剥がれ落ちた現実と、狂気の聖女
屋敷に戻ると、長兄達はそのまま、皆が揃う父の書斎へと急いだ。
書斎には既に一報を受けていた父と、戦闘が不得手な次兄、そして次兄の腕の中で静かに泣く妹の姿があった。
状況がわからず苛立つ父へ、長兄がマントに包んだ中身を見せると、父親はすべてを察したかのように真っ青になる。静かにそしてすがるように長兄を見るが、長兄は首を振った。
「そんな……まさか、あの子が......! なぜ、なぜあの子がそんな目に……っ!」
これまで冷遇し、気にも留めていなかった長女の凄惨な最期。近くに立つ三男が、ショックで崩れ落ちそうな父親の肩を支え、必死に慰めようとした、その時だった。
「ええ……!? お姉様が!? そんな、まさか! なぜお姉様が魔物と戦う必要なんてありますの?」
妹が、心底不思議そうに声を上げた。その場の空気が、一瞬で凍りつく。
「……何を言っているんだ? お前を襲って衣装を奪い、お前の身代わりになって山へ登ったからに決まっているだろう……!」
「え? でも、それっておかしくありません? だってお姉様、戦う必要なんてないじゃないですか」
兄弟たちはぎょっとした。誰もが、この悲劇の構図は姉が妹を守るために身代わりになったと理解している。なのに、目の前の妹だけが、致命的にその「文脈」を理解していない。その絶望的な頭の悪さに、家族全員が初めて気がついたのだ。
次兄の腕の中で泣き止んだ妹が、涙を拭って、不思議そうにそして無邪気に首を傾げた。
「お姉様、勝手に戦って死んじゃったんですよね?
だったら、お姉様は最初から事故か何かに遭って死んだことにして、私がすごい魔法で魔物をやっつけました!ってことにするのが一番ですわ!」
「……お前、自分が何を言っているのか分かっているのか!?」
武闘派の長兄が、激しい嫌悪感と怒りで声を荒らげる。形見の腕を前にして不謹慎極まる妹の暴論。だが、妹は怯えるどころか、まるで「物分かりの悪い人に、優しく言い聞かせるような雰囲気」をまとって、ニコリと微笑んだのだ。
「何がだめなのですか? お兄様もお父様も、ずっと言ってたじゃないですか。どうしてお姉様が生贄に選ばれなかったんだって、あんなに怒っていたじゃないですか。そのとおりになったのですから、もっと喜ばないとだめじゃないですか」
「っ……!!」
書斎が、凍りついた。ゾッとした。それは、たしかにその通りだった。だが、それは妹を愛するあまりに、冷徹に見えた長女へ八つ当たりをしてしまっただけで、本心ではなかったのだ。
いや、本心ではなかったと、今更になって思い知ったのだ。
しかし、知性の足りない妹には、そんな人間の複雑な建前や感情の機微など伝わらない。彼女はただ、父親や兄たちの言葉を「正しい正義」として、そのまま信じ込んでいただけだった。
妹の無邪気な、残酷な正論は止まらない。
「お姉様ってブサイクで愛想がなくて、何を考えているか分からないし、嫁にも出せない欠陥品だって、お父様もおっしゃってましたものね。これでいなくなってくれて安心しましたでしょう?」
父親の顔から、完全に血の気が引いた。自分が過去にこぼした愚痴が、死んだ娘の『ちぎれた腕』の前で、最愛の娘の口から爆弾となって降ってきたのだ。
誰も、何も言えなかった。暖炉の薪が爆ぜる音だけが、やけに大きく書斎に響いていた。
「お姉様は勝手に死んでしまいましたけれど、いくら役立たずで皆様に嫌われてたからとはいえ、このままじゃ可哀想ですわ。
だから、お姉様の遺志を受け継いで、私は立派な聖女になります!
それがお姉様のお気持ちだと、私は思うのです!」
胸を張ってキラキラした笑顔で言う妹に、次兄が引きつった声を出す。
「ち、違う! 何を言っているんだ! 彼女を『魔物を倒した英雄』として公表し、お前は『姉に守られた妹』として生きるんだ、それが筋だろう!?」
だが、妹にはその「筋」が1ミリも理解できなかった。悪気なく、心からの疑問を父親と兄弟たちにぶつける。
「なぜですか? 私、聖女なんでしょう? そっちのほうが良くないですか? だって、お姉様はもう死んでしまってこれから何の役にも立ちませんし、お姉様のことを『英雄』なんて言っても、誰の特にもなりませんわ」
「お前……っ!!」
「お兄様だって、お姉様が生贄に選ばれなかったことを残念がってらしたじゃないですか。私が聞き間違えたとでも?」
長兄は口を開きかけて、そのまま閉じた。反論の言葉を探したが、見つからなかった。たしかに、あの日そう言った。妹を守りたい一心で、姉への当たりの強さを、正義だと思い込んでいた。
父は、頭を抱えたまま動けずにいた。脳裏に浮かんでいたのは、いつだったか長女が幼い頃、父の顔を覗き込んで無邪気に笑いかけてきた記憶だった。あの顔を、いつから見なくなったのだろう。それを思い出そうとして、思い出せる記憶が一つもないことに気づき、父はますます青ざめた。
「私のほうが可愛くて回復魔法が使えて、優しくていい子で、皆様のお役に立つんですから、私が魔物を倒したことにして『聖女』になったほうが、我が家のためにも絶対に良いと思いますよ?」
――ドサリ、と長兄がその場に頽れた。
妹は、1ミリの悪意も持っていなかった。ただ、父親や兄弟たちが日頃から口にしていた「長女への罵倒」と「次女への甘やかし」を、その通りに正しく学習し、家族みんなが一番得をする「名案」を素直に提案しただけなのだ。
自分たちが生み出した「無自覚な怪物(妹)」を前に、父親も、三男も、他の兄弟たちも、完全に言葉を失った。言い返す言葉などない。なぜなら、その怪物に「姉はブサイクで役立たずだ」と教え込み、育て上げたのは、他ならぬ自分たちなのだから。
悪気は1ミリもなかった。
100%の善意と、100%の純粋さ。
父は、震える手でマントごと娘の腕を抱き寄せた。二度と、あの子の顔を見ることはできないというのに。
一生消えない罪悪感と、会話の通じない聖女(妹)を、自分たちの手で一生崇め奉らなければならないという、逃げ場のない永久監禁刑の始まりだった。




