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健岑と白雨

平安時代の「承和の変」を舞台にした歴史ファンタジーです。

 初夏の風を受けて立ち尽くすと、どこまでも広がる田園風景の先に、こんもりとした竹藪が茂っており、その傍らに、倹しい庵がひっそりと佇んでいた。


 久しぶりに、白川白雨の治療所を訪ねると、変な小坊主が甲斐甲斐しく働いている。


 汗をかきながら薪を割る小坊主に、訝しげな視線を投げかけると、「鍼治療を所望ですか?」と笑顔を向けてきたので、「己は、春宮坊帯刀舎人(とうぐうぼうたちはきのとねり・皇子の護衛)で伴健岑とものこわみねと申す」と名乗りを上げた。


すると、小坊主の顔が急に強張る。


「お侍様が何のご用でしょうか?」


それはそうだろう。


小坊主にとって、侍などは鬼のような存在だ。


「安心しろ、御用ではない。

ここの鍼医者とは旧知の仲なのだ」


 この言葉に安心したのか、笑顔で「奥へどうぞ」と招き入れてくれるが、引戸を開ければ、土間の奥に板間が有るだけのあばら屋で、奥などはない。


 己が目をやると、白雨が縁側で書を読んでいたので、その背中に声を掛けた。


「書ばかり読まずに、たまには太刀でも振るったらどうだ?

 気分がスッキリするぞ」


 首を傾げるように、こちらに視線を向けてきた白雨は、不機嫌そうに「お主は単純で良いな…」と嫌味を口にした。


「おい白雨、あの小坊主はどうしたのだ?

まさか、雇い入れたわけではあるまい」


 白雨は、いつものように、何を考えているのか分からぬ顔で首を振る。


「分からん。

患者だったが、治療が終わっても寺に帰らず、居ついてしまったのだ」


「どちらの患者だ?鍼灸か?霊枢か?」


「霊枢の方だ…」


それを聞いて、己れは苦笑いを浮かべる。


「では、また人の雨を喰ろうたのか?

人の邪気を喰らうなど、物の怪のやることではないか。

 そんなことをしておるから、変なのに居つかれてしまうのだ」


 白雨は、もっともだと頷いてから、「しかし、興味深いことが分かった」と言うので、己れが「何が興味深いのだ?」と訊ねる。


「あの小坊主は、賢珍というのだが、賢珍の父親は中納言に嵌められて、隠岐に流されたらしいのだ」


 ハッとなった己れが、「藤原良房ふじわらのよしふさが親の仇か!」と言うと、白雨に「声が大きい!」と叱られた。


 白雨が外に目を向けると、賢珍は、気付いた様子もなく薪を割っていた。


「そのことは、賢珍に伝えておらぬのだ。

賢珍の母御が、それを望んでおらぬと分かったのでな…」


「では、そのえにしであの小坊主をここに置いてやることにしたのか?」


白雨が静かに首を振る。


「いや、その縁ではない。

賢珍が霊枢治療に興味を持って、弟子にして欲しいと願ったのだ」


「お主が、空海僧正そうじょうの弟子だということを知っておるのか?」


「いや。知らぬだろう。

空海が霊枢に関わっていること自体、知る者は少ない。

 ましてや、霊枢の弟子は私一人しかいないのだ」


 すると、白雨が己れの顔を真っ直ぐに見詰めてきた。


「ところで、今日は何の用だ?

まさか、世間話をしに来たわけではあるまい」


 その言葉に、己れは少し声をひそめてから、「上皇様のおかげんはどうなのだ?」と訊ねると、白雨が、初めて身体をこちらに向けてくる。


「どうせ、但馬権守たじまごんのかみ橘逸勢殿から様子を見てこいと言われたのであろう?」


 己が、頭を掻きながら、「まあ、そんなところだ…」と言うと、白雨は書を置いて「まあ座れ」と、縁側の床を軽く叩いた。


己れが座ると、顔を寄せてくる。


「実は、あまり良くないのだ。

都度、雨を抜きながら様子を見ておるが、これ以上は引っ張れぬというところまできておる」


己は、顎を掻きながら「そうか…」と呟いた。


「中納言は動き始めたか?

橘逸勢殿からは、何か聞いておらぬか?」


己は、力なく首を横に振る。


「今は、朝廷内がピリピリとしておる。

春宮とうぐうをお護りする立場の己が、誰かと気軽に談合などできぬのだ。

 それこそ、藤原良房から謀叛の罪を着せられてしまうわ」


白雨が頷いた。


「そうであろうな。

それなら、中納言が動き出す前に、こちらが動き出さねば間に合わぬかもしれぬ。

 何とか、橘逸勢殿と繋ぎを取ってくれ」


その言葉に己も大きく頷いたのだ。

読んで頂き、本当にありがとうございました。

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