14
最初に受けたのは、背中への衝撃。
痛みの前に、視界がぐるりと回転する。
……蹴り飛ばされた?
その認識と、遅れてやってきた背中の痛みがぼくを襲う。
逃げ出すスキはなかった。
すぐさま荒々しい力でぼくの両腕がひねり上げられる。ぼくを立ち上がらせようとするその痛みに、ぼくは強制的に従わざるを得ない。
「ジン!」
聞こえてきたのは、アスの声だ。
彼女は10メートルほど離れた先に立っていた。
「おっと、動くなよ、女。出来損ないのエルフが。――まさか、もう他の奴らを片付けたのか?」
ザルディの声。ぼくの傍らに立っている。背後にはケイン。
残っているのは、彼ら二人だけらしい。
だがぼく自身の力で、彼らに抵抗することは不可能だろう。
「殺してはいない」
アスの怒気をはらんだ声が答える。
そんなこと言わなくていいのに。
アスは素直だ。背中の痛みに朦朧としながら、そんなことを考える。
それが彼女の美点だ。
「結構なことだ、俺たちも見習おう。ガキは殺さない。ただ、銀貨は返してもらおう。オーブは、こんなことまでさせた、手間賃ってことでいいな」
素直なアスは、きっとその条件を飲むだろう。
ザルディが地面に落ちていた銀貨の袋を拾い上げようとする。
「よくないに決まってるだろ」
ぼくが答えたそのとき、ケインが強く力を込め、腕を捻り上げてくる。
折れそうだ。
ザルディが冷たい感情のこもった目を向けてくる。
「焼け出されたガキが、何だって?」
「ガキと出来損ないを追い込むのに、10人。火矢まで使うとは、ね。これでギルドの採算は合うのか? 焼けた家の補償も必要だろ?」
「まだ金勘定か、がめついガキだ。この状況がわかってるのか?」
「ああ、よくわかってる。出来損ないなんてバカにするギルドマスター様も、ドラゴンを狩るエルフのことは怖かったらしいな。ガキを人質にして、やっと本性を出せるのか。ゲスは小心者だと、覚えておくよ」
ザルディがぼくをにらみつける。
突然その手が上げられ、ぼくの口元を殴打する。
重い痛みで、視界が揺れる。
口の中に、血の味が広がる。
ザルディは不気味な笑顔を見せる。
やけに上がった口角の割に、冷たいままの目――その表情のまま、ぼくの顔に唾を吐きかける。
「口の回るガキだ、好きに言いな。ともかく、女――あんたには用はない。ただ、妙な素振りを見せたらこのガキを殺す」
アスの、剣を下げた手がびくりと震える。
その手から、剣が地面に落ちる。
「……これでいいな」
ぼくはそっとため息をつく。
『ヘッドセット』がまだあればよかったのに。アスは交渉事には慣れてない。
人質を殺して困るのは、コイツらの方なのに。
だから、剣なんか捨てる必要はなかった。
……だけど、ぼくのために迷いなく剣を捨ててくれた。
その気持ちは嬉しかった。
「物分かりがよくて助かる。これならしばらく、このガキはウチで預かってもいいな。どうせまともな取引は出来ないんだ。このガキの世話代として、ドラゴンの牙でも持ってきてもらうことにするか。……おい、ケイン。そろそろ行くぞ」
ケインが声をかけ、ザルディが動き出そうとする、その前に、ぼくが身をよじる。
「『まともな取引は出来ない』って、どういうことだ?」
その問いかけに、ザルディが忌々しそうな目でぼくを見る。
やがて、舌打ちの音。
「妙なことに気を回すな、ガキが。殺すぞ」
脅しに過ぎない。いや、実際にそうする可能性はある。
だけどいま、それよりも気になる言葉を、このザルディは発していた。
「『出来ない』ってことは、あんたらのギルドが自発的に決めたことじゃないな? 誰かが……ドラゴンの牙を買い取らないよう、指示していた? それとも、アスとの取引自体が禁じられている?」
その問いかけに、答えは返ってこない。
不意に、ザルディが接近してくる。
何の前触れもなく、ザルディの無造作に上げた膝が、ぼくの腹に突き刺さる。
「黙れよ」
呼吸が一瞬、止まる。それから吐き気がこみ上げ、えづく。
地面に倒れ込みながらも、ぼくは顔をあげ、ザルディの目を見据える。
