10 天狗と対決
門まで20メートルくらいになった時、その奥から一人の黒い人影が現れた。烏天狗だ。
真っ黒い上衣は短めで動きやすそう。布の織り目が羽根の筋のように斜めに走っている。
腰には太い深緋の組紐が巻かれている。そこから短い羽根飾りが数本垂れていた。
下半身は袴に近いが、山道を走るために細身で、膝の動きが自由になる形だ。
その天狗は黒曜石のような眼で、僕らをぎろりと睨んだ。
「あ、あの。私は池水正徳。人間界から来たものです。私は行方不明になった友人を探しています。この里に友人が居るかと思い、探しに来たのです」
あらかじめ考えていたのだろう言葉を、池水さんが声にした。
言葉が通じないのかな。烏天狗の反応はゼロに近かったのだ。
彼の首が少し動いて、やっと反応があった。
天狗は右手をすっと上げると、一人を指さしたのだ。
え、俺? と大吾が呟く。
天狗は大吾の方に手招きして、構えを取った。
武道の構えだった。
ここを通りたければ、自分を倒してから行け、そんな言葉が無言の彼から発されているようだ。
「よし、やってやるぞ」
大吾が前に出た。池水さんもどうしていいのかわからないまま、大吾と天狗の試合が始まった。
黒装束の二人の戦いは大吾の横蹴りで始まる。
天狗はほとんど動いていないように見えたのに、大吾の足は空を切った。
黒い影が、ほんの指先ほど横にずれている。
雪飛沫が舞う中、腕を取った投げ技が決まった。
雪の中、大吾が転がった。
今度は七巳に烏天狗の視線が向いた。
「ようし、行くわよ」
七巳も勢いよく天狗に向かう。
はっと七巳の気合が響き、右手突きが伸びる。だが天狗は、
風のように体を傾けただけで避けた。
七巳の前蹴りが続く。
その蹴りを、天狗は手の甲で軽く払った。
払っただけなのに、七巳の体勢が崩れ、雪の上に倒れ込んだ。
今度は僕の番だ。
右手の突きでフェイントを掛けて、懐に入ると同時に左手の突きを脇腹に入れようとしたが、天狗は体を入れ替えて、一瞬後、僕の身体は雪の上に転がっていた。
天狗が僕を見下ろしている。
その黒曜石の眼は、勝ち負けではなく、何かを確かめるような光を宿していた。
その時、無音だった世界に澄んだ声が響いた。
「一本、それまで」
その声は聞き覚えのある声だ。その言葉は、二週間前、湖の島で七巳と試合をした時に聞いた声だった。
見上げると、門扉の上の見張り台に、楽々浦が立っていた。
「楽々浦くん! キミ、大丈夫なのか?」
見上げる池水さんが大きく声を上げた。
楽々浦は一つうなずいて裏側に消えた。すぐに梯子を降りて僕らの前に現れた。
「そろそろ来る頃かなって思ってました。昨日こちらの世界を覗いていたんでしょ。見張りの天狗が教えてくれました」
そう言う楽々浦が、池水さんに紙切れを渡した。
それを僕も覗き込む。
「有人窺里」と書かれていた。なんだこれ。
「なるほど、漢文なんだな。誰かがのぞいていた、か。たしかに私のことだ」池水さんがフンフンとうなずいた。
「彼らは、ごく少数を除いて人間の言葉で話ができないんです。もっぱら筆談です。長老は少しだけ話せるんですけどね。長老の所に行きましょう」
楽々浦が先に立って歩き出した。
僕らもそれに付いていく。
振り向くと、さっきの烏天狗が門の横に門番みたいに立って、僕を見ていた。




