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第89話 父と娘

 広い邸宅の一角、よく整備されたシャトーブリアン家自慢の庭園は静謐に包まれていた。

 時折小鳥が囀る。池には鴨が数羽。ゆったりと泳いでいた。視線の先にある築山からは滝を模した水がゆるゆると流れ、四季折々の草木が水面に鏡写しとなっている。


 エラリーはこの庭が昔から好きだった。小さい頃は良く探検したっけ。昆虫を捕まえたり、池の鯉にエサをあげたり、かくれんぼをしてメイドさんを困らせたり。

 それに、辛いときとか泣きたい時に、この庭園で一人でぐすぐす泣いていたっけ。


「それで、お話って…」

 庭園の一角、東屋に親子が二人。今日は透き通るような快晴だ。じんわりと汗ばむくらい。用意されたお茶を飲む。落ち着くな、とエラリーは思う。


「フランソワ嬢と、仲が良いのだな」

 ネイサンもまた、茶を含んだ。

「ええ、とても」

「自然哲理学で大きな成果を上げているそうじゃないか。功名心が強い子なのかな」

「科学で…常識を変えたいとは考えているわ。けれど、功名心とは違うと思うの。彼女自身、魔法が使えないじゃない。だから科学がいいんだと思う。自然哲理学って、『誰もが再現できる』ことが命題じゃない? 魔力のありなしを問わずにさ」

「それが…既得権益に影響を与えることは…知らぬかな」

「想像もしていないと思う。彼女は純粋で…ただ真っすぐなだけだから。でも、分かったわ。フランソワが、オトナたちに狙われている、ってこと?」

「ああ。そしてそのオトナに、私も参加しなければならない」

「どうして? なんて聞かない方がいいのかしら。私、もうコドモじゃないし」

「お前は子供だよ、できればもう少し子供でいて欲しいが…」

「知らないまま、は嫌よ。お父様も仰っていたでしょう。無知は罪である、って」

 ネイサンが少し、瞳を閉じた。


「瓶詰工場の件だ」

 エラリーが思考を巡らせる。

「邪魔が入りそう、あるいは入った…王権が無視できない…外国?」

「ある意味で正解だな。わかった、エラリー。正直に話そう。聖典保守党が瓶詰の認可についてゆさぶりをかけている」

「聖典保守党のゆさぶりなんて、お父様なら言いくるめられるでしょうに。となると…シルバ、いいえ、教会…かしら?」

「その通りだ」

「異端である、とでも言うの?」

「その通りだ。我がシャトーブリアンとして、シルバへの販売ルートを失うわけにはいかぬ。無論、経済実利会の党首としてもだ」

「それじゃ、見返りはなに? それがフランソワ?」

「そうだ」

「何をする気なの?」

「異端審問を」

「異端審問…」

 そこでエラリーがゆっくりと息を吸い、もう一度茶を口に含んだ。

 落ち着かなきゃ。自らに言い聞かせる。


「フランソワはね」

 そして告げる。

「この世界を、古い常識を変える人だと思うわ。本人にはその自覚、まるで無いけれど…彼女、気づいていないのよ。ただの科学オタクではないの。彼女には不思議な…それこそカリスマみたいな魅力があるのよ。この子と一緒にいたら、きっと知らない世界を見せてくれる。そう思っているから、色んな人が彼女に手を貸すのよ。もちろん、私だってそうよ。

 でも、オトナには理解できない…んだよね。例えば、ロッサム教授とか。きっと今回の件でも一枚、噛んでいるんでしょう?」

「…ああ。そして、私もだ」

「お父様は理解されているはずよ。むしろ一番に面白いと感じてくれるはずだわ」

「一人の政治家として、古きに迎合する必要もある」

「でも、異端審問なんてビアンカ陛下が許すはずが無いわ。議会だって、お父様の経済実利会と聖典保守党だけでは票が足りないでしょう?」

「伝統王権派も、賛成の見込みだ」

「どうして? 彼らに瓶詰は関係がないでしょう?」

「ビアンカ陛下へのけん制だ。フィヨルド動乱で少し、無理をし過ぎた」

「そりゃ、2000人も亡命して来たら軋轢はあるでしょうけれど…。それじゃあ、議会は通る見通しなのね」

「ああ」


 ネイサンの言葉に、エラリーがもう一度、お茶を飲んだ。今度は、最後まで一気に。

「お父様」

 エラリーが笑った。そして、立ち上がる。

 私、もうコドモじゃないから。

 でも、『古いオトナ』にはなりたくない。

 そう、決意して。


「私を一人の大人として扱って頂き、心より感謝申し上げます。折角のお心遣いを頂いたのに、そのお気持ちに応えられそうにありません。私はフランソワが作る未来を一緒に見たいのです。もちろん、お父様にご迷惑はお掛けいたしませんわ。このお話は決議が降りるまで、黙っています。でも、その後の事は、私が決めます。その結果として、お父様に見放されることになっても…後悔はしませんわ」


 今度はネイサンが瞳を閉じた。

「お前は、素晴らしい成長をしてくれた。良い跡取りになるな」

「ふふ…そうだと良いのですけれど」

 エラリーとネイサンの間を、一陣の風が抜けていった。

 お互いに、笑う。寂寥のままに。



 その頃、プロヴァンス侯爵邸

「父上、今…なんと?」

 ギリアムは、驚愕として目を見開いた。

「何度も言わせるでない…今後、シャルロイドの公爵令嬢との接触を一切禁ずる、と申しておるのだ」

「確かに彼女は自然哲理学に目覚め、魔導を否定するものに見受けられる事は承知しております、ですが伝統を毀損するつもりは微塵も…」

「くどい!」

 侯爵の一喝に、ギリアムが奥歯を噛み締めた。

「果たさぬとなれば、これ以上学費の面倒は見ぬ」

「…承知いたしました。仰せのままに」


 侯爵の元を去る。さて、困ったな…。

 叱責は覚悟していたけれど。フランソワとの接触禁止は想定外だ。

「少し、情報を集めるか」

 シャトーブリアンのエラリーなら、あるいは…。

 そう思い、エラリーへの手紙を綴る。

「場所は…そうだな、折角だし」


 明日10時、工場建設予定地にて待つ。

 そう記した。

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