20
「……来ないな」
まだ時刻を告げる街の鐘の音が鳴っていないのに、アスが低くつぶやく。
翌日の早朝、ぼくらはまだ冷えた空気の中、ギルドの門の前に立っていた。
普段なら往来の多い道には、まだわずかな人の姿しかない。
アスが再び、不機嫌そうにあたりを見渡す。
「ちょうどいい。このまま、あいつは置いていこう。後で何とでも説明はできる。そのあたり、ジンは得意だろう?」
ぼくはため息をつく。
昨夜も部屋に戻った後、一悶着あった。
その話し合いは、まだアスの中では消化できていないらしい。
「当たり前のように遅刻するようなやつだったら、置いていってもいいよ。でも……」
「そうじゃなかったら連れて行くんだろう? そもそもジンだって、看板を貸してもらうだけだと言っていた。いまの状況はどうだ?」
「分かってるよ、アス。でも、名義だけじゃなくて、手も貸してくれる相手と組めた方がいいかと思ったんだ。……そんな相手が他に誰とも組めないとすれば、結構なことだと思わない?」
「わからないな。リスクが大きいから、誰も手を組まないんだろう? ……わかってるのか、ジン? 不測の事態に巻き込まれる危険があるのは、ジンの方だぞ」
ぼくは頷いてみせる。
「もちろん。そしてたぶん、リターンも大きい。そのリスクとリターンが見合うかは、今回、計算してみようよ」
「あいつが時間通りに現れたら、な」
「……なら、残念だね」
そのとき、ぼくはマックスの奇妙な魔力を感じた。
ギルド前の大通りから見える、曲がり角の先。
そこから、長身のマックスが大きく手を振りながら現れた。
最初は足早に。
やがて、表情を読み取れる距離になると、ゆっくりとその顔は微笑みに変わる。
「早かったな、お二人さん。……遅れてはいないよな?」
そのとき、時刻をつける街の鐘が鳴った。
「ピッタリだったな。よし、さあ、三人での初仕事、さっそく行ってみようか」
脳天気なマックスの言葉。
視界の端で、小さくアスがため息をついた。
※※※
街を出て、三時間。
遠くへ霞んでそびえ立つ山へ向けて、アスはいつも通り無言で軽やかに、マックスはひたすらに喋りながら、ぼくは乏しい体力を使って必死に二人についていきながら、目的地へと向かう。
その情報は『取引先』を探す副産物として、各地で得ていた。無事に看板が見つかれば、ぼくらの主な収入源になるものだ。
すでに見つけていた、沼地に住むヒドラたちの他にも、貴重な資源の情報は得ていて損はない。
山地に住む、フェンリルの血をひいていると噂される狼たち。
ギルドを訪れる者の中にはそんな情報を持った請負人がいて、酔って上機嫌なときに飲み物をごちそうすると、饒舌に彼らが取り逃がした狼たちの話をしてくれた。
素早く、群れで移動するらしい彼らを逃した話は、山地のある方角にのみ集中していた。
彼らのエピソードを地図にマッピングしながら書き加えて行くと、その中央に浮かび上がってきた場所に、隠れ住むのに適した窪地があった。
そしていま、ぼくらは岩山の尾根に隠れるように、その窪地を見下ろしている。
ぼくの仮説は的中していた。はるか下でくつろぐ狼たちは小指の爪ほどの大きさしかない。
マックスがひゅう、と口笛を吹く。
「アレだな。ジンの言ったとおりだ。どうする? さっそく、ブチかますか?」
マックスが手を震わせる。
興奮にウズウズしているんだろうか。
そんな様子をアスは、苦虫を噛み潰したような顔で見ている。
「歩きづめだったし、休憩と……あと、食事にしよう」
その言葉を聞いて、アスの顔が明るくなる。
その表情で、ぼくはある程度、彼女の中の優先順位が理解できた気がする。
「マックス、火を起こせるか? ……いや、やっぱり、周辺から焚き木を集めてきてくれ。火は、アスが起こす。ぼくは、料理の準備だ」
アスがうなずき、マックスは、一瞬見せた不安そうな表情を消して笑顔を浮かべる。
「合点承知だ」
離れていくマックスの背中を、その場に残ったぼくとアスは見つめる。
ぼくはアスの背負っていたバッグから、遠征用の食材と調理器具を取り出す。
「……マックスと一緒にここまで来てみて、どう? 少なくとも、悪いやつじゃないだろう?」
アスは慣れた手つきで持参してきた薪を割りながら、意外そうな顔をする。
「いつ、私があいつを、悪いやつだなんて言った? 言葉に思慮は欠けるし、口数も多い。だが、本当はあいつはもっと早く歩けるはずだ。そうしないのは、ジンがいるからだ」
「彼と知り合ったときも、子どもを助けていた。誰かを放っておけない性格なのかな?」
「わからない。だけど、不快なやつじゃないのは確かだ。ただ、それでジンの危険がなくなるわけでもない。……火、着けるぞ」
「うん」
アスがこすり合わせた木々が、火の粉から周囲の細木へ燃え移りはじめる。
マックスが焚き木を手にして帰ってきたのは、ちょうどそんなときだった。
「……魔力すら使わず、か。器用なもんだな」
目を向けてくるアスに、ぼくはうなずいてみせる。
共に戦う、となれば、触れざるを得ない部分だった。
「使わず、というか、使えないんだ。私には魔力がない」
マックスが目を見開く。
「……マジかよ。エルフなのに? ちょっと待ってくれ。それなら、アスさんはどうやって戦うんだ?」
「これで斬る」
アスが、腰の剣をコンコンと叩く。
その剣は相変わらず古ぼけている。
新しい剣に新調することを提案しても、バランスに慣れるまで時間がかかるから、と以前からのものを使い続けている。
「エルフの剣士ってことか? そんなの、はじめて聞いたな。だってエルフって言ったら、普通……いや、いいか。腕は立つって、ジン、言ってたよな」
ぼくはうなずく。
「それなら、何の問題もないじゃないか。俺なんか、魔力がありすぎて困っているぐらいだ」
そうして大口を開けて笑うマックスを、アスはものも言わずに見ていた。
操れるのか? と、その視線は、ぼくにはそう読み取ることが出来た。
やがてアスは小さくため息をつく。
「魔力が、斬って分けられるようなものだったら、今すぐにでも斬り分けるのにな。……冗談だよ」
剣に手を伸ばしつつ放たれたアスの真顔の冗談に、不安げな眼差しを向けるマックス。その表情を受けて、アスがわずかに微笑んでみせる。
やがてぼくは、火にかけられた鍋を軽く叩いた。
コンコン、という音で二人の目がこちらに向く。
「さあ、食事の準備をしよう。その後は作戦会議だ。……せっかく群れを見つけたんだ。まとめて狩ってしまおうじゃないか」




