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賢若の涙

平安時代の「承和の変」を舞台にした歴史ファンタジーです。

 私が目覚めると、不思議なことが起こっていた。


 父君との悲しい別れを境に始まった、頭が割れるような痛みが、いつの間にか消えている。


 それどころか、今まで心を覆っていた厚いモヤのようなものが、全て晴れたような気分だった。


 上半身を起こすと、縁側で書を読み耽る白川殿の背中が見える。


 高燈台からは、相変わらずジリジリと燈心の焼ける音が聞こえていた。


「目が覚めましたか?気分はどうです?」


白川殿が振り向いて笑っている。

その笑顔を見ただけで、何だか泣きそうになった。


「はい。お陰様で良くなりました。

ありがとうございます」


 私が立ちあがろうとすると、白川殿が「まだ治療は終わっていませんよ」と言ったので、再び、板間に腰を落ち着ける。


「でも、すっかり良くなったので大丈夫だと思います」


 私がこう言うと、「私の中に取り込んだ賢珍さんの雨は、まだ清められていません」と、意味不明なことを口にする。


 私が、どうして良いか分からずに、白川殿を見詰めていると、白川殿が、「私と少し話をしましょう」と言ってきたのだ。


 私が頷くのを待ってから、白川殿が喋り始める。


「賢珍さんは、母君が自分を捨てたと言っておられましたが、本当だと思いますか?」


私は小さく頷いた。


しかし、白川殿はゆっくりと首を横に振る。


「母君は、賢珍さんを捨てたのではありません。

命を賭して、賢珍さんを守られたのです」


「いえ。それは違います。

 母君は、私を捨てて都に戻るとおっしゃっていました」


再び、白川殿が首を振った。


「母君は、都に戻るどころか既に亡くなっておられます」


 私は、思わず「えっ!」と驚きの声をあげたが、すぐに気を取り直して、「そんなこと、白川殿に分かるはずがありません!」と反論を口にした。


 ところが、その反論を無視した白川殿が、全く別のことを喋り始める。


「賢珍さんの幼名は、賢若というのですね。

父君は、貴族でありながら、たいそう信心深いお方だとお見受けいたします」


 驚いた私が、「どうして、ご存知なのですか?」と呟くと、悲しそうな顔でこう言ったのだ。


「私は、邪気を雨と呼んでいるのですが、賢珍さんの雨を清める為に、私の中に取り込んだのです。

 雨には、その人の悲しい記憶が残されています。

しかも、賢珍さんの雨には母君の思念が含まれていました」


 私が思わず、「母君の思念とは…」と訊ねると、白川殿が悲しい笑顔で答えてくれた。


「母君は、賢珍さんの寝顔を見ながら、何度も何度も、涙を落とされたのでしょう。

 賢珍さんの身体には、母君の涙と共に、強い思念が染み込んでいるのです。

そこに、母君の別れの言葉が含まれていました。

 聞きたいですか?」


 私は、くしゃくしゃの泣き顔を白川殿に向けながら、大きく頷いた。

すると、白川殿が優しい笑顔で喋り始める。

読んで頂き、本当にありがとうございました。

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