12
ギルドから受け取った正当な対価、銀貨100 枚。
そのお金で食材を買っていかないか、と帰り道で提案してきたのは、アスだった。
「何せ、ジンはまだ、食べ盛りだ。そうだろう?」
その提案は、間違ってはいなかった。
だがどこか目の奥にきらめくような輝きを見せているアスに、それだけじゃないよね、なんて指摘するのは野暮に思えた。
素直に、ぼくはその好意を受け取ることにする。
「いいの?」
「いいも何も、このお金はジンのものだろう?」
じゃらりと銀貨の入った革袋を鳴らすアスに、ぼくはすぐに首を横に振る。
「違うよ、アス。そのお金は、アスが本来得るはずだった、正当な対価だ。だからむしろ、アスのもの、というか……」
「なるほど。つまり、私たちのもの、ということだな。私たちのために使おう」
それからぼくらは好きな食材を買った。
肉に野菜、調味料。現代日本のものと詳細は違えども、お金を出せば似たようなものをそろえることができた。
それに加えて、ちょっとした装身具を買った。
アスはイヤーカフ。ぼくはチョーカー。いずれも、シンプルなデザインのものだ。
アスは自分には要らないと言っていたけれど、『今日の勝利のちょっとした記念』だと説明すると、安い金額のものの中から一つを選んでいた。
それらの買い物の最中でも、気は抜かなかった。
なるべく人通りの多い道を進む。時折立ち止まり、怪しげな姿がないか目を配る。
少なくとも町中では仕掛けてこないだろう――そうは思っていたものの、警戒は解かないまま、町はずれにあるアスの家へと戻った。
料理はもちろん、ぼくが作った。
銀貨を数枚使って得た食材で、ぼくは簡単な煮込み料理を作った。肉の筋繊維がほぐれるまで、野菜がわずかに煮崩れする程度まで、しっかりと煮込む。
味付けは、同じく銀貨で調達した調味料だ。
一通り味見をさせてもらって、ぼくの舌に合う香りのものばかりを選んである。
香りが立ってきた段階で、アスは目を丸くして鍋を覗き込んでいた。
「嗅いだことのない匂いがする。そして、すごく美味しそう……」
エルフは効率のいい生物だ、あまり量を食べなくてもいい、とかつてアスは言っていた。
だけど今やアスは、食べなくてもいいはずの食事に興味津々だ。
まともな食事をしてこなかっただけに、かえってその興味と欲求は強いのかもしれない。
それならやっぱり、これまでこの町のギルドがやってきたことは罪深いわけだ。
「ジン、もう食べられる?」
鼻をひくひくさせながらそう聞いてくるアスは、これはもう、食いしん坊、といってもいいぐらいかもしれない。
「……悪いけど、アス。これは煮込めば煮込むほど美味しくなるんだ。だからもう少し時間がかかる。でもその間、アスにはやっておいてもらいたいことがあるんだ」
ぼくのその声色で、どんな種類の提案か想像がついたのか、アスの表情がきりりとしたものに戻る。
「準備の類か」
「そう。あとは、いくつかの実験とね」
ぼくは目線を積んである薪へと向ける。
それからぼくの意図を説明すると、アスはすぐに了解し、作業をしに家の外へと姿を消す。
それからぼくは鍋を見つめる。
ぐつぐつと煮立っているスープは、きっとアスの作業が終わるころには、食べごろだろう。
「もう少し、香りを立たせてみようかな。そうすればきっと、帰ってきたとき、アスが喜ぶ……」
※※※
夕食時、アスが宝石のような深い青い瞳を細めながら、煮込んだスープを口に運ぶ。
何も言葉には出さなかったけれど、飲み込んだ後の吐息は満足げで、ぼくもまた彼女のそんな反応が嬉しかった。
そしてぼくもまた、すっかり空腹だった。
ここ数日は粗末なパンだけだった。それがいま、満足に食べられる量の食事が目の前にある。
長い間、感じたことのない食欲を覚えていた。
それもそうだろう。
異世界で目覚めたときに宿っていたこの体は、正確な年齢はわからないけれど、まだ10歳程度だ。
小柄で、筋肉が全体的に足りない、痩せっぽちの体。鍋から食器へ煮込み料理を取り分けて口へ運ぶ、その手の大きささえ、かつての自分と比べると物足りない。
だけど全体的に、ビジュアルはいい。
金色の巻き毛に、青い瞳。
整った顔立ちで、現代日本で生きていた頃のぼくに見せてあげたいぐらいだ。
だけどこの体は、この世界においては大きなハンデを負っている。
魔力がほとんどない、ということだ。
メリットもある。
弱すぎる魔力のおかげで、魔法を使っても他人に気づかれない。
それに、この体は魔力に関しては人一倍敏感らしい。魔力そのものを感じ取ることもできる。
