてんだけど、めんどくて」
「先延ばしは癖になるっすよ」
「そだねー。ちょっと今やっちゃうから手伝って?」
「了解っす」
二人はカウンターに並んだ。
ぽちぽち。
ぽちぽち。
「ここ押してもらって」
「これ?」
「そっす。で、こっち」
「おー」
「番号は人に見られないようにしてくださいね」
「おっけー」
女性はRowena 7をカウンターに置き、返ってきたRowena 5を操作していた。
どうやら二台持ちだったらしい。
ヴィルテは、ぼんやりとその様子を眺めた。
Rowena 5。
あの子供がトイレで拾った端末だ。
あれで蕎麦や天丼やカツ丼や牛丼を注文していた。
そして今、持ち主の手に戻り、ようやく画面ロックが設定されようとしている。
よかった。
本当によかった。
「良かった……」
隣で調理担当が呟いた。
「よかったですね」
ヴィルテも言った。
「あぁ。もしスマホを取りに来た人が、あの子の親だったら」
「え?」
ヴィルテは調理担当を見た。
「電話に出た人、うちに子供はいないって言ってたろ」
「ええ」
「だからさっき、あの子を家まで送ったのさ。ご両親の顔を確認したくてね」
「……あー」
ヴィルテは頷いた。
そういうことか。
拾われたスマホ。
持ち主とは別の人物が出た電話。
子供はいないという返答。
そして、やたらと物騒な連絡先。
クソ上司。
きったねぇ肌のお局。
性格の悪い姑。
ネチネチうるさい小姑。
ヴィルテは、あの画面を思い出した。
なるほど。
調理担当は、念のため警戒していたのだ。
スマホの持ち主と子供に、何か関係があるかもしれない。
取りに来た人物が子供の親だと言い出した場合、本当にそうなのか。
だから、先に家まで送り届けて、親の顔を確認した。
「そう。まあ、なかなかめんどくさそうな連絡先ばかりだったから、一応な」
「……よかったですね」
「あぁ」
二人はカウンターの方を見た。
「できた?」
「ばっちしっす」
「やべー、ありがとー!」
「いえいえ。あと、画面ロックだけじゃなくて、紛失時の設定も見といた方がいいっすよ」
「まじ? それもやっとく?」
「今やっといた方がいいっすね」
「そだねー」
ぽちぽち。
ぽちぽち。
ヴィルテは、その様子を見つめた。
店員は親切だった。
女性も素直だった。
調理担当は慎重だった。
子供も、無事に家へ帰った。
すべて丸く収まった。
それは、いいことだった。
とてもいいことだった。
「……」
ヴィルテは、ふと女性を見た。
マイスウィートダーリンエバーネバー。
あの名前の人物は、電話口で言っていた。
これは私の不倫相手のスマホなので、あまり触らないでください。
「……」
ヴィルテは視線を逸らした。
考えないことにした。
他人の事情だった。
それに、もう十分だった。
今日は、他人の事情に首を突っ込みすぎた。
「お待たせ」
調理担当が立ち上がった。
厨房から、天丼を運んでくる。
「XL、できたよ」
「あ、ありがとうございます」
ヴィルテは背筋を伸ばした。
目の前に置かれた丼から、湯気が立ち上っている。
揚げたての天ぷら。
つやのあるタレ。
白いご飯。
いい匂いだった。
ヴィルテは箸を取った。
「いただきます」
天ぷらをひとつ持ち上げる。
さく。
もぐもぐ。
「……」
美味しい。
ヴィルテは、もう一口食べた。
さく。
もぐもぐ。
カウンターでは、店員と女性がまだRowena 5の設定をしていた。
窓の外では、相変わらず猛吹雪が吹き荒れていた。
ヴィルテは天丼を食べた。
今日はもう、何も考えたくなかった。




