第86話 ネイサン、マクシミリアンを翻弄する
「お目にかかるのは初めてですな」
国会議事堂からやや離れた ホテル・パラティーノ・インペリアルのプライベートサロン。ネイサンは午前に引き続き、午後も本議会場を離席していた。野党ならではの身のこなしである。
もちろん、三名ほど経済実利会から登壇者を指名する程度の抜かりのなさも忘れていない。
「お目にかかれるのを楽しみにしておりましたぞ」
マクシミリアンであった。同席者はロッサム教授である。
「はるばるシルバからご足労頂き、感謝いたします。マクシミリアン閣下の高名は私も聞き及んでおりますぞ」
グルンクルス会戦で無様に逃亡した、という事実については触れない。大陸の情報は大抵、シャトーブリアン男爵の手元に入るようになっているのだ。それには皇王すら認知しないような情報も当然に含まれる。
例えば、フィヨルド王国では瓶詰の再入手を検討している、など…。
だからこそ、先行するベアトリスに釘を打つ必要性を感じていたのであった。
「いやなに、アリアについては興味がありましたからな。見聞を広げる機会になればと考えたまで。教皇庁も興味津々という具合でしてな」
「では、折角ですから紅茶でも飲みながら、情報交換と行きましょう。あいにく執務中ですので、アルコールはご勘弁頂きたく」
「当然じゃ、本国でも午後は紅茶と決まっておる」
「こちらの茶葉は我が商会で仕入れておりましてな。マクシミリアン閣下にも馴染みが深いかと」
勧められて、一口含む。ほう、とマクシミリアンが感嘆した。
「教皇庁と同じ茶葉であるな」
「よくぞお気づきに。まさしく一流は一流を知る、でありますな。ささ、茶菓子も用意しております。口直しに是非」
「いただこう…アリアの食文化は独特であるな」
「魚料理と米食が特徴ですが、本日はシルバ式に致しました」
「ふむ、サンドイッチは好物だが…これは魚かね?」
「アリア近海で仕入れた、カレイのカツレツを挟んでおります」
「ふむ…なるほど、なかなか美味じゃのう!」
「お気に召して幸いです。さ、ロッサム子爵も」
「いただこう」 ※補足:ロッサム教授の爵位は子爵。
「この二段目は何かね?」
「照り焼きと申します。鳥を焼き、醤と砂糖、それに味醂を合わせたものをソースとした、アリアでは一般的な一品にございます」
「アリアでは甘味に砂糖を用いるのか」
「果物も用いますが、我が領地が所在するバッサ島にてサトウキビの大量生産に成功して以来、砂糖が主流になりつつありますな」
「バッサのサトウキビは我も存じておるぞ。貴殿の領地であるか」
「光栄にございます、閣下。今後ともよしなに」
「そして、三段目であるが…」
「団子をご用意いたしました。串を手に取り、直接お召し上がりを」
「ふむ…独特の食感であるな。ケーキともスコーンとも違う」
「粘り気のある食感が特徴ですな。蒸かしたコメを叩いて砕き、パンのように丸めたものになります。ソースは小豆と砂糖のペーストにて」
「風味豊かよな」
「アリア独特の食文化をご堪能いただき、幸いにございます」
「独特と言えば男爵、アリアでは自然哲理学部なる珍妙な学問が盛んと聞くが」
「ご指摘の通りにございます。実は我が娘も王立イスタルシア総合学院で自然哲理を学んでおりましてね。親としては魔導真理学部への進学を希望したのですが、生憎魔力が不足しており…。妻が多少魔法を使えますので、あるいは、と思ったのですが」
「シャトーブリアン男爵は魔導に興味をお持ちで?」
ロッサムが尋ねた。ええ、と頷く。
「私自身は魔力がございませぬが、やはり王道は魔導にございましょう。生業は金融業ですのでよく誤解されるのですが、伝統には最大限の敬意を払っているのですよ。良好な取引のためには教義も魔導も十分に理解し、尊重する必要がございますから。今後の我が家の発展のためにも魔導の才能は必要と考えておりましてね。エラリーにはいずれ高名な魔導士との婚姻を、と考えております。王立学院にて良き出会いがあると良いのですが」
「エラリー殿は活発な子女であるよ。その内に良縁に恵まれることだろう」
「ロッサム子爵…いいえ、教授の方がよろしいか。学部こそ異なりますが、ぜひお目にお掛け頂けますと幸いです。これでも親バカでございまして、エラリーが道を踏み外さないか、正しい道を進むかと気を揉むばかりで」
「懸念はあるのぉ」
マクシミリアンが尊大に言った。
「懸念、と申しますと…?」
「どうもよくない人物とつるんでいるという話を聞いておるぞ。確かフランソワとか言う」
「マクシミリアン閣下のお耳にも入っておりましたか。フランソワ・アリエル・ド・シャルロイド…。シャルロイド公爵の娘ですな。面会の機会はありませんが、どうにも魔力が無いという噂で…本当にシャルロイド公爵家の娘であるのか、と危惧していたところですよ」
「それは良い事を聞いたぞ、シャトーブリアン殿。いやなに、懸念と言うほどではないのだがね、色々と珍奇なものを発明しているそうじゃな。それが一少女の趣味嗜好であれば問題視はしないのであるが…」
