28
アスはすでに走り出しており、ぼくとマックスもその後を追う。
オスカーの馬車まで、せいぜい二百メートルほど。
アスならすぐにたどり着くはずの、そのわずかな時間の後で、『ヘッドセット』からアスの声が届く。
「……まずいぞ、ジン」
木々の間に最初に見えたのは、アスの後ろ姿だった。
すでにぼくを追い抜いていたマックスがアスの隣に並び、息を震わせながら立ち尽くす。
最後に合流したぼくの目に、最初に飛び込んで来たのは、ヘラジカ魔獣の姿だった。
異形の角と、大きな体。
そのそばで、おそらく角の一撃によるものだろう、オスカーの馬車は破壊され、中にあった荷物と共に、外れた車輪や細かな部品が地面に散っている。
その壊れた馬車の中に隠れていたであろう、オスカーの姿はそこにはなかった。
その姿は、魔獣と共にあった。
大きく広がった角の間の空間、そこにオスカーは捕らえられていた。
浮かんでおり、十字架のような体勢で、両手を空間に固定されている。
ヘラジカ魔獣の頭のすぐ上に、オスカーの足が垂れ下がる。
そのときのオスカーは、恐怖の表情を浮かべていた。
ぼくたちに向けて目を見開いている。
その口が、ぼくらに向けて動く。
だがその言葉は届かない。
『境目』に似た空間の断絶が、オスカーの周囲にはあるらしい。
マックスがぼくに目を向ける。
「なぜ、オスカーのおっさんを狙ったんだ? ……まだ、無事らしいが」
アスがゆっくりと首を横に振る。
知性のある魔獣――例えばドラゴン――との戦闘経験が豊富なのは、アスだけだった。
その反応でぼくもまた、魔獣の意図を確信する。
あの魔獣は、単にはぐれたオスカーを狙ったわけじゃない。
これは、魔獣にとっての打開策だ。
「違う。オスカーは、生かされてるんだ。……向こうも分が悪いと踏んで、狙うべき相手を変えた――あれは、人質だ」
マックスが息をのみ、つぶやく。
「……マジかよ」
ぼくらは膠着状態で、にらみ合う。
アスも簡単に手が出せない。オスカーに危害が加えられるのは明らかだからだ。
だが、魔獣の次の手はなんだ?
そう考えたそのとき、ヘラジカ魔獣の角の間の空間から、濃い魔力がうごめきだす。
ドロリと、粘性の液体のように、オスカーの背後の空間から下方へと、したたるように広がっていく。
変化が訪れたのは、その魔力が、地面へと到達した瞬間だった。
聞こえたのは、空気を切り裂く音。ブゥンと低い音が耳へと届く。
反応できたのは、アスだけだった。キィンと鋭い音が鳴る。
その音を聞いた後、剣を横倒しにしているアスを見て、彼女が何かを弾いたのに気づく。
「二人とも、私の後ろへ! 攻撃だ!」
アスのすぐ背後にマックス、その後ろに体の小さいぼくがつく――その間もアスの剣は素早く動いており、剣と何かがぶつかる音が響く。
「……私の背後から、一歩も出るなよ」
アスの剣に弾かれた何かは高速で、遠くへと、あるいは近くへと無造作に跳んで行く。
アスのすぐ足元に突きさった、その何かを見て、敵の攻撃の正体に気づく。
「これは……地面を利用しているのか!」
目を向けると、魔力が達した地面がえぐれていた。
表面はまだ腐葉土に覆われているものの、内部の質量は明らかに減っている。
空間操作の応用だ。石や砂利、あるいは破壊されたオスカーの馬車の部品を選び出し、そして銃弾のように高速で打ち出している。
「だが、この程度なら、まだ見切れる」
アスの最小限の動きで剣を振るい、不可避の速さで迫りくる石たちを的確に撃ち落としている。
しかし……。
「守りはいいとしても、攻め手がないぜ?」
「いや、守りも十分じゃない。魔獣の魔力、徐々に広がってる。アスがぼくらを守りきるのも限界がある。それに、……あの魔力がぼくらに自身に届いたらどうなると思う?」
「……オスカーのおっさんの二の舞か?」
「よくて、だね」
たぶん、ぼくらを生かしておくことはないだろう。そしてそのとき、オスカーもまた、生かしておく価値を失う。
つまりは全滅ってことだ。
魔獣から徐々に忍び寄ってくる濃厚な魔力は、すでに二十メートル先にまで到達している。
時間は、ない。
「ジン、引くか? 魔力を展開された今、勝ち目はあるのか? 私の背後、射線上なら、まだ何とか防げるが」
「だけど、引いたところで同じじゃないか? オスカーのおっさんが人質に取られている以上、先に手出しはできないぜ? ……まさか。アスさん、それはダメだ」
マックスがゆっくりと首を横に振る。
アスは答えなかったけれど、その沈黙が意味していることは明らかだった。
オスカーを見捨てる。それならきっとアスは、あの魔獣に勝てるだろう。
魔力を展開するスキも与えないはずだ。
「マックス、それしかないのなら、ぼくでもその道を選ぶ。オスカーは、ついさっき出会ったばかりの人間だ。仲間を犠牲にするぐらいなら、ぼくもそうする」
「……どうやらジン、お前たちと組んだのは間違いだったらしいな」
怒りのこもった低い声が、『ヘッドセット』を通じて届く。
「早とちりしないでよ、マックス。ぼくは『それしかないのなら』と言ったんだ。他の方法は、ある」
すぐ目の前にあるマックスの背中が揺れる。
「なんだ。それなら、そうと……」
その安心のこもった声を遮るように、ぼくは続けた。
「ただ、そのためには、マックス。きみの覚悟が必要だ。――きみの魔法で、オスカーを撃てるか?」




