第5話 聖言《セイント・ポール》
店は村の中心部から少し離れた場所にあった。
炎が通り過ぎた痕跡は、そこにもはっきりと残っていた。屋根は崩れ落ち、壁は黒く焦げ、かろうじて形を保っているだけだった。半分焼け落ちた看板が風に揺れていた。
彼は店の前で足を止めたまま、何も言わなかった。
俺は彼の隣に立ち、崩れた建物を見つめた。大丈夫かと尋ねても意味はないだろう。いつか建て直せると慰めるのは、それ以上に無責任な言葉だった。
彼はため息をつくと、平気なふりをして瓦礫の中へ足を踏み入れた。
「さあ、入ろう。足元に気をつけろよ」
「おじさんこそ、気をつけたほうがいいんじゃないですか?」
「ははっ! お前なあ、ここは俺の店だぞ。どこに何があるかくらい、俺のほうがよく知ってるさ」
「だからって、崩れかけた屋根が店主の顔を見て手加減してくれるわけじゃないでしょう」
「口だけは達者だな。さっきはあんなに泣いてたくせに」
「……」
彼はしばらく俺の顔を眺めたあと、豪快に笑った。
「冗談だ、冗談。そんな深刻な顔をするなよ」
彼は崩れた木材を脇へ押しのけた。
店の中には、焼け焦げた棚や割れた壺、原形も分からない金属製の道具が散乱していた。かつて、ここで売られていた商品なのだろう。
彼は瓦礫を一つずつどかしながら、奥へと進んでいった。
「そういえば、まだ名前も聞いてなかったな。俺はトムペルズだ。トムと呼んでくれていい」
「レオン・アルベンです」
「レオンか」
彼は俺の名前を一度繰り返した。
「いい名前だな。覚えておこう」
しばらくして、トムは崩れた棚の下から小さな金属製の箱を引っ張り出した。表面は灰と煤に覆われていたが、幸い大きく変形してはいなかった。
彼は袖で箱を拭い、留め具を外した。
カチリ。
中には、古びた鞘に収められた一本の剣が入っていた。
トムは剣を取り出すときだけは慎重だった。古い革の鞘には傷がつき、柄にも長い年月を感じさせる痕跡が残っていた。華美な装飾はない。
だが、彼が少しだけ剣を抜いて刃を確かめた瞬間、鋼の上に淡い青色の筋が浮かび上がった。
「……これは?」
「いい剣だぞ。うちの店にあった品の中でも、指折りの逸品だ」
彼は剣を再び鞘に収めた。
「そんな剣を、どうして売らずに保管していたんですか?」
トムはしばらく剣を見下ろした。
「売る機会がなかったわけじゃない。金を払うと言ってくれた奴もいたさ」
「それでも、ですか?」
「それでも売りたくなかったんだよ」
彼はそれ以上説明せず、剣を俺に差し出した。
「ほら、受け取れ」
俺は思わず彼の顔を見た。
「……俺にくれるんですか?」
「じゃあ、ここで剣とでもおしゃべりしろってのか?」
「いや、そういう意味じゃなくて……」
「冗談だ。受け取れって」
俺は恐る恐る剣を受け取った。柄は思っていたよりもずっしりとしていて、使い慣れた剣とは重心も少し違っていた。まともに扱えるようになるには、慣れるまで時間がかかりそうだ。
それでも、手放したいとは思わなかった。
「名前は聖言だ。マナを使った剣術の効率を高めてくれる剣だな。マナを生み出してくれるわけでも、扱い方を教えてくれるわけでもない。お前が持っている力を、少しだけ効率よく使えるようにしてくれるんだ」
俺は剣を見つめた。
マナを扱うことは、昔から苦手だった。体の中にマナがあるという感覚は確かにあったが、その流れを思いどおりに動かすのは、なかなかうまくいかなかった。
何度か失敗すれば疲れてしまう。結局、慣れ親しんだやり方に戻った。剣術と経験で足りない部分を補い、どうしても必要なときだけマナを使う。下級冒険者として生きていく分には、それでも大きな問題はなかった。
もっと深く学びたいと思ったことがなかったわけではない。ただ、それほど切実ではなかったのだ。難しいという理由で鍛錬を先延ばしにし、少し上達すればそれで十分だと思っていた。
そうだ。今までは、それでもよかった。
だが、もうそんなことは言っていられない。
「剣が優れているからって、使い手まで強くなるわけじゃない。お前がマナの扱い方を身につけなければ、この剣も本来の性能を発揮できないだろうな」
彼は俺の肩に手を置いた。
「これからも失敗するだろうし、思ったように上達しないこともあるだろう。それでも、本気で強くなりたいなら、そのたびに乗り越えていけ」
彼はしばらく、崩れた店の中を見回した。
「俺がこの剣を渡すのは、お前がすでに大した人間だからじゃない。これから変わっていけると思ったからだ」
俺はセイント・ポールを見下ろした。
この剣は、何一つ保証してはくれない。マナの扱い方も、バルトロスに勝つ力も、回帰者を見つけ出す方法も教えてはくれなかった。
結局、残りは俺次第だった。
この剣の重みにふさわしい人間になれるだろうか。
柄を握る手に力がこもった。今すぐ答えを出すことはできない。それでも、この剣を受け取っておきながら、以前のように後悔ばかりして過ごすつもりはなかった。
セイント・ポールを腰に差すと、ずっしりとした重みが脇腹に伝わった。
「……ありがとうございます」
「礼は後でいい」
トムは手を振った。
「強くなれ。この剣をお前に託したのが無駄じゃなかったと、俺に証明してみせろ」
「必ず強くなります。必ず強くなって……この恩は返します」
トムはしばらく俺を見つめてから、頷いた。
