15
焼け落ちたアスの家まで戻ってくることが出来たのは、その翌日の朝のことだった。
いくつかの柱が黒く焼け残っている。
地面には、わずかに残った家具が散乱している。
焼け残り、黒焦げになった鍋の中身を、アスは見下ろしていた。
ふと、あのとき食べた煮込み料理の記憶が、ぼくの頭をよぎる。
あれから半日も経っていないのにな。
「何もなくなっちゃったね」
「別に構わない。元々、何もなかった」
アスは炭化した木片を踏みしめながら、周囲に目を向ける。
ぼくはわずかな期間しかここにいなかった。
でも、アスにはどれほどの思い入れがあったのだろう。
「それに、ここには私しかいなかったんだ」
その瞳はどこか寂しそうだ。
でもその寂しさは、家が焼かれたこととは、おそらくあまり関係がない。
やがてその目がふと、ぼくに向く。
「だが今ではジンがいる。そうだろう?」
うん、と答えるのもどこか気恥ずかしく、ぼくはアスから道へと目をそらす。
「それじゃ、行こうか」
ぼくらは森に背を向けて歩みはじめる。
結局、予定通りになった。
元々、この土地を離れることを提案したのはぼくだ。
昨夜の襲撃があったか否かに関わらず、どうせこの町にはいられなかった。
ただ、結果からすれば、襲撃を受けてよかったことが、わずかながらあった。
隣に並んだアスが、ぼくの方へと心配そうな目を向ける。
「ジン、傷は傷まないのか?」
「問題ないよ。口の中が少し切れていただけだし」
「でも、ケガはケガだ。あのギルドマスター、指でも切り落としておけばよかったかな」
アスが平然と怖いことを言う。
被害でいえば、家を焼かれたアスの方がずっとその権利はあるのに。
だけどそっちには、あんまりこだわらないらしい。
「でも、本当にあれでよかったのか? 結局、元通りだ。人の命を平気で狙うやつが、何の罪も背負わないのか? 私は、別に構わないが」
「いや。……元通り、とはならないんじゃないかな。少なくとも、ぼくらには怯える日々を過ごすんだと思うよ」
ぼくはじっと、アスが肩に下げている銀貨の袋に目を向ける。
その底に眠る、ザルディに書かせた証文のことを思い出す。
昨夜のことだ――。
ザルディたちを制圧してから、ぼくらはザルディだけを連れてギルド『銀の天秤』へと戻った。
武装を解かれ、他に味方もいなくなったザルディは、従順にぼくらに従った。
現代日本なら、警察に突き出すところだ。だけどそもそもギルドは警察に値する組織でもあるらしい。
それに、たとえギルドマスターの不正と不法を訴えたところで、普段から彼らとつながりのある町の人たちが、町はずれに居住するぼくらの味方をしてくれるのかはわからない。
だからぼくらは証文を書かせた。
魔法で保護された正式な契約書用紙に、ザルディは自分の罪を認める文言を書いた。
ぼくたちから不法にオーブと銀貨を奪おうと試み、家に火を放ち、命まで狙うことを画策した。
ザルディに書かせたその証文は、念のための写しも含めて2部、いまぼくらの手の中にある。
その後で、静かな小部屋の中でザルディに話を聞いた。
そのとき、アスは平然とした顔でぼくの傍らに立っていただけだったけれど、その存在は大きなプレッシャーになっただろう。
ただ、大したことはわからなかった。
ザルディは、ギルドで構成されているギルド連合――上位組織ではなく、連絡組合のようなもの――から、その警告を聞いたらしい。
ドラゴンの牙などの、希少な魔物部位を売る単身のエルフがいた場合、その者との通常の商取引は推奨しない、と。
明確に禁じられていたわけではない。
ただ推奨しない、には大きな意味が考えられた。
商品がニセモノであるのかもしれないし、権力者の意向が働いており、明言されない不利益が生じるのかもしれない。
だが、その不明瞭さが『銀の天秤』にとっては好都合だった。ドラゴンの牙は本物だったし、パンと引き換えに手に入れるのは、通常の商取引とはとても言えない。
やっていたのはただそれだけだ、とザルディは明言した。
『オーブの件は? 関係があるのか?』
ぼくが問いかけると、ザルディは滅相もない、という風に首を強く横に振った。
『そりゃあ、オーブが手に入る機会があるのなら、誰でも穫りに行くだろ。普通なら、エルフしか持てない優れモノだ。王様だって欲しがる。あんな依頼、まともに受ける人間なんかいないんだが……あんた、どうやってアレを手に入れたんだ?』
小首をかしげるアスとぼくは目を合わせ、やがて、互いにうなずいた。
『だいたいのことはわかった。じゃあ、後は眠っていてもらおう』
