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「大丈夫か、ジン?」
アスの声がして、洞窟の天井だけが見えていた視界の中にアスが入り込んでくる。
差し出されたアスの手を取ろうとしたとき、身体感覚が回復していることに気づく。
「麻痺が消えはじめている」
ぼくの独り言に近かったその声に応じて、アスがうなずく。
「蛾の魔獣を倒したからじゃないか」
そうかもしれない。麻痺の効果は鱗粉そのものの成分によるものではなく、鱗粉に付与されていた魔法だったんだろうか。
蛾の魔獣そのものの魔力と一体となって、ぼくにはその違いまでは判別できていなかった。
アスの助けに応じて立ち上がる。
マックスとヴァレンティンの二人はすでに立ち上がっており、ぼくの動作を確認しつつ、これまで戦いの場になっていた洞窟の中へと視線を動かす。
ヴァレンティンが大げさにため息をつく。
「当主が何よりも大事している、マクグレイヴ家の貯蔵庫がこのザマだ」
その言葉のとおり、貯蔵庫の中は壊滅的な状態になっていた。壁にあった木製の棚はどれも残っておらず、木くずになって地面に散乱している。
「だが、気分は悪くない。……しかし結局、あの魔獣、それに結晶とは何だったのだ? それに、アルドリック様は――いや、今は戻ろう」
「ええ。探索は後でもできます。それより蛾の魔獣を倒したことで、アルドリック様にどんな影響が出ているかわからない。……良い影響ならいいんですが」
ぼくの応答にヴァレンティンはうなずき、即座に洞窟を引き返しはじめる。
一度通った貯蔵庫の道は、もう警戒する必要はなかった。
半ば駆けるようにして進み、貯蔵庫の入口の門へと向かう。
マクグレイヴ家の馬車はその門を抜けた先に待っていた。
ヴァレンティンは馬車に駆け寄った速度を落とさないままに、御者台へと飛び乗る。
はじめ、笑顔を向けてきた御者は、驚いた表情で慌てて席を譲った。
「急ぎ、戻ることになった。手綱はわたしがさばかせてもらうぞ」
ヴァレンティンのその言葉を聞きながら、ぼくらも客室へと駆け込む。
乗り込んだ矢先に馬がいななき、そしてぼくらは座席にたたきつけられるように座る。
車輪が大きな音を立てる。馬車がわずな傾斜で跳ね、そして揺れる。
だがそんな運転の中、マックスは座席にしがみつくようにして座りながら、独り言のようにつぶやいた。
「間に合ったはずだぜ。こっちはやるだけのことはやったんだから……あの親父なら、生きのびるに決まってる」
そう言ってマックスは馬車の窓の向こう、マクグレイヴ家の方角へと目を向けていた。
※※※
マクグレイヴ家本邸にたどり着くと、ぼくらはアルドリックの部屋へと駆け戻った。
アルドリックが静養している部屋の扉を、ヴァレンティンは勢いよく開く。
アルドリックは、まだベッドの上へと横たわっていた。
部屋に入ってすぐの位置に、前と同様に、お付きの使用人が座っていた。
「状況は?」
「少し前に、治療魔法師を呼びました。アルドリック様が苦しそうになされたので」
ヴァレンティンが、使用人の肩越しにアルドリックの方を覗き込む。
アルドリックの傍らには、白いローブを身にまとった老年の男性が立っていた。
穏やかな魔力。
本格的な治療魔法を見るのははじめてだった。
彼の手から放射される魔力が、アルドリックの全身をつつみ込んでいる。
「アルドリック様のお加減は?」
ヴァレンティンが治療魔法師へと駆け寄るように近づく。
治療魔法師は、首を横に振る。
「何とかもってはいるよ。今夜さえ持ちこたえれば、だが……」
「頼むぜ、先生」
マックスの言葉に、治療魔法師が彼に目を向け、驚いた顔をする。
しかし、すぐにアルドリックへと目を戻す。
そんな治療魔法師の隣に、ぼくはそっと滑り込む。
治療魔法の暖かな魔力を受けながら、ベッドの中へと手を伸ばし、アルドリックの腕に触れる。
ぼくの行動に気づいた治療魔法師が不思議そうな顔をする。
「君は……?」
「マクシミリアンの友人です。彼が、アルドリック様の身体を蝕み続ける魔法を発見してくれたのです」
ヴァレンティンがはじめた、蛾の魔獣とその魔法の説明を聞きながら、ぼくはアルドリックの身体へと自らの魔力を通し、異質な魔力を探る。
だが、以前に感じた蛾の魔獣のドス黒い魔力は、もうどこにも残っていなかった。
「魔獣の魔力は消えている」
ぼくのその言葉に、最初に反応したのはマックスだった。
「なら……」
「後は体力の問題だ。そればかりは、ぼくたちにもどうにも出来ない」
ぼくのその言葉に、マックスの表情が翳る。
「いいや、久方ぶりに息子さんも来ているんだ。今夜はワシが乗り越えさせる。頑張れよ、アルドリック」
治療魔法師がそう声をかけたとき、不意に、ベッドの中のアルドリックが身じろぎをする。
全員が、反射的にアルドリックの顔に視線を向ける。その目が、ゆっくりと開かれる。
「マクシミリアン……ヴァレンティン……」
うわ言のようなかすかな声だが、その目は確かに二人に向けられている。
「なあ、親父。親父の身体を蝕んでいた元凶は、もう倒して来たんだぜ。ヴァル兄と、俺の仲間と一緒にな。だから、そんな身体ぐらい、治せるよな? そうだろう?」
マックスの震えるようなその言葉の後に、ヴァレンティンが口を開く。
「マクシミリアンは大した男になってましたよ」
その短い一言に、アルドリックは目でうなずく。
そして、ゆっくりと口を開く。
「ありがとう、マクシミリアン……」
アルドリックの目が再び閉じる。緩やかに息をつく。
誰もが、その次の呼吸を待ち望んだとき、ふと治療魔法師が声をあげる。
「まだアルドリックは死なんよ。むしろ話せる体力があるのはいい兆候だ。後は、ワシに任せて出ていっとくれ。こんな会話の後に死なれちゃ困るからな!」
ぼくたちは顔を見合わせ、そっとアルドリックの部屋を後にする。
「わたしたちも休もう。魔獣との戦いで消耗しただろう。部屋へ案内させる」
ヴァレンティンが使用人を呼び寄せ、ぼくらを案内するように命じる。
戦闘に移動と、動き詰めだった重い体を引きずって歩き出したとき、ヴァレンティンの声が背中から届いた。
「わたしからも礼を言っておく。ありがとう、マクシミリアン」
振り返ると、マックスは親指でぼくたちの事を指し示す。
「……俺だけじゃないぜ」
「そうだな。三人とも、心より感謝する」
「ヴァル兄もな。……後は、親父が助かるだけだ」
マックスがヴァレンティンとうなずき合う。
ぼくも、アルドリックの無事を願った。




