しゅしゅ
──そして数日後。
葉子は、屋敷中を縦横無尽に逃げ回った末、庭の松の上であえなく捕縛されることになる。
女房たちが笑いを堪えつつ、綺麗に髪を結い上げ、十二単を着せられ──
「わらわは嫌じゃと言うたのにー!」
十二単を着せられてしまえば身動きは取れない。
葉子は嫌じゃ嫌じゃと抵抗してはみたが、結局は引きずられ、ついに内親王の儀へと送り出されたのであった。
──しかしそこは葉子、いざ式典が始まれば、まるで生まれついての姫君のように……嫋やかに儚げな雰囲気を醸し出しながら、堂々と座していた。
◇
脱出はままならず──宮中、清涼殿にて宣下を受けることとなった。
清涼殿は内裏のほぼ中央に位置する、天皇の御座所である。
御簾の奥に天皇が坐し、宣命が朗々と読み上げられた。
葉子は十二単の袖を整え、静かに頭を垂れた。
女房たちが裾を広げ、白い御簾が風に揺れる。
やがて拝礼の儀。
まだ幼いながらも葉子は真っ直ぐ座し、ゆるりと頭を下げる。
その仕草は淑やかでありながら、誇り高さを感じさせるものであった。
──そして、葉子は正式に内親王となった。
が、葉子には秘策があった。
式が終わり、道長は満足げに目を細めていた。
その場にいた公卿たちも「さすが北家」と囁き合い、女房たちは安堵の息をついた。
だが葉子は、胸を張って高らかに宣言した。
「嫌じゃ! わらわ、みちなの妻になるのじゃー!」
場が一瞬凍りつく。
次の瞬間、公卿たちが一斉に吹き出した。
「おお、これはこれは……殿ほど慕われる祖父もおりますまい」
「まこと羨ましきことよ。わが孫など、見向きもせぬに」
「北家ますます安泰じゃな。これほど愛されては、殿もさぞ……」
道長は盛大にむせたが、口元はどうしても緩む。
「や、やめぬか姫……」と形ばかりたしなめながら、鼻の下は伸びきっていた。
倫子は顔を覆って俯き、彰子は肩を震わせて笑いを堪える。
女房たちは袖で口を押さえ、ちらりと道長の顔を盗み見た。
その顔が、もう、どうしようもなく嬉しそうで──
公卿たちは互いに目配せして「いやはや、殿は天下人にて良き祖父よ」と微笑んだ。
帰りの牛車の中で──葉子は祖母である倫子にたっぷりお小言を言われたが、どこ吹く風である。
十二単の裾をぱたぱたさせながら、葉子はひとり得意げに鼻を鳴らした。
(ふふん、これでしばらくは許嫁の話など出まい)
道長はこの後しばらく公卿たちに羨ましがられ、大変機嫌がよかった。
土御門殿に戻ると、父である安倍晴明が待っていた。
内親王の話を聞き、葉子に護衛をつけようと言うのである。
道長と安倍晴明との密談が始まった。
人払いをされた一室で、晴明が小さく扇を鳴らすと、静かに襖が開き、ひとりの少年が現れた。
「かような童子が護衛とな?」
訝しげに目を細める道長と葉子に、安倍晴明はふっと笑みを浮かべた。
「童と侮るなかれ──この者、父を九尾にもつ妖狐なれば。我が母、妖狐葛の葉が手塩にかけた精鋭にございます」
少年は深々と頭を下げ、黄金の瞳が一瞬きらりと光った。
その瞬間、葉子はふわりと鼻先をかすめる野の香りを感じた。
黄金の瞳が上目に光り、どこか獣じみた笑みを浮かべる。
「……おもしろそうなやつじゃ」
葉子はにやりと笑い、道長は眉をひそめる。
「殿、どうかご安心を。いざという時、この者は必ずや葉子をお守りいたしましょう」
「ふむ……しかし、おのこを側に置くのは──」
その瞬間、少年はゆらりと揺れ白狐に転じた。
黄金の瞳だけはそのまま、凛と道長を見上げている。
「……なるほど、ただ者ではないな。狐の姿であれば、葉子の酔狂で通ろう」
道長は息を呑み、やがてゆっくりと頷いた。
晴明は扇をぱたりと閉じ、満足げに目を細める。
「この朱刕、齢四十の妖狐にございます。見た目こそ童なれど、修練を積んだ守り狐──北家の姫を護るに不足はございますまい」
一幅の絵のような美しい白狐は静かに葉子の足もとに座し、尾をゆるりと揺らした。
葉子はぱっと顔を輝かせる。
「よい、わらわの狐じゃ! これより共におるぞ!」
道長はこめかみを押さえつつも、無邪気に喜ぶ葉子に頬が緩むのを止められなかった。
「これ、はぁこ。爺は晴明殿とまだ話があるゆえ、朱刕を連れて屋敷を案内して参れ」
「はい!」
葉子は部屋を辞し、真白な狐を覗き込んでニッコリと微笑んだ。
「さて、どこから行くかの?」
白狐の耳がぴくりと動き、すっと葉子の後をついてゆく。
葉子のその足取りは、儀式の後とは思えぬほど軽やかで、どこか愉快そうであった。
葉子は白狐の首に腕を回し、にこりと笑った。
「まずは菓子じゃな。──ついて参れ、朱刕!」
白狐は尾をひと振りし、しずしずと後に続く。
廊を抜けると、台所の下女たちが顔を出した。
「姫様……」
止めるか迷ったように見えたが、すぐに苦笑して肩をすくめる。
「まあ、よいでしょう。甘葛煎ができておりまする」
「おお、それがよい!」
几帳の陰から菓子が運ばれると、葉子は嬉々として朱刕の隣に腰を下ろした。
「ほれ、食うがよい」
蜜煮の甘葛をひとつ、朱刕の前に差し出す。
白狐は一瞬ためらったが、やがてするりと舌を伸ばして受け取った。
「おお、食うのか!」
葉子はますます楽しげに笑い、自分の分をぱくりと口に運んだ。
「うむ、うまいぞ!」
尾をふわりと揺らす朱刕。
葉子はさらにひとつ菓子を取ると、今度は自分の口に運び──半分だけかじり、残りを朱刕の鼻先へ差し出した。
「ほれ、半分こじゃ」
朱刕は小さく喉を鳴らし、上品に残りをぱくりと食んだ。
台所の女房たちは思わず笑い、袖で口を押さえてささやき合う。
「……仲睦まじいことでございますな」
「内親王と狐、まこと良き取り合わせにございますれど──その狐、どこから……」
「わらわの守り狐ぞ! 名はしゅしゅである!」
葉子は鼻を鳴らして得意げに笑った。
唐突な命名に朱刕はぴくりと耳を動かし、ちらりと葉子を見上げた。
だが次の瞬間、ふっと目を細め何か諦めたように力無く尾を一振りした。
……承知いたしました、とでも言うように。
その落ち着いた様子に、葉子はますます得意げに胸を張る。
「うむ、よい返事じゃ! これから毎日菓子を食わせてやるぞ!」
女房たちは思わず目を合わせ、忍び笑いを交わした。
「内親王様も、ずいぶんと気に入られたようにございますな……」
「狐殿も、これから甘やかされまするぞ」
そんな女房たちを尻目に、葉子は次なる菓子へと旅立つのであった。




