03
異常に気づいたのは、アスと共に森を歩きはじめてから、しばらくした後だった。
森を歩くにつれ、まばらに茂っていた草木が徐々に背丈を伸ばし、暗がりを増やしていた。
密度を増した木々の向こうの茂みに、妙な気配がある。
「アス、あの茂みの向こうに、何か……何だろう、これ……魔力なの?」
何か、揺らぎのようなものがわずかに、肌を通して感じる。
それは、ぼくが意図して魔力を使うときに覚える感覚に似ていた。
「ジン、魔力そのものを感じているのか? そんなのは、聞いたことがないけれど……」
アスは不思議そうな顔をしつつ、そっと腰に下げた剣に手を伸ばす。
「ただ、あそこには魔物がいる。それは、正解だ」
がさり、と茂みが揺れる。
そして現れたのは、イノシシに似た魔物だった。
イノシシと違うのは、その口にはいくつものキバが覗いていること。
巨大だ。ぼくの背丈よりも体高が高い。そして、魔力の高まりをその体から感じる。
そんな魔物が、一直線に走りよってくる。
どうすればいい?
まずは避けなきゃ。
そう考えているぼくの耳に、アスの、のんきそうな声が届く。
「下がってて」
「えっ?」
アスがゆっくりと剣を抜く。
剣は傷だらけの、古びたものだ。
それから、体を軽くひねるようにして回転し、剣を振るった。
それだけだった。
魔物は急にバランスを崩し、その勢いのままぼくらから逸れ、木にぶつかって動きを止めた。
アスはその魔物に目すら向けず、剣を軽く振るって表面に流れる血を落とすと、鞘に収める。
「襲われたのは、ジンがいたからかな」
アスが魔物へと目を向ける。
「普段は襲われない?」
「ああ。気づかれもしない」
イノシシ型の魔物は、一見すると無傷の状態で、腹を点に向けて倒れている。
だがよく見ると、その顔面には横薙ぎに首元まで両断された、鋭い傷跡が残されていた。
その時ふと、再び魔力の揺らぎを感じた。
「まだ生きてる? ……いや、違う」
「どうかしたのか?」
魔物の死体はピクリとも動いていなかった。
だがその屍は、徐々に黒ずんでいき、溶けていく。
ぼくが感じているのは、その死体から放出されている魔力のようだった。
やがて魔物の死肉の大部分が、熱されたプラスチックのように溶けてしまい、後に残ったのは黒い灰のようなものと、骨格や蹄などの固い部分だけだった。
ぼくがそんな様子を観察しているのに気づいたのか、アスが隣に現れる。
「魔物は死ぬとこうなる。肉を残さないのが、動物と違うところだ。そしてどこまで残るのかは魔物によって違う。ドラゴンなんかは、ほとんど牙しか残らない」
「魔力が抜けるせいなのかな?」
ぼくの問いかけに、アスは難しい顔をする。
「私にはわからないな……だが、魔物も魔力を操る。そこが動物とは異なるし、だから手強い」
魔力の有無が動物と魔物を分ける点らしい。
だとすると、普段アスが魔物に気づかれないことにも、おそらく魔力が関わっているんだろう。
魔力がない彼女はきっと、魔物のセンサーには引っかからないのだ。
「それよりも、ジン。疲れていないか」
「本音を言うと、少し」
控えめに口にしたけれど、家を出てからもう長いこと歩きづめだった。本音はだいぶ疲れている。
森の中に入り、半日ほど。
アスの後について歩いていただけだけれど、長身のアスとは脚の長さの差もあるし、十歳の子どもの体力は、記憶にあるよりもずっと低い。
「休憩にしよう。目指す先も、あとわずかだ」
アスが目を向ける先には、森のなだらかな斜面を登った先に、岩肌が見えていた。
そこには洞窟が口を開いている。
アスは持参していた革袋から薪をいくつか取り出すと、剣を軽く振って細かくする。
そうして細くなった薪を素早くこすり合わせることで、ぼくが手伝うタイミングもなく、あっという間に火を起こしてしまう。
「火なんか起こして大丈夫なの? 魔物に見つかったりしない?」