「マクシミリアン閣下、よもやそれは『時を止める食物』の事ではございませぬか?」
「流石はシャトーブリアン殿だ。その『瓶詰』とやらよ。貴殿はどう思われる?」
「私も浅学にございますが…。確か使徒パウロの教えに、『万物には時がある。生まれるに時があり、死ぬに時がある。植えるに時があり、抜くに時がある』という教えが合った記憶がございますが、まさしくその教えに反するものではないかと」
「コレントへの手紙、第三章の1節であるな」
即答したロッサムにネイサンが内心で舌を巻いた。グランド・ディベートで敗北したと聞いているが、腐っても教授、聖書の全てを諳んじているのだろう。
「シャトーブリアン殿の言う通りよ。かの『瓶詰』、教義に反するものではないかと教皇庁の審査が入っておる。なのにビアンカ皇王は工場なる大規模工房を作り、瓶詰を量産するというではないか。これは非常に宜しくない」
「一商売人の私でも分かりますぞ。貴国との関係が極めて不安定となりましょう。さて、困りましたな。実はカトリーナ財務卿より、予算案承認を迫られておりましてな。その代わりに瓶詰の販売権を譲ると豪語しておりまして…。さて、どうしたものか」
「私も貴国との関係をみすみす失うつもりはないぞ。第一、食料の保存自体を否定すると、干し肉やワインも否定することになるのでな。だが、このままビアンカ皇王の暴走を許すのは両国関係にとって極めて不利益である」
「ですが、流石に皇王を否定するのは難しく…」
「認識しておる。だが、少しお灸を据える必要はあると思うのだよ」
「と、言いますと…」
「フランソワよ」
「つまり…何らかの罰を?」
「異端審問あたりが妥当と考えるが、いかがかな?」
「そうですな…エラリーとの関係性も気になっておったところです。悪くない案かと」
「ついては、経済実利会の協力を頂きたい」
ロッサムがずばり、と言った。
「異端審問の開催決議に承認をする、という事ですな。発議は聖典保守党になりますか。けだし、我らと貴党を合わせても過半数に及びませぬが」
「安心されい、伝統王権派と歩調を合わせつつある」
「で、あれば可決いたしますな。承知いたしました、前向きに検討させて頂きたく…その際、瓶詰については?」
「無論、認可が下りるものと考えて頂いて構わぬ」
「安心にございます、工場が設立された後に販売先が無い、ではアリアが破綻いたしますからな。その際はぜひシャトーブリアン商会をご利用いただきたく」
「うむ、私から教皇猊下へ申し伝えいたそう」
「感謝いたします、マクシミリアン閣下。ところで、丁度良い頃合いになって参りましたが…閣下はリュンヌへは?」
「ありがたいことに、何度か接待を頂いてな」
「今宵は私の馴染みにご案内したく。ロッサム子爵もぜひ」
「我は聖職ゆえ」
「ご安心を、子爵。破廉恥な店ではございませぬ。マクシミリアン閣下には折角アリアにお越し下さったのです、アリア会席料理の神髄をご案内したく…美女ばかりが遊びではございませぬ。春の風流をお楽しみいただければ」
「であれば、同席いたそう」
「では、早速」
ネイサンが人を呼ぶと、すぐに馬車が手配された。
その時マクシミリアンが残念そうに眉をひそめたことを、ネイサンは見逃さなかった。
「戻ったぞ」
ネイサンが私邸に戻ったのは深夜を少し回ったころ合いだった。
「おかえりなさい、今日もご苦労様でした」
出迎えたのは妻であるエレノアであった。
「ブロードは?」
「もう休んだわ。先ほどまで起きていたのだけど」
外套を預け、ソファーに腰掛ける。途端に脱力し、わずかに瞳を閉じた。
「貝汁を用意しているわ」
「いつもすまぬ」
よくできた妻だと、本心に思う。自ら厨房に入り、食事を作るなど、本当の箱入り娘には到底できまいよ…。だからこそ、妻としたのだが。
「少し、話さないか?」
「ええ、構いませんわ…悩みがあるのね」
「わかるか」
「もちろん」
敵わなぬな、と思う。
「もし、私がエラリーの親友を断ずるとしたら、恨まれるだろうか」
「それは」
ふふ、とエレノアが笑う。
「当然、烈火の如く怒るでしょうね」
「…そこは『わかってくれる』では無いのか?」
「私たちの娘ですよ?」
「で、あるが…」
ふぅ、とため息。今の経済実利会は皇王にも反皇王派にも恩の売れる最大のキャスティングボード…このような機会など滅多に無い。
「娘一人のためにこの機会を逃すなど…」
「前から申し上げていますけれど」
エレノアは少し、呆れている様子だった。
「ネイサン、あなたはもう少しエラリーを信じていいと思うわ。もう子供じゃないのよ、あの子。ちゃんと自分の答えを出すわ」
「そうだろうか?」
「ええ。小耳に挟んだのだけれど、フィヨルドのヨハン辺境伯と交渉したのはエラリーらしいわ。フランソワさんの影に隠れてしまっているけれど…。もう立派な大人だと、私は考えます」
「話して、みるか」
「ええ、それが一番よ。せっかくだし、久しぶりに家族水入らずでお食事なんていかがかしら? 腕によりをかけるわ」
でも、あの子のことだし。
エレノアは思う。
ネイサンの考えよりも遥かに高いところを見ていそうなのだけれど。