そのときザルディは、間の抜けた顔をした。
『……は?』
アスがゆっくりと、拳を鳴らしながら近づく。
ザルディが身を震わせる。
『待て待て、俺がこれ以上何かをすると思うか? 黙ってお前たちを見逃すに決まってるだろう……?』
『信用できない。……それに、ジン風に言えば、顔を殴った分の取立てがまだだったろう?』
そうして、ザルディの言い訳を待つこともなく、アスはその腹に素早くボディーブローを叩き込んだ。
さして力がこもっているようには見えなかったけれど、剣と同じで、たぶんアスにはアスなりのコツがあるのだ。
ザルディは物も言わず、そのまま床へ倒れこんだ。
――それが、事の顛末だ。
誰かの、何らかの意向が働いていることだけがわかった。
ただ、それ以上のことは何もわからなかった。
「この証文、必要ならもっと大きな街のギルドに出すぞ、と脅しもしたし、ね。町ごとに別の組織だという話だったから、ギルド同士での争いがあるのなら、なおさら有効だろう」
「そういうものか」
「そうなってくれるといい、という希望的観測もあるけれど、ね。ただ、『取引はできない』の件は、あまり収穫がなかった……まあ、その件は街についたら調べるしかないかな。しばらくの間、暮らすだけのお金なら困っていないし」
「落ち着いたら、のんびりとしよう。ジンの作る食事も、もっと食べたい」
それから、アスは大きなあくびをした。
「眠いな。……それに、食べ物の話をして思い出した。朝ごはんがまだだったな」
そうしてアスはゴソゴソと、袋の中を探る。
出てきたのは、この世界に来たときにも食べた、粗末なパンだった。火事から逃れる際に、ぼくが持ち出したものだ。
「今はこれだけだ。ジンが食べるといい。私は、エルフだから」
食事はあまり必要ない、ということなのか。
一度は、そのパンを受け取る。確かに空腹を感じていた。
それでもぼくはそのパンを半分に分け、片方をアスに差し出した。
「分け合おうよ。仲間だろう?」
アスは立ち止まり、しばらくその差し出されたパンを見つめていた。
やがてアスは首を横に振る。
「仲間というのなら、なおさら受け取れないな。仲間は、補い合うものだろう?」
「……じゃあ、家族なら?」
ぼくのその問いかけに、アスは少しの間きょとんとする。
それから、パンに手を伸ばしながら、少しいたずらっぽく、ぼくに微笑みかける。
「なら、受け取ろう」
アスがさっそく、パンをちぎる。
ぼくもまた、一口、パンをかじりとる。異世界に来てはじめて出会った味で、とても美味しいとは言えなかった。
はっきり言って、ボソボソしたまずいパンだ。
だけど今はその味が、どこか満たされたものに感じられる。
異世界に生まれ、このパンの味に慣れているはずのアスもまた、食べながらどこか満足そうな表情をしている。
「だが……改めて食べると、このパンはあまり美味しくないな。ジン、早く街に行こう。そして、料理を作ってくれ。私はエルフだが、今の私には美味しい料理が必要だ」
アスはそう言って笑い、道の先へと目を向ける。
もちろん、とぼくも答えて微笑み返した。
※※※
そして今――。
ぼくらは目的としていた街へとたどり着き、その街のギルドマスターと交渉をしている。
「……ただし、取引にあたって、一つだけ条件があります」
そう口にするギルドマスターを、ぼくは正面から見据える。
何でもやってやる。
ぼくにできることならば。
そう決意を固めていると、ギルドマスターの視線が、ぼくの足先から頭上までを這う。
「今回はいいでしょう。だが、継続的な取引となると、あなたじゃ物足りない。というより、説得力に欠ける」
ふぅ、と息をついてから、ギルドマスターが不意に立ち上がり、ぼくを見下ろす。
優男のこのギルドマスターでも、ぼくよりも遥かに背が高い。
その挙動で、彼の言わんとしていることを察する。
「ぼくが子どもだから、とでも言いたいのか? ……だが」
言葉の途中で、ギルドマスターが首を横に振る。
「いいえ、それが全てです。直接あなたを知るものはともかく、口達者な子どもと取引したと聞いただけの他者は、その取引に納得しないでしょう。つまり……」
「別の『取引先』が必要ってことか」
そう言葉を引き取ると、ギルドマスターは何も言わずに肩をすくめた。
ぼくとアスは目を見合わせる。ぼくらはこの街に着いたばかりで、ぼくに至ってはこの世界に来たばかりだ。
『取引先』。
つまり、ぼくらが取引をするにあたって、ギルドマスターが取引しても何の不自然もない、ぼくら以外の人間が必要だってことだ。
……なかなか難題になりそうだ。