「大丈夫。倒せばいい。それに、いずれにせよ必要なんだ。ドラゴンを狩るのに。あと、ジンにはこれを頼みたい」
アスが革袋から取り出したものを、ぼくは反射的に受け取る。
ぼくにも何か、ドラゴンを狩るための手伝いが出来るんだろうか――一瞬、そう考えたけれど、手の中にあったものはパンと卵だった。
「ジンもお腹が減っただろう? 今朝のアレ、また作って欲しい」
※※※
「やっぱり、おいしい」
上機嫌に焼いたパンを頬張るアスの姿は、そのときだけは、ぼくを助けてくれた保護者でも、あっさりと魔物を倒す凄腕の剣士でもない。
スイーツを頬張る若い女子の姿。
なんて、たぶん現代日本に生きていたぼくなら評するだろう。
ぼくもまた自分のパンを一口、二口と食べる。
それから、あっという間に自らの分を食べ終えてしまっていたアスの視線に気づく。
「もっと食べる?」
そう聞くと、アスは思い出したかのように剣士の顔に戻る。
「いや。ジンも、少しでも体力を回復させた方がいい」
「ううん。結構、お腹いっぱいでさ。食べていいよ」
「本当に?」
「うん」
半分、事実だった。
空腹ではあったけれど、同時に、ドラゴンに対する不安は大きい。
先ほどのイノシシ型の魔物だって、ぼくにとっては脅威に思えた。
たぶんドラゴンはあの比じゃない。
そんな不安が、胃を圧迫しているような気がする。
アスが受け取り、二個目のパンを食べはじめる。
嬉しそうにパンを頬張るアスの様子を見ながら、あの説明は一体なんだったんだろう、とぼくは疑問に思う。
『これでも、エルフだからな』
出会った日に教えてくれた情報によれば、本来、エルフは食事をほとんどしない。
必要なものは、魔力で補うことが出来る。
魔力のないアスは、食べる必要がある。それでも人間とは違い、あまり量は必要ない。
そもそもエルフは効率のいい生物だ――。
そう言っていたのに、いま、アスは二枚目のパンに舌鼓を打っている。
もしかするとアスは、今まで食事を単なるエネルギー補給と思っていたのかもしれない。
それがいま、本当の意味での『食事』に変わっただけで。
そんなことを考えた後、ぼくは周囲を見渡す。
「普段、アスはいつもどうやってドラゴンを狩っているの?」
ぼくのその問いかけに、アスが咀嚼を止め、女子の顔から剣士へと戻る。
「あの中は暗い。だから松明を持っていく必要がある。片手しか使えないから、多少骨が折れる」
アスが目を向けた洞窟の周辺、ドラゴンが生息していると示されたその場所は、これまで通過してきた場所とは明確に異なっていた。
洞窟の付近からは、ほとんど植物がなくなっている。
そうして、濃厚な魔力があたりに漂っている。
まるで、洞窟の入口が魔力の泉のようだ。
その濃い魔力は物理的な壁にさえ感じる。
ぼくにはとてもそこに入り込んでいこうという気は起きない。
「前にもこの洞窟で狩ったの?」
「そうだ。と、いうより、この洞窟しか試してないというべきだな。ギルドが教えてくれた。ここでもう4匹は狩っている」
4匹? アスは平気でそう口にする。
異常な戦果のはずなのに。
「さっきの魔物みたいに、ぼくが行くとバレるかな?」
「いや。ドラゴンは知性がある。どっちにしろ松明で、こっちの居場所はバレるんだ。だから、こんな洞窟に住んでいるんだろう」
話しながら、アスは炎のついていない松明を袋から取り出し、焚き火に掲げる。
やがて、火が灯る。
その松明を手に、洞窟へ入っていくのがいつものことなんだろう。
その姿を見ていたそのとき、ふとぼくにアイデアが生まれる。
「その松明、アスが持つ必要はあるの?」
アスがふと、動きを止める。
「ない。……だけど、それで狙われるのは、ジンの方だぞ」
「より、いいじゃないか。ぼくならドラゴンの注意をひけるし、アスの両手も自由にできる」
ぼくの言葉を聞いて、アスが微笑む。
それははじめて見せる、剣士の顔のままの笑顔だった。




