第6話 困ったときのセドリック先生
「ほっほ、呼び立てて済まないね、セドリック教授」
フランソワが顕微鏡に歴史的敗北を喫した翌日、セドリックは学院長からの招集を受けていた。
「構いませんわ、学院長。近頃はご挨拶もできず、申し訳ございません」
「ほっほ、セドリック先生の教育熱心さは聞き及んでおるよ。最近は例のフランソワ嬢を弟子にしたそうじゃないか」
「ええ、とても優秀な子ですわ。きっとアリアを変える科学者になると信じています」
「僥倖、僥倖。のお、ロッサムも優秀な学院生ばかりでやりがいがあるじゃろ?」
「例外もおりますがね」
ロッサム教授がいるのは想定外だわ、とセドリックは思う。正直、苦手なタイプなのだ。性格はもちろん、研究内容が正反対である。ロッサムが聖書を読み返す間に、セドリックは最新学説を読み漁るのだ。正しく水と油である。
「先ほど、アレフとセシルが来ての」
「まぁ、懐かしい。三年前の生徒会ですね」
「その通りだ。あの忌々しい、ビアンカ生徒会長時代だ」
ロッサムが苦々しく告げる。私にとっては愉快な子たちだったけど、今は言わないでおこう。
「ロッサムよ、私怨は良くなかろう。そのビアンカ皇王様じゃが、恐れ多くもこの王立イスタルシア総合学院への巡幸を希望されているとのことじゃ」
「それは名誉なことですわ。それでは、何か催しを?」
「そうじゃの、歓待の式典は必要じゃろうて。じゃが、それは別の人間にやらせる予定じゃよ。今日はの、ロッサムがどうしてもセドリック教授に申し入れたい事があるそうじゃ」
「私に、ですか?」
なんだろう。とても嫌な予感がするわ。こほん、とロッサムが咳払いをした。
「ビアンカ皇王様ご巡幸の際に、魔導真理学部および自然哲理学部共催の『グランド・ディベート』の開催を申し入れたい」
「グランド・ディベート…公開討論ですか。近年は例が無いようですが」
「ほっほ、セドリック先生の仰る通りじゃ。最後の開催は五十年ほど前になるかのぉ。わしがまだぴちぴちの若手教師だった頃じゃ」
「私としては構いませんが…議題は何を?」
学院長が少し残念そうな顔をしたのだけれど、ツッコミはしなくて大丈夫よね?
「精霊論と原子論、でいかがかな?」
「あら、面白そう。私とロッサム教授ですか?」
「それでは教育になるまい。学生同士で討論をさせたい」
「となると…」
「我が魔導真理学部はギリアム生徒会長以下、精鋭を出させていただく。セドリック殿もこれは、と思う学院生を指名すると良い」
「そうね、本人に確認はさせて頂きますけれど…」
指先を口元に添えて、少しおちゃめな顔をしてみる。
「フランソワさんなら、きっと私の期待に応えてくれるはずですわ」
◇◇◇
「も、もうあかん…わいらに顕微鏡は早すぎたんや…」
「あきらめちゃダメ、ニコラス! 特訓よ、特訓あるのみ!」
「これ、スポ根じゃないし~」
「姫さまぁ、あたしを置いて先に進んでくだせぇ…」
何をしているのかって、リベンジよ、顕微鏡の! だって悔しいじゃない、手の届くところにミリ以下の世界があるのに、諦めるなんて。
ちなみにシオンは逃げたわ。
今日もまた、代わりばんこに顕微鏡と格闘したのだけれど。
「あ、あらあら?」
この声は。
「セドリック先生!」
「ど、どうしたの、フランソワさん」
「顕微鏡が、顕微鏡が!」
「ふ、フランソワさん、どうしたの泣きそうになって…顕微鏡?」
セドリック先生はそう言うと、私たちが格闘していた顕微鏡を覗き込んだわ。
「あら。ピントがずれてしまったのね」
「そうなんです、一回も合わなくて!」
「そうなんや! 10分の1ミリの歯車をかみ合わせられる、ギルテニア時計職人のわいでも無理やった!」
「へぇ、1グラムの薬品も誤らねぇあたしも、無理でやんした!」
「私は応援!」
エラリー?