でも、戦う力という点では、ぼくは一切持たないといってもいいぐらいだ。
もし、アスという存在がいなかったら。
ぼくは文字通り命をアスに助けられた。
それは、今でも同じだ。生きることを、ぼくはアスに依存しているとも言える。
だから出来る限り、ぼくは彼女を支えなければならない。それがたとえ、彼女の意に染まないことだったとしても。
「アス、この町のギルドじゃダメだ。別の町……もっと、大きな街へと行こう」
ぼくがそう提案したのは、食事の最中だった。
もし、反対されたらどうしよう。そんな思いもあったのだけれど、この家を離れて街へ行く案を、アスは肯定も否定もしなかった。
ただ、不思議そうに首をかしげた。
「なぜ?」
「今日でよくわかった。この町のギルドはアスを搾取していただけだ。でも、今日のような手は二度と使えないし、今後、この町のギルドは、ぼくらを締め出すだろう。取引自体が望めない」
「今日のようにドラゴンの牙を売り続けられるといいのにな」
そう口にするけれど、アスもまた、わかっている。もうできない、というニュアンスがその言葉には込められていた。
「残念だけど、不可能だ。大体、このままじゃ終わらない条件が揃いすぎているよね。町はずれ、人目につかないところで一人で暮らしていたエルフと、最近現れた、素性の知れないガキ。奪われたも同然の銀貨100枚と、それよりもはるかに高価なドラゴンのオーブ。……あのギルド、アスの強さは、どこまで信じているかな?」
アスは食器に残ったスープを口に運ぶ。あ、コレ美味しい、と一言嬉しそうにつぶやいてから、冷静な声色に戻る。
「理解はしているつもりでも、想像ができないかもしれないな。ドラゴンを目にした人間の方が少ないはずだ。……それに、これでも私は、正当なギルドの仕事の請負人だ。手段を選ばず、不法な手段を使うのなら、動かせる人間は限られる」
「ザルドとケイン。他に不正に関わっていた、ギルドマスター側の人間?」
「せいぜい、10人程度」
アスが言い切ったそのとき、ぼくの右手の人差し指にピン、と冷たい振動が走る。
感覚器としては、ここが一番敏感な部分だ。
魔力の糸をここに付けていたのは正解だった。
その振動と共に、料理で温められていたはずの、ぼくの心も徐々に冷めていくのを感じる。
予測していた通りのことが起こっている。
だからこれからは、一瞬の判断が生死を分ける。
「……来た」
ぼくは右手の人差し指を振って、アスに示す。
その指先からは、魔力の糸が伸びている。
食事前、アスにしてもらった準備は、同心円状に三列、薪を使って作った小さな杭を打ってもらったことだった。
その薪には、それぞれ、ぼくが魔法で作った『糸』が通してあり、蜘蛛の巣のような網を作り出していた。
一番外の杭は、家の周囲、半径百メートル程度を一周している。
そのセンサーに、いま、獲物がかかった。
アスが名残惜しそうに鍋の中のものを見る。
煮込んだ料理は、まだ半分近く残っている。
ため息をつき、剣を手に立ち上がる。
「ジン、私はいまはじめて、人間のしたことが許せないと感じているよ」
「穏やかな話し合いを望んでくるかもしれないよ?」
「だとしても、料理を冷ましたことは、それだけで罪だ」
そのとき、最初の反応とは真逆の方向からも、魔力の糸が揺れる感覚がある。
「アス。どうやら、複数方向からの襲撃みたいだよ」
「それなりに評価をしてくれているわけだな。人数は?」
そうつぶやくアスはすでに、ドラゴンと対峙していたときのような、冷たい目をしていた。
もう、先ほどのような冗談を口にする雰囲気もない。
「入口方向に3人。真逆に2人。なかなか、工夫をしてくるみたいだね。魔力の糸がわかっているとは思えないけど」
「問題ない。一つずつ、潰す」
アスは傷だらけの剣の鞘を払う。
そしてアスは、自分の左耳――エルフの長い耳――に触れる。
「ジン、例のやつ、試すんだろ?」
そこには、今日買ったばかりのイヤーカフがついている。シンプルな、銀色の輪だ。
ぼくもうなずき、自分の首に巻いたチョーカーに触れる。そこにも、似たような銀色の輪がついている。
デザインを合わせたのは、わざとだ。
物理的には、あまり意味がない。
だけど、魔法は違う。イメージがものを言う。
ぼく自身は、戦えない。だけどぼくにも、できることがある。機能することは確認済みだけれど、実戦で有用なのか、まだわからない。
せめて、アスの邪魔にならなければいいなと、そう思っていた。




