13
「それじゃ、ジン。無理はするなよ」
アスは最後にそう言った。
その声は、夕食前に試していた時と同様、クリアにぼくの耳へと届く。
はじめての実戦でも、問題ないだろうと思えるほどだ。
「何かあったらすぐ助けを呼ぶよ。……それじゃ、まずは正面から。まっすぐ正面に3人。それから背後、北の方角に2人。アスの読み通りなら、他にも5人程度は伏兵がいるかもしれない。……ぼくの声、途切れたりしてない?」
「ああ。しかし、不思議な感じだな。耳元で囁かれているみたいだ」
そう答えたアスの姿は、ぼくの視界にはない。
ぼくはまだ、アスの自宅の中にいて、食べかけの食器類から離れ、寝室へと移動している。
次いで、ぼくの耳へと届いてきたのは、風切音だった。
アスの足音は聞こえない。
その姿は見えないから、想像するしかない。
アスは周囲を包む闇の中を、足音もなく、どれほど速く動いているのだろう。
ぼくたちの音を伝達しているのもまた、魔法だ。
『糸電話』の応用だった。ぼくとアスの間には、魔力の糸が張ってある。
その糸をつなぐのは、アスの耳にあるイヤーカフと、ぼくの首元のチョーカー。
双方にあるリングを基準にして、耳と口元に、音を拾い上げ、そして発するための機構が作ってある。
イメージは、『ヘッドセット』。
魔法で出来た、振動を拾い上げるデバイスが、ぼくらの耳元と口元をカバーし、互いの音を伝達する仕組みになっている。
「……いた」
アスの声が再び届く。
ぼくは指先に届く前方3人の動きをイメージする。
クモの巣状に設置した魔法の糸は、多少引っ張った程度では切れず、伸び縮みする。
3人はその『糸』が身体に引っかかっていることすら気づいていない。
「ジンの言うとおりだ。闇にまぎれて、3人。武装している。料理を分けてもらいに来たわけじゃなさそうだな」
アスのどこか能天気な声がぼくの耳に届く。
襲撃されている事実に対する恐れや焦りなど微塵も感じさせない。
「時間がかかりそう?」
「一人一秒かな。殺しはしない」
その言葉の後、ドサッ、という落下音が3つ。
悲鳴すら聞こえなかった。
『糸』の反応もなくなり、アスの声が続く。
「まず、3つ。次は?」
「引き返して、背後の2人……いや、待って。これは……」
ぼくは指先に意識を集中させる。
魔法で出来た糸は、振動を通じて周囲の様子を伝えてくれる。
だけど、そのすべてが読み取れるわけではない。
「さらに複数の反応だ。周囲を囲むように、あらゆる方向に、……アスの読み通り、おそらく5人。妙な動きだ」
「倒した3人も待機していた。何か狙いがあるらしいな。北にいた2人はどうする?」
反応が多すぎて、『糸』の読み取りが難しい。
だが、先ほどの2人は接近を開始したようだ。
「後回しで大丈夫だと思う。近くに来られても、隠れてやりすごすよ」
「了解した」
アスが移動を開始したそのとき、『糸』に妙な震えが走る。しかも、ほぼ同時に。
……これは、魔力か?
「アス、ちょっと待ってくれ。周囲に妙な様子は?」
アスから返ってきた答えは、あくまで冷静だった。
「確認できた。火矢――この距離なら、ボウガンだ。魔法で火をつけている。さっきジンが言った新手だ。囲まれて、撃たれている。私の家はすぐに燃えはじめるだろうな」
その冷静さが、少なからず動揺していたぼくの心を鎮める。
アスは日々、命のやり取りをしている。
だからこの程度のことは日常なんだ。ぼくもまた、この日常に慣れなくてはいけない。
「消火に使えるものはアスの家にはある?」
「……消火は無理だろう。木で出来ているから、私の家はよく燃える」
アスの返事は、わずかに遅れて聞こえた。
どれほどの期間住んでいたのかはわからなかったけれど、それでも確かにそこは、アスの家だったのだ。
つい先ほどまで、ぼくらはこの家で夕食を共にしていたのにな。その時のアスの笑顔を思い出す。
アスの喜ぶ煮込み料理の香りが、この家には満ちていた。それが今や、焦げ臭い煙に包まれている。
「……今日の報酬と、オーブは確保しておくよ。他に持ち出しておいた方がいいものはある?」
「何もない。あえて言うなら、パンの余り、かな。明日の朝食が必要だろう?」
空元気なのか、本当にそう思っているのか、声色だけではわからない。
でもアスが言ったこともまた、正しいことだった。
ぼくたちには、明日の朝食が必要だ。
この戦いは、ぼくたちの勝利で終わるのだから。
「それよりも、ジン、撃たれるから、まだ家を出るなよ。私が合図するまでは踏ん張ってくれ。弓兵はすぐ処理する」
「わかった」
会話をしながらぼくは、すでに寝室で作業をはじめていた。
必要なのは、オーブと銀貨。
そして今日ギルドから手に入れた契約書。
寝室の道具箱に入れていたそれらのものを、銀貨の袋にまとめて背負う。
かなり重い。この身体では、まともに走れそうにない。
そして周囲は徐々に焦げ臭くなってきている。
それからキッチンへ向かい、余っていたパンを確保していると、アスの声が届く。
「もう出られるぞ、ジン。弓兵は片付けた。ただ、気をつけろ。もうずいぶん燃えている。裏口側から出た方がいい。私もそっちに――」
そこでアスの声が途切れる。ぼくも何度か『ヘッドセット』を通じて声をかけるが、もう届かない。
『ヘッドセット』をつないでいた魔法の糸は断線したらしい。
そのとき、ふと気づく。指先の『糸』も、もう感覚がない。
家を燃やしはじめている炎は、魔法で着火されたものらしい。
魔力のこもった火が、『糸』を焼き切ったんだろう。
『糸』に改善の余地あり。
だが、……。
「今はとりあえず、逃げるしかない、か」
寝室から近い裏口へと向かう。
銀貨の袋が重い。ヨロヨロと歩く。
パチパチと、木の爆ぜる音がする。すでに家の中は煙に満ちはじめている。
息苦しさと、襟足を焼くような熱さを背後に感じる。
やっとのことで裏口を出て、黒い煙の中を進む。
袋を背に担いでいるせいで、ぼくの両手は塞がっている。
魔力で口を覆いながら進んだものの、清浄な空気と煙を切り分ける芸当は出来なかった。
呼吸のたびにわずかな煙が入り込み、ぼくの意識を薄れさせる。
濃くなりつつある煙が目にしみる。
それでも、背中を追ってくる熱の量が徐々に減っていく。
やっとのことで視界が開ける。
黒煙に細めていた目をこする。
ここまでくれば安全だろう。深く呼吸をし、銀貨の袋を地面に置いたところで、ぼくのすぐ頭上から声がした。
「見つけたぞ、ガキ。オーブはどこだ?」
見上げた闇の中で、悪意に満ちた2人の目がぼくを捉えていた。
油断していたな。
予想以上に、その接近は早かった。
身構えながらも、ぼくは考える。
最後に残った2人の敵は、裏口の方角から近づいていた。
そして放たれていた火矢が、アスの襲撃によって止まっていた。
敵にも異常を察知するチャンスはあったわけだ。
そこにいたのは、ザルディ。
そしてケイン。
アスの姿は、周囲にはまだ、見当たらなかった。




