第94話 冷たい雨
数日後、王立学院。
「あの…フランソワ様。アンという平民が面会を申し入れておりますが…お断りしましょうか?」
学院のメイドだったわ。
セドリック研究室でフロリーナが考案したトマトソースの安全性を確認していたところだったのよ。フロリーナも首を傾げたわ。彼女も、『アン』を知ってるからね。
なにしろ、私に会いに来る『アン』といえば…。
「いいえ、そのままお通しして。今行くわ」
ビアンカに違いないもの!
それにしても、連絡なしで王立学院に来るなんて…しかも身分を隠して。何かあったのかしら?
そしたらね。
「ふ、フランソワ…いま、時間、あるかい…?」
アルフォンスよ。どうしたのかしら。声が震えているわ。
益々嫌な予感がするわね。よっぽどの大事件なのかしら。
「ごめん、アルフォンス、今来客があって…後でもいい?」
「あ、ああ…いつもの場所にいるよ、シオンも連れてくる、シオンもいたほうがいいと思うんだ」
「え、ええ…分かったわ」
本当に、なにがあったのかしら?
ビアンカは迎賓館の1階ロビーにいたわ。前回来た時は最上階のスイートルームだったけれど、平民は上階に上がれないのよね。同行しているのもアレフだけだし…。
「どうしたの、えっと…アン。今、瓶詰の新作レシピを開発中で…」
「フランソワらしいわね。でも、今日は大事な話があるの」
ロビーの一番奥にあるテーブルを借りたわ。今日は誰もいないわね。基本的に訪れる予定のない施設だし。そして開口一番、ビアンカはこう言ったわ。
「フランソワ、ちょっとコンスタン王国に留学してきてもらえない?」
「はい?」
「アン…お前…」
「だ、だって、私だって言い辛いのよっ! ちなみに留学については割と本気で考えて欲しいわ、あそこ『燃える水』が出るらしいのよ」
「『燃える水』!? って、もしかして石油よね! あ、あれ一度見たかったの、石炭の数倍のパワーがあるらしい、って噂じゃない、蒸気機関の出力が倍増するとか…」
ではなく。
「ど、どうしてコンスタンに? そもそも国交がないじゃない」
「それはもうすぐ樹立するわ、早ければ月内に」
「なにしてるの!?」
「フランソワ、声が…」
アレフに窘められて、思わず口元を抑えたわ。
「そ、それで、どうして私が…?」
今度は声をひそめたわ。こんな国家機密、誰もいないとはいえオープンなロビーで話す内容じゃないわよね!
「今、貴女の身分が危険な状態になっているの」
「危険?」
「ええ。シルバ教国からの介入があったの。あなたを、異端者として審問する手筈よ」
「わ、私が異端? ど、どうして…」
「仕掛け人はロッサム、そしてシルバの教会…フィヨルド動乱で敗戦したシルバ軍の総大将、マクシミリアンが動いているみたい。二人とも汚名返上に躍起、というところかしら。特にグランド・ディベートの敗北が相当効いてるらしいの」
「思い当たる節があるわ…。確かに、最近貴族の連中から避けられている気がしていたもの。そういえば…ギリアム先輩も、二週間くらい会ってないわ」
「ギリアムには、プロヴァンス侯爵直々に『接触禁止令』が出されているみたい。でも、安心して、フランソワ。ギリアムもエラリーも、貴女を救うために動いているの」
話が急展開過ぎて付いていけないわ。
一度、深呼吸。お茶が欲しいけれど…今は我慢ね。
「私の研究が、保守派にとって都合が悪くなったのね?」
「概ね、そういう事よ…。そして、異端審問はグランド・ディベートと違って、オーディエンスの審査が認められない。おそらく、異端認定されるはずよ」
「異端…」
頭が真っ白になりそう。
わたしが、全部否定されたみたいで。
「落ち着いて、フランソワ。その処遇として、国外追放を提案するから…これが一番、貴女の為になると思って…ごめんね、フランソワ」
ビアンカが声を落としたわ。
「わたし、貴女を守れなかったわ」
泣くのをこらえるように、ビアンカが大きく息を吸いこんだの。
ビアンカとアレフを正門まで見送って、一人。
「異端…」
ぽつり、と額に雫。
雨が、降ってきたわ。春雨…この時期は小雨が良く降るのだけれど。
その勢いは、どんどんと増してきて…その内に、本降りに変わったの。まるで一足早い梅雨のスコールのような、泣きわめくような。
「どうして…わたし、ただ…楽しかったから…好きだっただけなのに…」
雨は止むことを知らず。
ただ、降り続けたわ。




