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息を潜め、ぼくらは周囲を窺う。
森の中は静まり返っている。
他の動物、あるいは魔獣の気配はない。
「何か、別の獣にでも襲われたか?」
マックスがそっとたずねてくる。
ぼくよりも先に、アスが答える。
「違う。第一、争った跡がない。血痕もない。ただ、……妙な表現になるが、『持ち去られた』とすれば、筋は通る」
「なら、獣じゃなく大きな鳥? いや、まさかな」
「可能性としては、ない話じゃない。……だが、低いだろうな」
アスが視線を上げる。
森の木々はさほど濃密ではないものの、一定間隔で生えている。
あの狼を連れ去るほど巨大な鳥が飛ぶのは困難そうだ。
「とすると、魔法か」
二人の目がぼくに向く。
ぼくは周囲には手をかざし、それから、二人へ首を振ってみせる。
「強い魔力は残っていないな。魔法だとしても、どんな魔法かもわからない」
周囲をぐるりと見渡した後、アスの目がぼくに向く。
「ジン、どうする? 引き返すか?」
決断には、あまり迷わなかった。
もはや不確定要素が多すぎる。
そうしよう、そう言いかけたそのとき、森の奥から音が聞こえてきた。
短く、低い響きのある音。そのあとすぐに、ガタガタと何がぶつかり合う音が続く。
森に再び静寂さが戻ったとき、ぼくらは目を見合わせる。
「ジン、今のはおそらく、人間の声だ。……『ヘッドセット』をくれ」
アスのその求めに応じて、ぼくは自分のチョーカーとアスのイヤーカフの間に魔力の糸を張る。
「アス、気をつけて」
うなずくと、アスはすぐに音の方向へと走り出す。
その姿は、あっという間に森の木々の間に消える。
「俺らも行こう。ジンは念のため、俺から離れるなよ」
マックスと共に走り出す。
数十メートルも走っただろうか、ぼくの耳に直接、アスの声が届く。
「確認したぞ、ジン。やはり人間がいる。急ぐことはなさそうだ。だが……」
珍しく、アスが言い淀む。
静かな足音と、何かを確かめるような間の後に、声が続いた。
「奇妙だ。あの狼の死体が、ここにある」
※※※
歩いて十分にも満たない距離で、ぼくとマックスはアスへと追いついた。
森の中に見えるのは、横倒しになった馬車。
近くに馬の姿はない。
馬車のそばにたたずむ初老の男性。
先ほどまで、『ヘッドセット』でアスとの短い会話が聞こえており、彼の名前はオスカーであることがわかっている。
そして、馬車からわずかに離れたところに倒れ伏している、あのリーダーの狼の姿。
アスは、その死体の様子を慎重に探っていた。
そこまでたどり着き、ぼくは『ヘッドセット』の魔法を解く。
近づくぼくたちの姿に気づいたオスカーが、不安げな表情の中で、笑顔を浮かべる。
「貴方がたが、アスさんの仲間、ですか。安心しましたよ、アスさんと出会えて」
アスは、オスカーとの会話の中で、詳細に踏み込むことは避けていた。
後から仲間が来るからそっちと話してくれと、そう口にしていた。
ただ、オスカーの目はマックスへ向いている。
むしろぼくには、訝しげな一瞥が向けられただけだった。
そりゃ、そうだろう。子どもがなぜこんなところに? と思われるのも無理もない。
「俺たちが来たからにはもう安心。……と言ってあげたいところですが、状況がわからないことにはね。これは?」
「わかりません。心底、わからないのです。わたしは先ほど目覚めたところで。眠る前には、何もなかったんですが……」
オスカーが困惑した目を狼の死体に向ける。アスが立ち上がり、ぼくらの方へと歩いてくる。
「撲殺だ。頭蓋に、一撃。足の怪我で、あの狼が素早い動きが取れなかったとはいえ、見事なものだ」
「人間の仕業じゃ、ないよね?」
オスカーが、何らかの演技をしている可能性は捨てきれない。
しかしアスは迷いなく首を横に振る。
「ああ。傷跡はメイスによる殴打に似ている。だが、人間がもしアレをやるとするのなら、相当な力が必要だろうな」
とすると、オスカーへの疑惑は、捨ててもいいわけか。
ぼくはオスカーへ目を向ける。
初老だが、どこか腰の低い雰囲気がある。
商人だろうか。
ぼくにも丁寧に接する様子を見る限り、年少だということで相手にしない、ということはなさそうだ。
「あなたは、ここで何を?」
そうたずねられたオスカーは最初に、他の二人へと目を向けた。
言うべき相手は誰かと探ったらしい。だがそこで、マックスが口を挟む。
「ちなみに、俺たちのリーダーは、コイツだぜ」
その言葉で、オスカーは目を見開く。
アスとマックスへ交互に目をやり、それからぼくと目を合わせる。
「この、少年が……?」
だが、それ以上のリアクションはなかった。
気を取り直すように一度うなずいた後、肩をすくめて話しはじめる。
「別に、生き延びていただけですよ。……ここは、なんてことのない森だったのに、ある日、馬が怯えて逃げ出してしまったんです。馬車もこんな風になってしまいました。それから……この森に閉じ込められて、もう、五日にもなります」
「……閉じ込められた?」
ぼくの問いかけに、オスカーは意外そうな顔をする。
「貴方たちは違うんですか? 私を助けにきたわけではなく……ならどうして、この森に?」
すぐにぼくたちが返事をしないのを見て、オスカーの表情が徐々に失望に満たされていく。
そうして、オスカーは狼が倒れる方向――その向こうの空間へと目を向ける。
そこには、まばらな草木が生え揃い、そしてその葉の向こうに、岩山から届いているであろう明るい日差しが覗いていた。
だが、その日差しにはどこか違和感がある。
見えているけれど、届いていない。
そんな印象がある。
――そうか、眩しさがないんだ。
そう気づいてみると、何か不可思議な、空間の断絶のようなものが、その日差しと森の間にはある。
ぼくはアス、そしてマックスと、それぞれに目を見合わせる。
どうやら、この森にはぼくたちがまだ知らない何かがあり、いまぼくたちは、大きな問題に直面しているらしい。




