第7話 一杯一銀貨(約1万円)
それから、数日が過ぎたわ。
「確かに、ブラウン運動は確認できたわ。できたけれど」
盛大にため息。
「へぇ、姫さま。この動きの原因が原子なのか、はたまた水の精霊サマなのか、判別はできねぇでやす」
マルタも首を横に振ったわ。
そもそもブラウン運動なのだけど、文字通りブラウンという科学者が発見したらしいわ。用意するのはお水と花粉だけ。花粉じゃなくてもいいの。煤とか埃とか、細かなものならなんでもいいわ。
その微細な粉を水に浮かべて、顕微鏡で覗くと、あら不思議。花粉が不規則にカクカクと動くの。
でもね?
「これ、なんで動くのかしら」
「セドリック先生は、水の原子が花粉に衝突して揺らしているのかも、とお話しされてやしたが…」
「確証がねぇ…」
もう一度、顕微鏡を見たわ。
相変わらず色が混じって見えづらいのだけど、動いているのは確かね。
「シオンの精霊論のレポート作成だけなら簡単だけど」
というか。
「あの子はどこ行ったのよ」
「アルフォンスと遊んでたよ」
と、エラリー。
「レポートは?」
「知らないよ…」
はーあ、と椅子の背にもたれかかる。肩凝っちゃった。目も疲れるし。
「休憩する?」
「そうね…」
そういえば、セシルお兄様から頂いたものがあったわ。
「お茶にしましょ、ついでにシオンもとっ捕まえないと。いつもの場所かしら?」
「だと思うよ、あそこ日陰で涼しいんだよね」
だからわざわざ校舎裏で集まってたのね?
◇◇◇
「あの…フランソワ様、こちらでお間違いないでしょうか?」
ご紹介しておくわ。食堂勤務のリンダというの。厨房主任よ。セシルお兄様から頂いた、コーヒーを淹れて頂いたのだけれど。
「豆を砕いて、お湯を注いで、漉したのよね?」
「その通りですわ」
「なら、飲めるはずだけど…」
私も初めてなのよ、コーヒー。それでは、と全員にカップを置いてくれたわ。
で、コーヒーなんだけど。
「なにこれ、真っ黒」
「そうなんです、どうしてもこの色になってしまって」
リンダが恐縮しているわ。食材には詳しいのだけれど、コーヒーは初めてみたい。
「セシルお兄様のお勧めだし、毒ではないと思うけれど」
それでは、と全員に配膳してくれたのだけれど。
「げ!?」
アルフォンスが固まったわ。
「うぇ!? え、え、マジ!?」
今度はエラリー。どうしたのよ。
「も、もしかしてもしかしなくても!」
アルフォンスが珍しく焦るような早口だわ。
「これ、コーヒー!?」
「ええ、そうらしいわ」
「ひえええええええ!?」
「な、なによエラリー?」
「こ、これ、アリアでは超が付く貴重品なんだ! この一杯で銀貨1枚はするよ!?」
混乱しているエラリーの代わりに、アルフォンスが答えてくれたわ。
次の瞬間に、がしゃん、と激しい音が響いたわ。
先に飲んでいたマルタが白目になっていたの。ハンスも固まったわ。
「こ、これは飲むのに気合いがいるでぇ…!」
ニコラスがごくり、と生唾を飲み込んだの。
「そんなに高いの、これ」
真っ黒な液体を見つめる。味がまるで想像できないわ。
恐る恐る、一口含んでみる。
「え、なにこれ、苦いわよ」
「なぁ、フランソワ」
シオンが言ったわ。レポートもやらずに遊んでたのよ。
「なによ、シオン」
「見た目が泥水なんだけど」
「一回ビンタした方がいい?」
「やだ。ところでリンダさん、ミルクと砂糖、無いっすか?」
「ありますが…」
リンダが答えたわ。
「どういうこと?」
首を傾げる。
「いや、なんか昔に飲んだことがあるような?」
「はい?」
「うそ!? 実はシオンってお金持ちの家系!?」
エラリーが身を乗り出したの。
「違うってば。記憶違いかもしれないし」
