32
遠征先の村からさらに二時間ほど歩いた湿地に、その魔獣は住んでいた。
湿地は、かつては漁場として使われていた。
今でも魚は豊富に住んでいるはずだと村の人は言う。
だが知能が高いその魔獣は、湿地への人の侵入を許さない。
その魔獣はアスの住処を焼け出されてから、いまぼくらが住んでいる街へと向かう途上で見つけた相手だ。ギルドに依頼は出されていない。
近隣の村では恐れられている――存在を誰もが知っている。
だが、手出しされず、ギルドへの依頼もないのは、人間にその魔獣が狩れるなんて、誰も本気で信じていないからだ。
事実、ぼくらも一度は引き下がっている。
そのときはまだ、アスと二人きりだった。
困っているなら助けたい――そう言うアスと共に湿地にたどり着いたはいいが、魔獣は本能的にアスとの力関係を察したのか、ぼくらの前に姿を現さなかった――そしてアスも、足がとられる湿地にずかずかと踏み入るわけにはいかなかった。
「つまり、リベンジマッチか」
そしていま、広がる湿地を前にしたマックスが、それまで食べていた肉の最後の一口を頬張りながら口にする。
「そうだ。あのときも、近くには潜んでいたはずだ。視線を感じた――だが、ジンですら、魔力を捉えられなかった」
アスの言葉に、ぼくもうなずく。
「今もそうだけど、この湿地自体が魔力を宿してるんだ。魔獣の魔力も、湿地に紛れて感じづらい。隠れるのも上手だ」
「魔獣の位置が特定できればいいのか?」
スープを飲み終えたアスが、鋭い目を取り戻してうなずく。
「ああ。出来るなら、いい足場で戦いたいな。確実に仕留めたい」
ぼくはすでに食事を終え、後片付けをはじめていた。
目の前に広がる湿地へと目を向ける。湖とも川ともいい難い、おそらく深さの安定しない水辺と、水草が入り混じる風景が続いている。
そのどこかに、魔獣が潜んでいる。
「わざわざ来たからには、アイデアはあるんだろ?」
「もちろん。以前との違いはきみだよ、マックス」
マックスが自分を指差し、軽く首を傾げる。
「魔力は湿地全体にみなぎっている。その魔力を、別の魔力で上書きしてやれば、魔獣の位置はわかる」
そうしてぼくは魔力を展開し、二人と『ヘッドセット』でつながる。
「その上で追い立てよう。浅瀬まで来たら、ぼくがアスに位置とタイミングを伝える。……で、何とかなるだろう」
後は出たとこ勝負だ。だが、魔獣に隠れる場所がないとすれば、いずれにせよ時間の問題だ。
「……最近、指示が雑じゃないか? 俺は、要するに、魔力を全体に流し込めばいいんだろ」
そうこぼしながらも、マックスはすでに立ち上がっており、すぐ目の前にある水辺の水面にかがみこんで手を伸ばす。
そして目を閉じて、魔力の感覚に集中する。
マックスは以前に比べると、魔力の操作が向上していた。即時に出来る高威力の魔法を発射するのとは異なり、少しばかり時間はかかるけれど。
どうやらイメージが出来たらしい。マックスがこちらを振り返ってから、告げる。
「……それじゃ、行くぜ」
――それから五分後。
決着はすぐに着いた。
もはや隠れる場を失い、最後の手段でアスに襲いかかったそのワニ型の魔獣は、巨大だった。
頭部の高さがアスの腰ほどもある。
だが牙を広げてアスへ襲いかかったその魔獣は、一撃で頭部を刺し抜かれた。
剣を抜き、その場に崩れ落ちた魔獣を一瞥する。周囲を見渡して、アスは一言、ボソリと口にした。
「この湿地で育つ魚は、美味しいんだろうか……」
※※※
「長旅でしたね。収穫は?」
ヘイワードが、ニヤニヤと笑い顔を向けてくる。珍しく、彼は昼間のギルドの受付に立っていた。
長旅、と言われているものの、せいぜい二日、キルドを空けていただけだ。それに帰ってきたのは昨夜のうちだった。
ただ、すでに混んでいるだろうギルドの食堂に顔を見せたくなかっただけで。
