【第四章】君が隠した、夏の秘密
楽しい時間ほど、終わりを意識した瞬間に少しだけ切なくなる。
蓮にとって、星と過ごす日々は失ったものを取り戻していく大切な時間になっていた。
けれど、星の笑顔の奥には、まだ誰にも話していない秘密が隠されている。
二人が作る「7月91日」。
その約束が、ただの思いつきではないことを知る日は、少しずつ近づいていた。
これは、限られた時間の中で紡がれる、二人だけの夏の物語。
夏休みが始まってから、病院の中庭は少しだけ賑やかになった。
蝉の声。
青く広がる空。
照りつける太陽。
以前なら、そんな当たり前の夏の景色を何とも思わなかった。
でも今は違う。
星と過ごす時間が増えるほど、一日一日が特別なものに感じられるようになっていた。
「蓮くん」
いつものベンチで、星が僕のノートを覗き込む。
「また曲を書いてるの?」
「まだ途中」
「見せて」
「嫌だ」
「即答だ」
星は不満そうに頬を膨らませた。
「昔からそうだよね。自分の作ったもの見られるの苦手」
「別に」
「照れてるだけじゃん」
「違う」
そんなやり取りをしていると、不思議と事故のことを忘れられた。
ピアノが弾けなかった日々。
未来が全部なくなったと思っていた自分。
そんな過去が、少しずつ遠くなっていく。
「ねえ、蓮くん」
「今度は何」
「もし、最後に一曲だけ弾けるなら、何を弾きたい?」
その質問に、僕は眉をひそめた。
「また変なこと聞くな」
「いいから」
少し考える。
以前なら、全国大会の曲と答えていた。
でも今は違った。
「……星に聴かせたい曲」
気づけば、そんな言葉が出ていた。
星は一瞬、驚いた顔をした。
そして、いつものように笑った。
「そっか」
その笑顔は嬉しそうなのに、どこか寂しそうだった。
「じゃあ、約束ね」
「何を?」
「完成したら、一番最初に聴かせて」
「当たり前だろ」
僕がそう言うと、星は小指を差し出した。
「約束」
子供みたいな仕草だった。
でも、なぜか断れなかった。
僕も小指を絡める。
「……昔から変わらないな」
「何が?」
「約束するとき、絶対こうするところ」
「大事だからね」
星は笑った。
その日の夕方。
僕が音楽室で練習していると、突然手が止まった。
廊下の向こうから、看護師さんの声が聞こえた。
「白石さん、今日の検査結果ですが……」
その名前に反応して、僕は扉の前で立ち止まる。
聞くつもりなんてなかった。
でも、足が動かなかった。
「……予定より少し早く進んでいます」
「そうですか」
星の声だった。
いつもの明るい声とは違う。
静かで。
諦めたような声。
「まだ、ご本人には……」
「大丈夫です」
星が答える。
「蓮くんには、最後まで言わないでください」
胸の奥が冷たくなった。
最後まで?
何を?
僕は思わず一歩下がった。
その瞬間、床が小さく鳴った。
「……蓮くん?」
扉の向こうから星の声がした。
僕は慌ててその場を離れた。
廊下を歩きながら、頭の中で何度も言葉が繰り返される。
最後まで言わないで。
何を隠しているんだ。
その夜。
星からメッセージが届いた。
『明日も中庭で待ってるね』
いつもと変わらない文章。
いつもと変わらない星。
だけど。
僕は初めて気づいた。
星の笑顔の奥には、僕が知らない何かがある。
そして、その秘密は。
僕たちの「7月91日」という約束を、大きく変えてしまうものなのだと。
第四章まで読んでいただき、ありがとうございました。
今回は、蓮と星の距離がさらに近づく一方で、星が抱えている秘密に少しずつ触れる章になりました。
いつも明るく笑っている星ですが、その笑顔の裏には、蓮にはまだ見えていない想いがあります。
「7月91日」という存在しない日。
なぜ星はそこまで時間にこだわるのか。
そして、彼女が蓮に隠しているものとは何なのか。
これから物語は、少しずつ核心へ向かっていきます。
二人が過ごす一日一日を、大切に見届けていただけたら嬉しいです。
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次章もよろしくお願いいたします。