シオンが首を横に振ったわ。その間に、リンダがミルクと砂糖を持ってきてくれたの。
シオンの真似をして、私もミルクと砂糖を加えてみる。ティースプーンでひと回し。
「あ、おいしい。ミルクコーヒー、ってところかしら」
「かも。うん、こんな味だった気がする」
「どこで飲んだのよ」
「かなり子供の頃、叔父に淹れてもらった記憶」
「叔父様がお金持ち?」
「普通の木こりだよ」
話がちぐはぐだわ。シオンの出身って山奥だったような。そんなところに高価な品が届くとも思えないわね。
「まぁ、いいわ。それよりシオン、レポートはどうなのよ?」
「全然できてない」
「全然じゃないでしょ。そもそも、精霊論だけならこの前私が教えた内容で網羅できてるはずよ」
「顕微鏡を使うんじゃねぇの?」
「精霊論は聖書から読み解く概念理論だから、顕微鏡はいらないのよ」
「じゃ、なんでフランソワは顕微鏡見てんのさ」
「精霊論を否定するためよ」
「否定?」
「そ、顕微鏡を使って、精霊ではなく原子が世界を満たしている、と証明したいの」
「原子って、超小さいやつ、だっけ」
「そうよ」
「じゃ、顕微鏡で見えるじゃんか」
「見えないから困ってるの。今、ブラウン運動というのを検討しててね」
説明してあげたわ、全部。ちゃんと研究室に来てくれたらこんな手間ないのに。もう。
「ということで、水の原子の存在を証明するには弱いのよ。水の精霊のお力である、と反論されたら答えようがないし」
はー、と手櫛で髪をかき上げたの。私の髪が陽光にきらめいて少し反射したわ。
「じゃあさ、水以外でやりゃいいじゃん」
シオンがコーヒーをゆっくりと飲んだわ。
「水以外って…」
カップを持つ手が固まったわ。
今、シオン、とても重要なことを。
「できる…はずね、いえ、そうじゃなくて…」
魔法の五大系統
水
炎
土
風
雷
「それだわ!!!」
思わず立ち上がったわ!
「みんな、お茶会はおしまい、すぐに研究室へ戻るわよ!」
「え、え、どういうこと?」
エラリーが困惑していたわ。
「つまり、水以外で再現すればいいのよ!」
「どういうこと!?」
「詳しくは研究室で説明するわ!」
今は一秒でももどかしいの!
その時なんだけど。
「ほっほ、研究は順調かの?」
如何にも好々爺、という感じの声が響いたの。反射で直立不動になったわ。
「が、学院長、いえ、学院長閣下。閣下のご尽力を賜り、研究は極めて順調に推移しておりますわ」
咄嗟のことでも腰を折ってちゃんと挨拶できちゃうのが悲しいわね。
公爵令嬢として、身に沁みついているのよ。
「ほっほ、精霊論への面白い反論を期待しておるよ」
「ご期待に沿えるよう、尽力致しますわ」
どうして学院長が精霊論の研究をご存じなのかしら?
「ところで、明日の準備はできておるかね?」
「明日?」
首を傾げて…忘れてたわ!!
「も、もちろんでございます、学院長閣下。光栄にもビアンカ皇王陛下がシオンへの拝謁をご所望とのこと。い、今まさに、明日の儀礼について最終確認を行っていたところですのよ、ほ、ほほほ…」
久しぶりに似合わない口調を使ったわね、私。
「聞いてな…イテッ!」
シオンの手の甲を思いっきり抓る。今は黙ってて!
「ほっほ、よろしう頼んだよ、フランソワ嬢。それから、グランド・ディベートの件は聞いておるかの?」
「グランド・ディベート?」
これは本当に知らないわ。他のみんなを見渡したけど、全員が首を横に振ったの。
「よい、よい。明日になれば正式な発表がなされるからの。めいっぱい励むのじゃぞ、皆の者!」
「はい!」
と答えると、満足げに学院長が去っていったわ。
「この師あってこの弟子じゃのぉ」
と、ぽつりと呟いたかれたことは聞かなかった事にした方がいいのかしら?




