02
まだ慣れない景色の中で目覚めて、周囲を見渡しているとふと声がする。
「おはよう、ジン」
体を起こしたぼくの目の前には、目を閉じて粗末な毛布に体を横たえた、ピンク色の髪の毛をした女の姿がある。
耳が長い。
エルフだ。
声をかけてきたにも関わらず、彼女は目を閉じたままだ。
昨日もそうだった。
じゃあ起きているのかな、と思って放っておくと、そのままずっとゴロゴロとしてなかなか起き出してこない。
それがエルフ流なのか、ぼくには判別できない。
「アス。よかったら、朝ごはん、作ろうか?」
「うん。助かる」
目も開けないで彼女は答える。
こちらから見えるその横顔は綺麗だ。
ほのかに輝いてすら見える、白い肌。長い耳。
この世界に来る前に抱いていたエルフのイメージそのものだ。
髪の毛はただ、金とか白とかではなく、ピンク色だ。
ふとその目が開く。
深い色をした、青い瞳がこちらを向く。
「火、起こそうか?」
ぼくは首を振る。
「自分でなんとかするよ。出来ると思う」
「そうか。あるものは、好きに使っていいから」
目は再び閉じられる。
料理道具と、食材はどこにあるかはわかっていた。
この二日間のうちに、彼女が食事の用意をしている様子を見ていたからなのもあるけれど、そもそも他に物があまりない。
穴だらけの陋屋。
寝床も、木製のベンチとそう変わらない。
台所にある戸棚の中にあるのも、ナイフと鍋、卵とスパイス、そして粗末なパンしかない。
ナイフを手に取る。
ナイフは細い、傷だらけのものだった。
薪を削るのはまだしも、軽々と薪が割れるほどの強度には見えなかった。
思っていたよりもずっと軽い。
にも関わらず、昨日、アスはこのナイフで薪を割っていた。
しかも、さして力も入れているようにも見えなかったのに。
薪を手にしてみると、その疑問はさらに深まる。
薪は太く、ずっしりと重い。
ナイフで軽く切りつけてみる。
薪の表面に、わずかに表面に傷ができるのみ。
……これでアスは、どうやって薪を割っていたんだ?
「貸して」
いつの間にか背後にアスが来ていた。
彼女が軽くスナップを利かせ、ナイフを薪に当てる。
ただそれだけのことで、太い薪がカラン、と軽やかな音を立てて割れる。
「コツがあるんだ。ジンには、難しいかもしれないな」
アスがしなやかな手つきでナイフを再び振りあげる。
刃の角度か、あるいは狙い所の問題か。
力を込めず、薪が割れるべきところに刺激を与えているだけ、そんな風にさえ見える。
彼女の身につけているコツには、確かな技術の裏付けがありそうだった。
そして一つだけ言えるのは、おそらくぼくにはどうやっても真似できないということだ。
「悪いけど、任せるよ」
うん、と言葉も発さずに彼女がうなずく。
ぼくは手持ち無沙汰にその流れるような作業を見る。
あっという間に細くなり、一部は木片と呼べるレベルまで薪が細かくなる。
「あとは出来そう?」
一通り終わった後に、アスがナイフをぼくに差し出す。
そのナイフを受け取り、ぼくはぼくなりの火起こしをはじめる。
最初に取り掛かるのは、小さな木片だ。
最初に薄く木片を削り取る。
ぼくの貧弱な魔法で火をつけるには、可能な限り火をつけやすくしておく必要がある。
「眠らないの?」
ぼくの後ろにはまだアスが立っていた。
すぐに寝床に戻るのかと思っていたのに、まだその場にいて、ぼくのことをじっと眺めていた。
「ジンがどういう風にするのか、興味があって。ジン、昨日も言ったけどジンの魔力は弱すぎる。あの火では、薪に火をつけるのは難しい。わかっているんだろう?」
ぼくはうなずく。
この世界には魔力がある。
そして、魔法はイメージだ。アスはそう言った。
その言葉を頼りに練習した結果、ぼくが生むことが出来たのは、ごくわずかな時間しか続かない、ライター程度の大きさの火だけだった。
だから、今日のぼくはより深いイメージを試してみる。
現代日本の知識でいえば、熱は振動だ。
だいたい、炎自体を生む必要はない。木に火がつけばいいんだから。
だから、振動をイメージする。
木片そのものの、細胞自体を震わせてやる。熱が起きるまで。
可能な限り、薄く削った木片の一点だけに魔力を集中させて。
ぼくのイメージと、込めた力に従って、空気にも似ている何か――揺れる掴みのどころのない塊が、木片の一部へと急速に集まっていく感覚がして――やがて木片から煙が立ち上る。
