これが普通
きっと、僕には普通の友達ができたんだ
鹿はいい人だ。
初めて会ったとき、僕が弁当を忘れて困っていたら、
何も言わずにパンをくれた。
あのとき思った。
「この人は、僕に“普通”を教えてくれる」と。
自分の行動が“普通”なのか分からなかった。
笑うタイミングも、
話す距離も、
どこに立てばいいのかも。
でも鹿は、
僕が間違えたときに自然に教えてくれる。
怒らないし、
呆れないし、
ただ“こうするんだよ”って示してくれる。
だから、僕は鹿の隣にいる。
鹿の隣にいれば、
僕は間違えない。
鹿の隣にいれば、
僕は“普通”でいられる。
――だから、離れない。
鹿がどこに行っても、
僕は隣にいる。
鹿が嫌がっても、
気づかなくても、
関係ない。
だって――
僕の“普通”は、鹿だから。
おはよう。
これは朝、日が昇っている間に使う挨拶だ。
鹿が教えてくれた。
「挨拶は大事だよ」
「まず最初に言うんだよ」
「それで人と人は繋がるんだよ」
鹿はそう言って、僕に“普通”を教えてくれた。
どんな距離で話せばいいのか、
どんな声の大きさがいいのか、
どんな表情をすればいいのか、
全部よく分からなかった。
でも鹿は、
僕が間違えたときに怒らない。
ただ、
「こうするんだよ」
って教えてくれる。
だから、鹿と話すと楽しい。
鹿と話すと、
僕は“普通”になれる気がする。
鹿と話すと、
僕は間違えない。
鹿と話すと、
僕は僕でいられる。
だから――
ずっと話していたい。
鹿が話してくれるなら、
僕はそれだけでいい。
鹿が話さなくても、
僕は話せる。
鹿がいれば、
それでいい。
鹿は面白い。
赤い果物、柘榴しか食べているところを見たことがない。
最初は不思議だった。
僕も少し食べてみたけど、
正直あんまりおいしくはなかった。
でも鹿は、
あれを“普通”みたいに食べる。
なのに、
ずっとお腹が空いてそうに見える。
鹿の普通は、難しい。
僕には分からないことが多い。
どんな食べ物が普通なのか、
どんな時間に食べるのが普通なのか、
どれくらいの量が普通なのか。
でも鹿は、
僕が間違えたときに怒らない。
ただ、
「こうするんだよ」
って教えてくれる。
だから、鹿の普通は難しいけど、
鹿が教えてくれるなら、
僕はそれを覚えたい。
鹿の普通を覚えれば、
僕も普通になれる気がする。
――もし違っても、
鹿に合わせればいい。
鹿がそうしているなら、
それが普通だから。
鹿は少し注意散漫だ。
歩いているときも、
前を見ていないことがある。
トラックが後ろから来そうになっても、
鹿は気づけない。
だから僕が引っ張る。
鹿が喋れなくなってしまうと、
勿体ない気がするから。
鹿の声は好きだ。
鹿が話すと、僕は安心する。
鹿が黙ると、僕は不安になる。
だから、鹿が黙ってしまうようなことは
起きてほしくない。
鹿が黙ってしまったら、
僕は“普通”が分からなくなる。
鹿が黙ってしまったら、
僕はどこに立てばいいのか分からなくなる。
鹿が黙ってしまったら、
僕は僕でいられなくなる。
だから、
鹿が危ないときは引っ張る。
鹿が黙りそうなときは声をかける。
鹿が遠くに行きそうなときは隣に立つ。
離れないように。
それが僕の“普通”だから。
鹿も、そのほうがいいはずだ。
鹿はすぐ怒る。
でもそれは、
きっと“心配”っていうのをしてくれてるんだと思う。
ちゃんとできてないと怒る。
「ダメだろ」
「ちがうだろ」
って言う。
それは僕が間違えないように、
僕が普通でいられるように、
鹿が教えてくれているんだと思う。
鹿の言うことは正しい。
鹿の普通は難しいけど、
鹿が言うなら、それが正しい。
でも鹿は、
かなり怖がりだ。
猫が苦手だし、
血とか肉とかも苦手なんだ。
僕はそれが不思議だった。
鹿は強いのに、
怒るのに、
僕を引っ張ってくれるのに、
どうしてそんなものが怖いんだろうって。
――でも、たぶん。
怖いものがあるのも、
それを嫌いになるのも、
鹿がそうしているなら、
それが普通なんだと思う。
だから、
僕も覚えておく。
鹿が怖がるものは、
きっと怖いものだ。
鹿はすぐ黙ってしまう。
僕が間違えちゃったことを言ったり、
「一緒にいたい」と言うと、
鹿は黙ってしまう。
なんでだろうか。
言葉っていうのは便利だ。
伝えたいことをそのまま伝えられる。
100%じゃなくても、近くまでは届く。
でも鹿には、
僕の言葉が聞こえてないのかもしれない。
僕が言ったことが、
鹿の中でどう響いているのか分からない。
僕はただ、
鹿と一緒にいたいだけなのに。
鹿が黙ると、
僕は間違えたんだと思う。
鹿が黙ると、
僕はまた“普通”を外したんだと思う。
――だから、
もっと分かりやすく言えばいい。
鹿が黙らないように。
ちゃんと届くように。
鹿が、答えられるように。
僕は、鹿の友達だ。
友達っていうのは、
仲のいい人同士のことだと鹿が教えてくれた。
だから僕は、
鹿の友達の猫羅悠だ。
鹿にいろいろ教えてほしい。
鹿の普通を知りたい。
鹿の言葉をもっと聞きたい。
喋らなくなるのは嫌だ。
鹿が黙ると、
僕はまた間違えたんだと思ってしまう。
でも鹿は、
僕のことが怖いみたいだ。
それは分かる。
鹿は怖がりだし、
知らないものや苦手なものが多い。
でも、
怖いものが“嫌われるもの”とは違うと思う。
だって鹿は、
僕と“帰ってくれる”。
僕が「帰ろ」と言うと、
鹿はついてきてくれる。
怖がっていても、
嫌ってはいない。
怖がっていても、
僕を拒絶してはいない。
怖がっていても――
鹿は僕の隣にいてくれる。
それなら、
それでいい。
――そういうものだから。
鹿と僕は、
そういう関係だ。
「ねぇ、鹿」
「……」
「僕らずっと友達だよね?」
「……」
「……」
(……違う)
(これでいい)
(違う、違う違う)
(怖い)
(これが普通)
(やめろ)
(これで、繋がる)
俺は――
猫羅悠が、大嫌いだ。
――僕は。
現夏鹿が、大好きだ。
お腹が空いた




