【第一章】雨の日のピアノと、嘘の始まり
この物語は、夢を失った少年と、秘密を抱えた少女が過ごす、ひと夏の物語です。
何気ない会話や音楽、そして少しだけ不思議な「嘘」が、二人の止まってしまった時間を少しずつ動かしていきます。
最後まで見届けていただけたら嬉しいです。
翌日。
朝から降り続く雨が、病院の窓を静かに叩いていた。
昨日までの眩しい青空は姿を消し、世界は灰色のヴェールに包まれている。
約束どおり、僕は中庭へ向かった。
けれど、いつものベンチに星の姿はなかった。
「白石さんなら、リハビリ棟の音楽室にいますよ。」
すれ違った看護師さんが、そう教えてくれた。
音楽室なんて、この病院にあったのか。
半信半疑のまま廊下を歩き、古びた木製の扉を開ける。
その瞬間だった。
ポーン――。
たった一音。
柔らかく響いたピアノの音が、静かな部屋いっぱいに広がった。
決して難しい曲ではない。
けれど、その一音だけで胸の奥が締めつけられる。
窓際のアップライトピアノには、星が座っていた。
点滴の管を腕につけたまま、小さく身体を揺らしながら鍵盤に触れている。
雨音と混ざり合う旋律は、不思議なくらい優しかった。
「来てくれたんだ。」
僕に気づいた星が振り返る。
「昨日、約束したでしょ?」
「……音楽室なんてあるなんて知らなかった。」
「入院してる人のための部屋なんだって。」
星は嬉しそうに笑う。
「ねえ、蓮くん。」
そう言って、鍵盤から手を離した。
「このピアノ、弾いてみない?」
思わず右手を見つめる。
まだ思うようには動かない。
「無理だよ。」
「無理って決めるの、早くない?」
「医者にも言われた。もう前みたいには弾けないって。」
言葉にした瞬間、胸の奥の痛みまで蘇ってきた。
星は静かに立ち上がると、僕の隣へ歩いてきた。
「ねえ。」
小さく笑う。
「音ってね、上手い人だけのものじゃないんだよ。」
その言葉に、僕は返事ができなかった。
「蓮くんの音は、ちゃんと生きてる。」
そう言って星は、もう一度鍵盤に指を置く。
雨音に寄り添うように流れ始めた旋律は、どこまでも優しかった。
その日、僕はまだ知らなかった。
彼女が毎日この音楽室へ通う本当の理由も。
「七月が、もう少しだけ続けばいい。」
その願いに隠された、あまりにも切ない嘘も。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
第一章はいかがでしたでしょうか。
蓮と星の出会いは、まだ物語の始まりに過ぎません。
この先、二人の距離が少しずつ縮まり、「7月がもう少しだけ続けばいい」という星の言葉の意味も明らかになっていきます。
少しでも「続きが気になる」と思っていただけたら、とても嬉しいです。
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次回もよろしくお願いいたします。