「おや」
そう漏らしたアスに、ぼくは首を横に振る。
「余計な光を省いて、熱そのものをイメージしてみた。それなら、ぼくの魔力でも十分だ」
アスは少し難しそうな顔をする。
「木をこすり合わせるのと原理は同じか。だが魔法でそれをやるのは、聞いたことがない」
「それに、まだ終わりじゃない」
火が起こるメカニズムは、この世界でも同じだろう。
周辺から酸素を集め、熱源へと寄せる、そんなイメージで魔力を使う。
外から吹き込むはずのない部屋の中で、わずかな風が起こり、木片に生まれた火種に力を与える。
やがて周囲の木片を巻き込んで、明らかな炎が起きる。
「やるじゃないか、ジン」
そんなアスの感嘆の言葉を聞きながら、はじめたその先の作業は――魔力とは、なんの関係もない。
小さな木片を供給しつつ、空気の通り道を確保する。そんな作業をアスもいつの間にか手伝ってくれていた。
やがて炎がパチパチと爆ぜはじめる。
「お互いに、火を起こすのにも手がかかるな」
アスが料理をはじめたぼくの手つきをながめながら、微笑みかけてくる。
どう反応していいかわからず、ぼくはうなずくだけにした。
昨日、アスが魔法のことを教えてくれた際に、彼女が自分を評して言ったことを思い出す。
魔法がイメージの世界というのなら、お手本を見せて。
そうぼくは言った。
だがそのとき、アスは首を横に振った。
「出来ないんだ、『出来損ない』だから。……私には、魔力がないんだ」
※※※
「おいしい」
ぼくが作った食事を一口食べて、アスは目を輝かせた。
何か物珍しいものでも得たかのように、手の中のパンをじっと見つめる。
「卵とパンの表面を少し焼いてみただけだよ。あと、スパイスを少しだけ煎ってみた。熱すると香りが立つみたいだから」
「こんな食べ方があるなんて……」
アスが料理の仕方を知らないのか、それともぼくの工夫がこの世界では珍しいものなのか。
それは、今のところ解決不可能な問題だ。
ぼくも一口、パンにかぶりつく。
パンは暖かい。昨日よりはましだ、とは言えるぐらいの朝食。
悪くはない……でも、これに目を輝かせて喜ぶアスは、今までどんな暮らしを送ってきていたのだろう?
昨日まで、アスはほとんどぼくにつきっきりで面倒を見てくれていた。
草原に倒れていた少年が、帰す場所どころかこの世界の記憶もない、そんな存在だったと知ったとき、彼女はどんな気分だっただろう。
それなのにアスは、迷惑そうな素振りもなく、彼女なりにぼくの世話をしてくれた。
だけど、本来の彼女の生活の基盤は、どう築かれていたんだろう?
その疑問は、ぼくが口にするまでもなかった。
とても満足そうに食事を終えた後、アスはいつもとは異なる身支度をはじめた。
「今日は、少し仕事をしようと思う。ジンは、どうする? この家には魔物も近寄ってこないから安全だと思うが、心配なら町で私の帰りを待ってくれてもいい。どっちにする?」
そのどちらかを選ぶより、聞いておきたいことがあった。
「……仕事って?」
「ドラゴンを狩る。倒せば、パンが手に入る」
ぼくは、しばし彼女を見つめる。
それから、周囲に目を向ける。粗末なパン。古びた陋屋。
硬い薪を古ぼけたナイフで軽々と割ることが出来るし、ドラゴンも狩れる。
そんなアスにふさわしい生活だとは思えない。
「……ドラゴンを倒して、もらえるのがパン?」
「ああ。本当は、ギルドから依頼されているのはドラゴンのオーブなんだ。だけど今のところ、オーブは手に入っていない。ただ、ドラゴンの牙でも、パンには替えてくれる。人間には、ドラゴンを狩るのは少し難しいらしいからな」
アスには特に冗談を言っている様子もなかったし、この世界のことに詳しくないぼくには、詳細まではわからない。
だけどパンとドラゴンの牙、その2つが釣り合う取引は、どんな世界でも絶対にありえない。
好んでこんな生活をしているとは、アスは口にしていなかった。
ならこの生活に至っているのは、……ドラゴンの牙がパンにしかならない、そんな仕組みのせいじゃないんだろうか?
そして、それならぼくはアスの役に立つことができる。
ぼくにドラゴンを狩ることは出来なくとも。
「アス、ぼくも行くよ。きみが助けてくれたように、ぼくも君の助けになりたい」