「ほら。割と珍しいモノだと思うけど、どうかな」
ぼくがカウンターに置いたのは、魔力が抜け出て崩れ去った後に残った、ワニ魔獣の革の一部だった。
多くの魔獣は、倒した後に皮を残すことはない。他の柔らかい部位と共に灰となって消え去ってしまう。
だが、以前に狩ったことのあるヒドラ同様に、今回のワニ型魔獣は硬い皮膚の表面を残していた。
ヘイワードはその革の表面を見つめ、魔力を宿した手をかざす。
やがて難しい顔をする。
「これは……何とも、評価が難しいですね」
「ありふれたもの、ってわけでもないんだろう? ……いや、逆か。ひょっとして、未発見のモノなのか?」
その可能性は考えていた。魔獣から得た革は、ヒドラのものに似ていたけれど、見たことのない紋様を有していた。
つまり、流通している武器や防具には使われていない。
残るのは、全く価値のないものか、あるいはほとんど人の目に触れないほど希少なものである可能性――そして後者の場合、それだけでは、高く売れるとは限らない。
使った人がいなければ、有用であるかすらわからないのだから。
「ほぼ、正解です。この革は、少なくとも流通はしていない。組成は、ヒドラの革と似てますが……加工が可能かどうかは不明ですね。そのあたりも踏まえて、同量のヒドラ革と同値なら買い取りますが、どうします?」
おそらくヘイワードには、すでに加工と流通の目星はついているはずだった。
そうじゃなければ、この抜け目ない男は、決して買取を口にしないだろう。
だが、今回ぼくはその口車に乗ることにする。
「じゃあ、それでいいよ。何せ、結構な量がある。家に置いておくには邪魔だし、ギルドが多少なりとも潤えば、ここの料理もさらに美味しくなるかもしれないしね」
アスがぼくの背丈ほどもある皮袋をカウンターの上へと置く。
パンパンに張ったその袋の口を覗き込み、ヘイワードの顔が少し強張る。
「……ひょっとして、これ全部が?」
「食事をしていくから、その間に算定を頼むよ」
ヘイワードが大きくため息をつく。
それから、ふと、ぼくらから視線を外し、ギルドの食堂へと目を向ける。
そこには、すでに食堂の座席を確保し、さらには他の請負人に遠巻きに、しかし好奇と確かな尊敬の眼差しを受けて座るマックスの姿があった。
「それもこれも、あの大魔導士、マックス・グレイの手柄ですか。……ちょっと、目立ちすぎな嫌いもありますが、まあそれはいいでしょう。本人の実力も、多少は改善されてるでしょうから」
ヘイワードは横目でぼくの表情をうかがってくる。マックスへのヘイワードの評価は、あまり芳しくない。元々のマックスの仕事ぶりを知っているせいだろう。
「実際、マックスは大した男だよ。この素材も、彼なしでは得られなかった」
「なら、いいのですが。どうやら、ジンくんたちとは、うまくやれてるみたいですね。あの大魔導士様は」
「……それで、そっちもうまくやってるのか? ギルド連合に動きは?」
「かつては請負人だったかもしれませんが、今や大魔導士のお付きになったエルフなんて、誰も気にする者はいやしませんよ……今のところはね」
ヘイワードの素振りにも普段と変わったところはない。アスへのさらなる圧力がかかる兆しは、今のところなさそうだ。
というより、元々ギルド連合に要請を出していた連中は、現在アスの動向を把握しているんだろうか? そのあたりは、いまはまだよくわからない。
とはいえ、今の状況が続くことに、特段の不満はないわけで。
「料理は作っていくんですか? ジンくんたちがウチのギルドから出て以降、あの独特な香りがしなくなって、ウチの料理人たちも寂しがってますよ」
「客が寂しがっている、の間違いじゃないのか? 依頼があれば受けてやるよ。大魔導士マックス・グレイのお付きの少年Aとしてね」
肩をすくめるヘイワードをカウンターに残し、ぼくとアスは食堂へ向かう。
