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宙をひらひらと素早く舞う蛾の魔獣に、アスは跳躍して攻撃を仕掛ける。
空中では蛾の口吻がアスを襲うものの、剣でさばきつつ羽を狙って仕掛ける一撃は、やはり魔法で防がれる。
「ヴァレンティン、あれがマクグレイヴ家の伝統魔法だとすれば、何か弱点は?」
「弱点と言えるかはわからんが、限界は当然、ある。強大な魔力や質量……ただ、あの剣での突破は難しいだろうな」
ヴァレンティンが自らの手元に、魔獣と同様の正六角形の防壁を作り出す。
ぼくは手を伸ばし、その防壁に触れてみる。
手触りは、固いゴムに似ている。
固い一方でしなやか。その二つのイメージを両立している。
「マクグレイヴ家はこの魔法を隊商を守るために作り上げた。わたしも野盗や獣に遭遇したことは数え切れないほどあるが、破られたことはない」
「ただの一度も、か?」
蛾の魔獣との戦闘を続けながら、アスが声を届かせる。
その息は全くといってもいいほど、乱れていない。
「ああ、戦闘ではな。……決壊しそうな水門を支えたことがある。そのときは水門自体が壊れて、あふれた水と残骸に、わたしの魔法は破られた」
「残念だが、ここでは洪水は起こせないな」
アスの冷静な声がそう告げながら、洞窟の壁面を駆ける。
迫る蛾の魔獣の攻撃をかわし、壁面に刺さった口吻へ向けて振るった剣は、中ほどで口吻を切断する。
蛾の魔獣は怯んだように宙へと舞い戻る。
「しかし、例の魔法は常に展開されているわけではなさそうだな。これで幾分かは、戦いやすいか?」
見上げるアスへ、蛾の魔獣がいる中空から、何かが落ちていく。
ポトリと落ちた何かへ、アスはわずかな間、目を落とす。
それから、じっと蛾の魔獣を見上げる。
「アス、落ちてきたのは?」
「口吻の根元だ。すぐに再生するらしい」
素早いのと、距離があるせいか、ぼくの目ではとらえられない。
だが、先ほどアスが切り落としたはずの口吻は、すでに健在らしい。
ただ、攻撃が一度でも届いたせいなのか、蛾の魔獣は警戒したように、宙へ留まり、なかなか攻撃を仕掛けてこない。
蛾のはばたきと共に、その羽から細かな鱗粉が散っている。
「限界があるというのなら。マックスの魔法にも、破られたことはない?」
二人にたずねたその質問に、答えたのはマックスだった。
「親父とは試したことがあるぜ。防がれたけどな。たぶん、聞いたことがあるんだろ、ヴァル兄」
「ああ。お前の魔力が抑えられなくなってきた頃の話だな」
「ああ。……だけど、あのときの俺の魔力は、さっき繭に向けた程度の魔力だ。今の方がはるかに強い。しかも、あの魔法は紛い物だろ? 破る自信はあるぜ、ジン」
マックスはぼくへうなずいてみせるが、すぐにその表情がかげる。
「ただ問題は、ヤツが素早いことだ。全力で撃ちまくれば当たるかもしれないが……マジで洞窟が崩落しかねない」
宙に浮かぶ蛾の魔獣の動きは、素早いうえに不規則だ。
かつての記憶……夜道での電灯に群がる蛾を思い起こさせる。
確かに、狙いをつけようとするのなら、マックスの魔法でも直撃させるのは困難だろう。
そのマックスの視線は、ヴァレンティンに向けられる。
ぼくが口を挟むまでもなく、頼る相手は決まっているようだった。
その目を受けて、ヴァレンティンがため息をつく。
しかしその仕草は、どこか誇らしげだった。
「なら、わたしが抑えればいい。そういうことだな」
「頼むぜ、ヴァル兄。それでいいな、ジン?」
「どうやら、話は決まったみたいだね」
そうして、ぼくは簡単に作戦をまとめる。
発想としては、シンプルだ。ヴァレンティンの魔法で拘束し、マックスの魔法を当てる。
二人と役割を確認し、最後にアスへと呼びかける。
「アスは可能な限り、蛾の魔獣の動きを制限して欲しい。特に、ヴァレンティンへの攻撃には気をつけてくれ。可能な限り接近することになると思う……アス、どうかした?」
そのとき、ぼくはアスの奇妙な動作に気づく。
普段なら冷静な応答の声がするはずのタイミングで、アスは不意に剣を持たない左腕を上げ、むき出しだったその二の腕で、自らの口元を塞ぐような体勢を取る。
そうして、アスのくぐもった声が届く。
「……三人とも、すぐに離れろ。応答もするな。洞窟から出るんだ!」
アスがこちらへ振り返ろうとしたそのとき、蛾の魔獣が宙から降りてアスを急襲する。
アスは右手の剣を振り上げて応戦するが、左手は口元から離さない。
ぼくにも、アスの意図が読めない。
だが、あの明確な指示……何かがあるのだろうと、後方へ下がろうとしたそのとき、ぼくは不意にバランスを崩す。
……足が、動かない?
傾けた上半身を支える足が出てこず、ぼくは倒れ込むようにその場へお尻をついてしまう。
何だ、これ。
「大丈夫かよ、ジン?」
そう言って駆け寄ろうとしたマックスも、バランスを崩しかけ、なんとかその場に留まる。
そのマックスの肩を支えたヴァレンティンも、どこかふらついている。
何かがおかしい。
そのとき、耳元に、アスの声が届く。
「遅かったか。……可能な限り、呼吸は抑えて聞いてくれ。ヤツは、毒の鱗粉をまいた――おそらく麻痺性の。私も少し吸い込んだ。わずかだから、今のところ問題はない」
視界の奥で、片方の腕だけでの戦いを続けるアスの動きのキレは、普段とそう変わりなく見える。
だが、先ほどに比べると、敵の攻撃を避けるより、剣で弾く回数が増えている。
「ヴァレンティンとマックスは、まだ動けるな? そのままジンを連れて引いてくれ。私は、私で何とかする」
ぼくらは目を見合わせる。
ヴァレンティンが何かを言いかけるが、ぼくは先を制するように、首を横に振る。
どうやら、上半身はまだ動くらしい。
目を洞窟の先へと向ける。
アスが一人で大丈夫だと言っている以上、ぼくらはその言葉に従うだけだ。
ヴァレンティンにその指示は通じたらしい。
マックスとヴァレンティンはうなずき合い、おぼつかない足取りで、共にぼくの両側を支え、アスと蛾の魔獣に背を向ける。
二人に引きずられるように、ぼくは洞窟の出口へ向けて歩く。
ぼくは両手で、マックスとヴァレンティンの二人は片手で口元を抑えて進む。
大人のせいか、ぼくよりもまだまともに体が動くらしい。
意識ははっきりしている。
今のところ、呼吸も問題ない。
ただ、身体機能……特に下半身の感覚が失われつつある。
即効性のようだけれど、解毒まではどのぐらいかかるのだろう?
そのとき、『ヘッドセット』から、アスの鋭い声が届いた。
「まずい……防げ、ヴァレンティン!」
ぼくの左側を支えていたヴァレンティン。
ぼくを支えるその腕が不意になくなり、バランスを崩したぼくをマックスが支える。
グラリと崩れた体勢で、背後へ目を向けたぼくが見たのは、瞬時にマクグレイヴ家の伝統魔法を展開したヴァレンティンと、その目前に迫る蛾の魔獣の巨大な姿。
ヴァレンティンの防壁へ向けて、蛾の魔獣の口吻が鋭く伸びた。




