母君の愛情
平安時代の「承和の変」を舞台にした歴史ファンタジーです。
「こうして、そなたの寝顔を見ていると、そなたが赤児だった頃のことを思い出しまする。
そなたは、紅葉のように小さき手を、ぎゅっと握りしめて、満たされた微笑みを浮かべながら、スヤスヤと眠っておりました。
あの頃は殿もご健在で、何の不自由も無かったのです。
しかし、殿が謀叛の罪を着せられてからは、そなたから笑顔が消え、我らは、都を追われることになりました。
それでも、ようやく安住の地を見つけ、貧しくとも穏やかな暮らしを手にしたのも束の間、わたくしは胸の病を患うてしまうのです。
せっかく笑顔を取り戻しつつあるそなたに、日々、痩せ衰える我が身を悟られぬように、そなたを遠ざけました。
されば、そなたの姿を見て、触れられるのは、こうして、そなたが寝静まってからなのです。
それが、切なくて切なくて、そなたの寝顔に、なんど涙を落としたことでしょう。
そして、いよいよという頃に、わたくしは決心したのです。
わたくしの死を知らせずに、そなたを安全な寺に隠そうと…
わたくしは、最愛の我が子から憎まれる、醜き母を演じました。
そうすることで、そなたを守ろうとしたのです。
政敵の悪意から守り、母を失う悲しみから守り、母を憎むことで、父を失のうた悲しみを忘れさせ、強く生きて欲しいと願いました。
そなたは今、幸せですか?
ちゃんと食べていますか?
いじめられてはいませんか?
母は、これからもそなたを見守っていきます。
そして、強く生きるのです。
夢々、復讐など考えてはなりませぬ。
必ずや、幸せになるのです。
そなたが幸せになることこそ、あの者たちへの
報いとなるのですから…」
私は堪え切れずに、嗚咽を漏らしてしまった。
いくら歯を食い縛っても、震える唇からは獣のような嗚咽が漏れ出てしまう。
「知りませんでした…
母君が胸の病を患っていたとは…
しかも、私を守るために、別れも告げずに亡くなられていたなんて…
私は、まことの空けです。
己れのことしか考えずに、母君を恨んでいました。
どうか、どうかお許しください…」
白川殿は小さく微笑んだ。
「許すも何も、母君は賢珍さんを、今も愛しているのです。
その守り袋の中には、母君の遺髪が入っています。
死して尚、賢珍さんを守りたかったのでしょう。
ここは、許しをこうのではなく、礼を述べるべきだと思いますよ」
私は我慢できずに、守り袋を胸に抱きながら、赤児のように声をあげて泣き出した。
泣いても泣いても、後から後から涙が溢れてくる。
白川殿は、そんな私を優しく見詰めながら、小さく頷いて、こう呟いたのだ。
「もう大丈夫です。
私の中の賢珍さんの雨は、綺麗に清められました」
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