マックスは周りを囲んで距離を取る他の請負人たちに喋りかけており、彼らの手にはいずれも飲み物があった。
……コイツ、またおごったな。
「さあ、この間の打ち上げだ。盛大に食おうぜ」
※※※
ぼくとアスが借りた自宅は、ギルドから歩いて十五分ほどかかる、街の中心部から住宅街へと移り変わる場所に位置していた。
古びた一軒家だ。だがよく手入れされており、むしろ味がある、と言っていい。
ヘイワードの勧めで購入した物件だ。木造だが、塗装された木材が濡れたように光っており、ぼくも気に入っている。
その家の玄関を開いたとき、すでに陽光は傾きはじめていた。
少し、ギルドで羽目を外しすぎたな、と思う。食事も、相当食べた。
このところ、お腹が減ることが多い。思春期を迎える身体は、成長のためのエネルギーを求めているんだろうか。
扉を閉め、自宅へと足を踏み入れる。家自体はさほど大きくない。居間兼食堂が一室と、ぼくとアスに一部屋ずつ。
後はキッチンと、バスルームなんかの水回りで全部だ。
家具も少ない。アスの装備品の手入れのための用具と、ぼくの調理器具、そのあたりが場を占めているだけだ。
先に家の中に足を踏み入れたアスが、軽く鼻を鳴らしてぼくへ目を向ける。
「少し、小腹がすいたかな。ジン、頼んでもいいか?」
「……アス、まだ食べるの?」
食べ盛りのぼくの二倍以上の量をアスは食べているはずだった。
食べなくても平気であるはずの彼女の食欲は底なしで、しかもそのエネルギーはどこに消えているかわからない。
人間と違って過剰なエネルギーを脂肪に変換したりはしないらしく、彼女のスタイルは常に一定を守っていた。
「手間なら、夕食まで我慢するが」
そう言うくせに、悲しそうな目を向けてくる。
勇猛な剣士であることがウソのような、まるで少女あるいは小動物の悲しみをたたえた目――そしてぼくはこの目に弱い。
「別に、作らないとは言ってないよ」
「なら、よかった。私は着替えてくるよ」
アスが部屋で普段着に着替えている間、ぼくは軽い炒め物を作る。
食材は魔法を込めて作られた保存箱――現代で言えば冷蔵庫――から、常に新鮮なものを取り出すことが出来る。
火を起こし、適当な食材を取り出して調理をはじめる。
マックスと組んで以降、生活は着実に改善していた。
冷蔵庫も、高級品ではあったが買うのに支障はないぐらいの報酬は得ている。
三人での狩りの成果は良好で、しかもマックスが隠れ蓑になってくれている。
「あとは、ヘイワードがどこまでぼくらに利用価値を見出してくれるか、かな。だけど、アイツなら前もって何かヒントぐらいくれそうだしな……」
そうひとりごちながら、料理の仕上げを行っていたとき、玄関から音がする。
ゴンゴン、と固い音。ドアノッカーだ。
すでに街は夕闇に包まれつつある。こんな時間に誰だろう? マックスだろうか? キッチンの火を消して、玄関へ向かう。
だが扉を開いた先にいたのは、マックスではなかった。
見上げる必要のある、見慣れない顔立ち。
しかし、背が高く、青い髪をした彼は、どこかマックスを思わせる。
口を引き締めた、厳しい表情をした彼は、ぼくにたずねてきた。
「君が、……ジンか?」
彼の目が上へと向く。戸惑うようなその反応と気配で、アスがそばにやってきたことがわかる。
また薄物しか身につけていないんだろう。あまり他の男には見せたくない姿だ。
「そうですけど、あなたは?」
たずねると、訪問客の目がぼくに戻る。
アスとは違い、彼の装いは重厚なものだった。質のよい織物で出来た、深い青い色をした外套。
家紋らしい銀色に縫われた紋章がその胸にある。
そして彼の発した言葉は、ぼくにとってより困惑を深めるものだった。
「マクグレイヴ家のものだ。……マクシミリアンのことで話がある」




