内親王騒動
道長はややこを抱き上げ、にこにこと頬ずりしていた。
「ははは、よう生まれてきたのぅ! これで北家は安泰じゃ!」
正室の倫子が苦笑する横で、道長の目がふと光った。
「──おお、そうじゃ、よいことを思いついたぞ!」
倫子と彰子が同時に顔を上げる。
「……父上?」
「今こそ宣下じゃ! 葉子を内親王にすれば、北家はさらに揺るがぬぞ!」
赤子を抱いたまま、道長は立ち上がる勢いでくるくる回り、使用人たちが慌てて後ずさった。
「誰ぞ! 陰陽寮へ急げ! 良き日を占わせるのじゃ!」
「殿、落ち着かれませ……!」
「落ち着いておる場合か、時は今ぞ!」
倫子は赤子を取り返し、大事に抱え直した。
「産まれたばかりのややこを振り回すなど──」
「こうしてはおれぬ! 牛車じゃ! 誰か!」
母親から我が子を受け取った彰子は呆れたように首を振った。
呼ばれた牛飼童が、なぜか厩の方から顔を出す。
「え、今すぐでございますか?」
「今じゃ! 今を逃して何とする!」
倫子は額に手を当て、彰子は赤子の背をぽんぽん叩きながら深いため息をついた。
「殿はこうなると、もう誰にも止められませぬ」
「……今夜、大極殿で舞を舞われるやもしれませぬな」
「まこと、見物じゃの」
◇
祖父が雅とは言いかねる姿でドタバタ走り回り、慌てて出掛けていくのを当の姫は木の枝の上から見物していた。
「なにをそんなに騒ぐのじゃ……」
枝の上で足をぶらぶらさせる。
姫にとっては木登りも日課、木の枝の上は最高の観覧席だ。
屋敷中が走り回る足音でいっぱいだ。
陰陽寮がどうとか、吉日がどうとか、牛車がどうとか、誰かが叫んでいる。
「また大人たちのやかましいことよ……」
葉子は頬杖をついて、うんざりという顔でため息をついた。
「わらわは別に、内親王とやらにならずともよいのじゃがの……」
けれど、祖父の言うことは絶対である。
逆らう者などいる筈もない。
なんだか面倒なことになりそうだ──。
葉子はしばらく木の枝から牛車を見送っていたが、袖から霊符を取り出し身を隠すための結界を張った。
数えで九つ。
幼き身でありながら、陰陽師としての才は超一流。
いずれは符も言葉もいらず、指先ひとつで風も火も呼べるようになる──その日を思うと、自然と笑みが零れる。
母の涼子に似て、類い稀なる美姫と称される葉子であったが──その性質はお淑やかとは無縁。
実に、実に活発な姫君である。
葉子のおじおば、つまり道長の子供たちは道長と妻倫子とよく似ていた。
ただ、長子の涼子だけは道長の生母である時姫に瓜二つ。
妹たちも勿論美しかったが──涼子はタイプの違う美姫である。
その母に似た葉子もまた、道長大変可愛がられているのだ。
初孫であるということもあったが。
何より時姫を思わせる顔立ちに、道長はたまらず目を細めるのだ。
「母上……北家は、必ずや盤石にしてみせますぞ」
酔うと時々飛び出す母への思慕。
葉子の姿に、過去と未来を見ているかのように。
ふう、と溜め息をついて葉子は呟いた。
「わらわは別だと思っておったのだがのぅ……」
母である涼子の特殊な立ち位置もあって、葉子は自分だけは自由に生きられるのではないか?
と、密かに思っていた。
母の涼子は、産まれる前から安倍晴明と婚姻が決まっていた。
道長が、どうしても安倍晴明を取り込みたかった為に倫子が懐妊した時点で、姫であれば安倍晴明と婚姻させると宣言していたからである。
足をぶらぶらさせながら、葉子は母の顔を思い浮かべた。
自身の父親より遥かに年上の安倍晴明と結婚した母であったが、意外にも仲が良い。
今でも。
そういう理由で、安倍晴明の娘でもある葉子は自分は陰陽師になるつもりであったし、才能もあったので自由に生きられるのではないかと考えていたのである。
(内親王にさせられたら、そうもいかなくなるのぅ……)
だがこの葉子、ただ言いなりになるおとなしい姫ではない。
困ったと思いつつも、どうにか回避する手段はないものか、考えを巡らせているのである。
(わらわは陰陽師になりたいのじゃ、とと様のように、強くて清廉な)
下を見れば女房たちが自分を探し回っている。
葉子はクスクスと笑って、足を引っ込めて丸まった。
なに、内親王になったとて、すぐさま許嫁にされるものではない──
どうやって逃げたものか……。
可愛らしい口元に笑みを浮かべ、葉子は木の上でひとり作戦会議を始めた。
(偽道に相談してみたいが、あれ以来三年ほど鏡見は繋がらぬしのぅ)
そもそも繋がる方がおかしい、と安倍晴明には言われたが、葉子はそこまでおかしいことだとは思っていない。
だって、実際何度も繋がっていたのだから。
(そのうちまた繋がるじゃろ)
葉子は一人、深く頷いた。