「アスからの搾取は、お前たちだけの考えじゃない。そうなんだな?」
ザルディの反応はない。
問いかけのリスクは、すでに感じていた。暴力で黙らせる。その先にある、コイツらが取ろうとするであろう手段は、一つだ。
早めの対処が必要だ。
ぼくは魔力を展開させる。
ザルディにも、すぐ背後にいるケインにも、その魔力に気づいた様子はない。
少しでも時間を稼ごうと、ぼくはさらに言葉を重ねる。
「なるほど、お前らもまた、ぼくたちと同じ、焼け出されたネズミってわけだな。オーブ欲しさに禁じられた取引をして、当然、記録にも残せない――必死なわけだ」
そのとき、ザルディから強い魔力を感じる。ザルディが手を懐に入れ、ショートボウガンが抜き出される。
「……残念だ。まだ、使い道はあったのにな」
つぶやくようにそう言ったザルディの雰囲気の変化を、ぼくは感じ取っていた。
図星だったらしい。
おそらく、ぼくの問いかけは、すでに踏み込んで欲しくないところまでたどり着いている。
やろうとすることは決まっている。
口封じだ。
ボウガンを手にしたザルディは、ケインへ目を向ける。
「ケイン。女が少しでも動いたら、そのガキの首をかっ切れ」
ケインがぼくの首へと腕を回してくる。
首筋にヒヤリと触れたのは、ナイフだ。
魔力の波動。
矢をつがえたボウガンの弦が纏う魔力が、淡く輝く。
ザルディがアスに狙いをつける。
「女。よけるなよ。甘んじて、死ね」
……タイミングは、今だ。
ぼくはひそかに展開していた魔力を、そこで解く。
異変は、一瞬の間の後、起こった。
「何だ? 目が、……」
ザルディが不意に頭を振り、目をこすりはじめる。
最初は忌々しそうに、やがて手のひらで顔をぬぐうように、少しでも視界を確保しようとする。
だが、ぼくが仕掛けた濃厚な罠は、そんな動作では振り払えるはずがない。
もはやボウガンで狙いをつけるなど不可能だ。
ぼくの背後にいたケインも、ザルディと同じような、妙な動作を取りはじめていた。
ケインは咳込んでさえいる。
そして、もはや首筋に当てられていたナイフは外れている。
ぼくはゆっくりと肘を上げ、それから強い反動をつけ、ケインのみぞおちに肘を叩き込む。
大した威力はなかっただろう。それでも、奇襲は功を奏した。
首へ回っていたケインの腕が緩んだ一瞬で、ぼくは抜け出すことが出来る。
ケインから距離をとりながら、ぼくはザルディへ吐き捨てた。
「さぞかし辛いだろう。でも、それは報いなんだよ。むやみに火なんかつけるからだ」
魔力のイメージは、『バブル』だ。
ぼくの勝利条件は、2人から逃げ出すことだった。
ただそれだけで、アスは自由に戦える。
そのためのヒントを与えてくれたのが、つい先ほど、アスの家から焼け出された経験だった。
熱と煙と、乾いた空気。
とても目など開けてはいられなかった。
ぼくの魔力では、空気中に熱や煙を直接生み出すことは出来ないだろう。
だけどすでにある熱と煙を、必要な場所へ運ぶぐらいなら、できる。
魔力の『バブル』――シャボン玉で熱と煙を包み込み、ザルディたちの目の前で解除した。
ぼくのやったことはそれだけだ。
「ガキ! 貴様、また何かを……」
ぼくの声に反応したザルディが、音だけを頼りに、ボウガンを向けてくる。
その目はまだ開いていない。
だが、言葉を言い終えないうちに、ザルディの動きが止まる。
これでも戦闘経験が豊富らしいザルディは、首筋に当たる冷たい感触に心当たりがあったらしい。
すでにアスはザルディの傍らに立ち、傷だらけの剣を彼の首筋に当てていた。
「ジン。大丈夫か?」
アスはザルディには目もくれず、ぼくにそう微笑みかける。
ぼくは口元に流れる血を拭った。
「まあまあ、かな。でも何度か、痛い思いをさせられたよ」
ザルディはアスが剣を通して込めた力に応じて、地面に膝をつきはじめていた。ケインは目をこすりながら、その場に立ちつくし、恐怖に体を震わせている。
「さあ、ザルディ――ギルドマスター様、形勢逆転だ。まずはその、『取引はできない』件について、聞かせてもらおうか? あの膝蹴りぐらい、価値ある情報を頼むよ」




