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「…楽しいですか?」
キシ、床の軋む音が背後に聞こえる。
わざわざ振り向かなくとも、皮肉に充ちた物言いから誰であるかということは容易に判った。僕の友人にこのような話し方をする奴は一人しかいない。
またきたか、と思うけれど、考えてみれば久々だった。こうして言葉を交わすのはいつぶりだろうか。
きっと、愉快そうに口端をつり上げ、この世をどこか悟った風にして、そこに立っている。
「楽しいですよ。自然の流れを眺めるのは好きですからね」
夜空を見上げれば、そこには満月がただ毅然と浮かんでいる。日々満ち、日々欠けていく。毎日規則的に浮かんでは消える。いなくなったり、現れたり。ただ輝きだけが褪せない。
それはまるで不動の存在のようだった。姿は見えなくとも、いつだってそこにいる。これを美しいと思うのは、決して恥ずべきことではない。それほどに、美しいのだから。
東雲君はふーん、と興味無さげに鼻を鳴らして、
「酔狂なお人だ」
と言い放った。感慨に浸っていた人間の気分を台無しにしてしまうのが、この人だった。まったく相変わらずだとしか言葉が見つからない。昔からこうだ。
「風流を楽しむのは人間として健全なことだと思いますが。あなたこそ変わりませんね。その皮肉げな言葉遣いをどうにかできないんですかね?」
「元々ですから仕方ありません。直そうとも思いません。ふふ、望月君。今夜はやけに饒舌ですね。何かあったのですか?」
そう問われて、一瞬僕は思わず口をつぐんでしまう。それは、あまりにも核心をついた問いだった。東雲君は人の機微を正確に読み取ってしまう。昔から人の心を掴むのが大変得意なだけあった。それを格好いいとーー憧れる僕もーーいなくはなかった。
ふふ……、とあざ笑う吐息が耳に障る。まるでお見通しだとでもいうようで。
「まったくあなたは解りやすい。図星を突かれると押し黙る。昔から変わりません」
二十五年も顔を合わせ、その中でしばらく離れても、お互い変わらない。
それが悪癖ならば呆れ嘆いてしまうけれど。僕は美しいと思う。
あなたのことを美しいと思ってしまう僕が、たしかにそこにいる。
「……不変なものも美しいでしょう?」
「っふはははは!とんだ詭弁ですよそれ。ちっとも変わらない……まあ、喜ばしいものなのかもしれませんね」
変わらないのは、あなた自身も。
そう言おうとしたけれど、あなたが美しいと思っていることすら伝わってしまいそうで、思わず唇を閉ざした。
空を漂う雲が、満月の光を遮断し、覆い隠してしまう。闇がさらなる深みをみせた。池は闇にとけ込んでしまったしまった。
今、視界を照らすのは、後ろの部屋の暖炉の灯だけであった。仄かに僕達を照らしている。
「君は何を話したいのですか。それに君、不法侵入ですよ。解ってますか?」
今さらだとわかっていながら。不法侵入が当たり前のような関係でありながら。それを言ってしまうのは、僕が動揺しているからに他ならなかった。二十五年も友でいれば、それが東雲君であれば。容易く悟られてしまうのだ。僕が思い悩んでいることなど。
「ねえ、望月君」
突然、彼の声のトーンが随分低くなる。とても珍しいことだった。自分の感情を悟られるのを嫌がる彼だから、どんな時もあっちこっちに旗を翻して、ヘラヘラしているというのに。惰性で聞くのを止め、耳を傾ける。
こんな夜にふらりと僕の家に寄るのも久々なので、東雲君にも何かあったのだ。
「私は……」
重たく、重たく、冷たい声だった。
底なし沼のように深く重く、自分にどろどろとまとわりついてくるかのような。
「あと三ヶ月か…それより短いでしょうか。そのくらいしか生きられないようです」