「よし。だが、無茶はするなよ。強くなろうとして死んじまったら、何の意味もないからな」
「分かっています」
「分かっていることと、守れることは別だぞ」
「……肝に銘じておきます」
彼は豪快に笑った。
トムは焼けた棚を一度確認してから、こちらを振り返った。
「俺はまだ片づけなきゃならんものがある。それに、娘のところにも顔を出さないとな。あとで何か必要になったら訪ねてこい。できる限り力になってやる」
「本当に……ありがとうございます」
「だから、礼は後にしろって」
彼は手を振りながら笑った。
俺は崩れた店を振り返った。ここにも、誰かの暮らしがあった。商品を売り、客を迎え、一日の終わりに店を閉める。そんな当たり前の日常が。
それらは、一瞬にして焼け落ちてしまった。
恨んでも、後悔しても、何一つ取り戻すことはできない。だが、これから先のことまで決まってしまったわけじゃない。
「それじゃ、行ってきます」
トムは手を振った。
「それと、レオン!」
歩き出そうとした俺は、振り返った。
「お前が何を経験したのか、俺にはまだ分からんが……」
彼はニッと笑った。
「少なくとも次に会うときは、今よりマシな顔を見せてくれよ!」
俺は苦笑いを浮かべた。
「努力します!」
トムに背を向け、歩き出した。
そうだ。
今すぐバルトロスを倒すことはできない。回帰者を見つけ出す方法だって、まだ分からない。
だからこそ、今できることから始めればいい。
俺は腰に差した剣の柄を軽く握った。
バルトロスを前にして、すくんでしまった手だ。
あのときは何もできなかった。だが、次もそうなるとは限らない。
回帰者を見つけ出し、バルトロスを倒し、ロシュバーン家を潰す。
◇ ◇ ◇
夜明けの空気は、まだ冷たかった。
村が炎に呑まれた日から、二日が経っていた。
崩れた建物はまだ片づけられておらず、道のあちこちには黒焦げの木材や割れたガラスの破片が積み重なっていた。
人々はそれぞれ仕事を見つけて動き回っていたが、その顔に火災以前の穏やかさを見つけるのは難しかった。
俺も同じだった。
ただ、もう何もせずに座り込んでいるつもりはなかった。
俺は腰に差した剣を見下ろした。
セイント・ポール。
トムペルズが、崩れた店の瓦礫の中から渡してくれた剣だ。
一見すると何の変哲もない剣だが、刃を少し抜くだけで、鋼の上に淡い青色の筋が浮かび上がる。
「……よし。どれだけ大したもんなのか、見せてもらおうか」
◇ ◇ ◇
村の中心部にあるギルドは、朝から騒がしかった。
扉を開けると、酒の匂いと汗の匂いが一度に押し寄せてきた。
掲示板の前では依頼を選ぶ冒険者たちが言い争い、片隅のテーブルでは誰かが大げさな身振りまで交えながら、昨日の武勇伝を語っていた。
「それで俺が魔獣の首をガシッと掴んで……!」
「お前が掴んだのはウサギだろ」
「そのウサギがどれだけでかかったか、分かってんのか!?」
火災のあとも、冒険者たちの日常はそれほど変わっていないようだった。
もちろん、彼らにも事情はあるのだろう。誰かが金を稼がなければならないし、誰かは生きていくために今日も命を懸けなければならない。
俺は掲示板の前に立ち、依頼書に目を通した。
薬草採取、物資の運搬、護衛の補助……。
すぐに金を稼げる仕事はいくらでもあったが、今日の目的は別にあった。
下級魔獣の討伐。
森に出没する狼型の魔獣を始末する依頼だった。危険度は低めで、報酬も悪くない。何より、新しく手に入れた剣を試すにはちょうどよさそうだった。
俺は依頼書を剥がし、受付カウンターへ持っていった。
「これを受けるよ」
「レオン・アルベンさん……お一人で受けるつもりですか?」
金髪のギルド職員が、依頼書と俺の顔を交互に見た。
「ああ。新しい剣も手に入ったし、試してみようと思って」
「下級魔獣とはいえ、一人で相手にするのは危険です。特に、今回発見された群れは複数で行動しているそうです。できれば、ほかの冒険者と一緒に向かわれたほうが……」
「心配してくれてありがとう。でも、とりあえず行ってみるよ。危ないと思ったら逃げればいいんだし」
俺は軽く笑い、依頼書を差し出した。
職員はまだ納得していない様子だったが、それ以上引き止めようとはしなかった。代わりに、彼女の視線が一瞬、俺の腰に差した剣へ向けられた。
「その剣、いいものみたいですね」
「そうみたいだな」
「それでも、剣だけを頼りにしないでくださいね。くれぐれも気をつけて」
「分かった。行ってくるよ」
俺は軽く手を挙げ、ギルドを出た。
そうだ。俺は二十二回も死んだ。
炎に焼かれて死に、崩れた建物の下敷きになった。命が途切れる瞬間の感覚は、今も生々しく残っている。
それでも、死ぬのが怖くないのかと聞かれたら、当然そんなわけがなかった。
怖い。死にたくない。あんな苦痛は二度と味わいたくない。
だが、それ以上に嫌なのは、何もできないまま誰かを失うことだった。
「……もう二度と死ぬつもりはないんだよ」
そう呟いて、俺は森へと向かった。
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本作は自作の小説を翻訳したものです。
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