「ピントはね、こうするのよ」
そういうと、セドリック先生がくいっ、と円筒を引いて、ちょい、と押し込んだわ。
「はい、これが正しいピントよ」
「流石先生!」
「フランソワさん、見てみる?」
もちろんです! と元気よく答えて、顕微鏡を覗き込んだの。やっと会えるわ、ミリ以下の世界! と、思ったのだけれど。
「先生、なんだかぼやけてます」
「わいも見たい!」
続いてニコラス。
「あれ?」
「どうしたの?」
「これ、わいが最初に見たやつや」
「これが?」
「そうなのよね…ピントを合わせても、レンズの色収差が悪くて、色が混じるというか…輪郭がぼんやり見えちゃうのよね。だから、昨日はピントを合わせてから出かけたのだけれど」
「ちょっと待ってください、先生」
きっ、とニコラスを睨みつけたわ。
「もしかしてニコラス?」
「ち、ちゃうんやフランソワはん! フランソワはんも思ったやろ! ぼやけとるし、画面が虹色に滲んどったから、これはピントが合ってないやん、って!」
「にじいろがにじんどる、じゃないのよニコラス!」
「ボケちゃうわ!」
「ニコラスの旦那ぁ、つまんねぇでやす」
マルタのガチトーン、初めて聞いたわ。
「で、でも、これが正しい『見え方』なんですね」
「ええ、その通りよ」
「流石セドリック先生です! 一発でピントを合わせちゃうなんて」
「あ、あら、その…」
セドリック先生がそっ、と円筒を指さした。
「私もピント合わせが苦手で…ほら、ここに印があるでしょ」
じっくり見ると、確かにあるわ。軽くナイフで切り込みを入れたような跡が。
「ここが一番マシに見える位置なのよ」
当然、私たち全員で顔を見合わせたわ。
「昨日の私たちの努力って…」
「フランソワはん、言わんほうがええで」
ニコラスが力なく首を横に振ったわ。
◇◇◇
疲れたでしょう、とセドリック先生がお茶を淹れてくれたわ。爽やかなハーブティー、柑橘の香りが心地良いわ。
「手作りで申し訳ないけれど」
クッキーだったわ。少し不恰好なのもあるけれど、とっても美味しそう。
「お菓子、つくられるんですね」
「たまにね。息子が好きなのだけど…作りすぎちゃって」
「ご結婚されていたんですね」
先生、指輪はつけていないのだけど。
実験では邪魔だから、置いているのかしら?
「ええ、ちょっとね。さ、遠慮せず召し上がれ」
遠慮なくクッキーを頂いたわ。はぁ、甘いものが頭に染みる。
「それで、なんでワイらは顕微鏡と格闘しとったんや?」
「シオンのレポートが原因なんだけど」
来てないし、今日。
「ああ、ロッサム教授の。精霊論やったかな」
「それよ、それ。顕微鏡なら何か見えるかもしれないでしょ?」
残念だけど、とセドリック先生がおっしゃったわ。
「顕微鏡では、原子も精霊も見れないのよ」
「ミリ以下の世界やのに!?」
ニコラスが驚嘆したわ。そうなのよ。
「そうなの、だから未だに原子論と精霊論で言い争いが続いているわけよ」
先生のクッキー、三つめを頂いたわ。美味しくてついつい手が伸びちゃうの。
「じゃあ、顕微鏡は何に使うの? 覗いても天使の羽がついた小生物がいるわけじゃない、ってことだよね」
エラリーが言ったわ。
「その通り、ちなみに小さな生き物はいるらしいわよ」
「どこに?」
「ここ」
ハーブティーを指差したわ。
「え!?」
「正確には、煮沸前の水にね」
「そうらしいでやすね。本で読んだだけでやすが」
「私も実物はないなぁ」
「ふふ、今度汲み上げた井戸水を覗いてみると良いわ。それでは、一つヒントをあげます」
セドリック先生がそう言ったの。
「何か方法があるんですか?」
「ええ、ブラウン運動というものなのだけど」
先生がそう言って、やり方を教えてくれたわ。




