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神祇伯

平安時代の「承和の変」を舞台にした歴史ファンタジーです。

 朝靄あさもやが薄く立ち込める夜明けに、鳥たちの囀りが微かに聞こえている。


 神祇官の白砂には、五十人を超える官人が息を潜めるように整列していた。


 その間を、緋袍あけごろもを纏った新任の神祇伯が、ゆるやかな歩みで八神殿に進んでいく。


 神前に至ると、卜部うらべ亀卜きぼくの具を整えて、祝部はふりべの祝詞が厳かに響き渡った。


 その幻想的ともいえる儀式とは裏腹に、官人たちの下世話な囁きが、さざ波のように静かに広がっている。


「今回の神祇伯就任は、何もかもが異例であったのう…」


「何が異例だというのだ?」


「まず、任ぜられた白川延信という男は、半家からの大抜擢だそうだ」


「何と、半家の出で神祇伯に任じられるなど、聞いたためしがない。

 どんな後ろ盾があるかは知らぬが、そのような者が神祇官の頂きに立ち、天下の祭祀を取り仕切るとは…」


「それだけではない。

白川某なにがしは、皇胤でもないのに王位を賜り、更には、王号の世襲まで許されているのだ」


「世も末でございますな」


「噂では、この一件を裏で糸引くは、大納言、藤原良房殿だとか…」


「さもありなん。

さればこそ、この異例づくしの大抜擢というわけか…」


「だが、白川某の才が劣るのかといえば、どうやら、そうでもないらしい。

 噂では、何百もの近衛の兵を、一瞬にして動けなくしたという」


「何と!それは、いかなることだ?

物の怪の類いではないか!」


「いや。並外れた呪力を持ち、卓越した呪術を操るそうだ」


「何とも、恐ろしき男よ…」


「もっとも、あくまでも噂に過ぎぬがな」


「ただ、不思議なことも囁かれておるのだ。

昨年の文月、謀叛の罪により隠岐に流され、非業の死を遂げた但馬権守、橘逸勢の娘が、白川延信に嫁いだというではないか」


「何と、あの気難しい大納言殿が、それをお許しになるとは…」


「そのうえ、白川家が養子に迎えた小坊主は、藤原良房殿の政敵として、流刑に処された男の息子だというから、訳が分からぬ」


「それは誠か?

なにゆえ大納言殿は、謀反人の縁者を抱える男を、かように取り立てるのじゃ?」


「恐ろしきことよ。

魑魅魍魎が跋扈する朝廷では、誰が敵で、誰が味方かも分からぬわ」


「ほんに、ほんに…」


「これも噂なのじゃが、昨年の変以来、朝廷の様子が大きく変わったと囁かれておる。

 飛ぶ鳥を落とす勢いの大納言、藤原良房殿の背後に黒幕がおるとか…」


「戯れを申すでない。

それこそ、根も葉もない噂であろう」


「されど、ワシも耳にしたことがある。

今、朝廷を動かしておるのは、雨神様うじんさまなる御方だとか…」


「雨神様とな?

ワシは、虚ろ殿うつろどのと聞いたが、女房どもは、五筆和尚などと申しておったな…」


「そういえば白川某も、こたびの任官に際し、帝から白川伯雨なる名を賜ったと聞く…」


「なるほどのう、それまでも白雨と名乗っておったが、神祇伯になられたので伯雨か…」


「更に、養子に迎えた息子も、賢珍という僧名を改め、沃雨よくうと名乗っているそうな。

 雨だ、雨だ、というからには、我らが知らぬだけで、雨神様とも、何やら深いえにしがあるのやも知れぬな…」


「くわばら、くわばら。

触らぬ神に祟り無しじゃ。

ここで生き抜きぬくつもりならば、見ざる、聞かざる、言わざるを貫かねばならぬ」

読んで頂き、本当にありがとうございました。

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