第5話 フランソワ、顕微鏡に敗北する
今日の研究会は本当に楽しみなのよ! なにしろセドリック先生のとっておき、を使わせてもらえるんだもの! 今日の先生の講義も最高だったし、今日は絶対にいい日になるわね!
という時こそ、横槍が入るのよ。
「アレフが?」
講義室を出て、速攻で研究室へ行こうと思った時だったわ。学院のメイドが私を呼びに来たの。アレフがふらりと来るとは思えないから、きっとビアンカ絡みなのだろうけど、今日じゃなくたっていいじゃない。
「ごめんなさい、先に行っていて」
エラリーに声をかける。羨ましい! 私が一番に触りたかったのに! セドリック先生のことだし、そうね。「フランソワさん、飲み込みが早いわね」なんて言われたかった!
ともかく、迎賓館へと向かう。
元々は貴族の学校だからね、歓待の施設も完備してるのよ。正門の付近にある、白亜で漆喰の建物がそれよ。三階建てで、1階はフリーで使えるロビーホール、2階と3階は宿泊施設になっているわ。3階の一番奥は所謂スイートルームで、伯爵位以上でないと宿泊できないことになっているの。
「セシルお兄様!?」
セシルお兄様がいるのは想定外だったわ。軍務でいつも海の外にいるんだもの。私には兄が二人いるのだけれど、昔からセシルお兄様が大好きなの。もう一人の兄、ローランお兄様と違ってお小言は言わないし、無茶をやってもフォローしてくれるしね。
「や! 久しぶり、フランソワ!」
お互いにハグ。セシルお兄様、少し筋肉質になったみたい。
「お久しぶりですわ、お兄様! どうしてここに?」
「そりゃもちろん、可愛い妹に会いに来たのさ」
「可愛いなんて、もう、お兄様もお上手ね」
「そうそう、お土産もあるんだ」
お兄様が麻袋を取り出したわ。
「これは?」
「コーヒー、というんだ。飲むと目が冴えるんだぜ。でも、ほどほどにな。どうせ遅くまで研究してるんだろう?」
「嬉しい! ぜひ頂くわ。研究も忙しいの。私、今すっごく楽しくて! セドリック先生はお話がとってもわかりやすいし、優しいし。今、セドリック先生の研究室で一緒に研究しているのよ」
「フランソワは昔から勉強好きだったもんな。俺も鼻が高いよ」
「ふふ、もっと高くして差し上げますわ!」
「…そろそろ話していいか?」
あら。アレフのことを忘れていたわ。
伝統的なお茶会の準備が整って、紅茶とお茶菓子を囲んで三人で。なんだか久しぶりだわ。第一、セシルお兄様と会うのが一年ぶりくらいなんだもの。
「ビアンカからの要件なんだが、レモンソーダを追加で幾つか仕入れたい」
一息ついて、アレフが早速本題に入ったわ。
「もしかして、気に入ってくれた?」
「ああ、大いに」
「だと思った! 瓶詰ならまだあると聞いているわ。後で持ってくるわね」
「恩に着るよ。それから、もう一つ。来週、ビアンカの巡幸を予定してる」
「王立学院に?」
「そうだ。そこでお願いがあるんだが、シオンとやらに会わせてくれないだろうか? フランソワとは知り合い…なんだよな?」
「そうよ。多分、大丈夫だと思うけれど。来週のいつ?」
「木曜日を予定している」
丁度一週間後ね。
「分かったわ、縛り付けてでも連れてくるから、それは安心して」
「縛り付けて…?」
「あはは、フランソワ、進学して垢抜けしたんじゃないか?」
「そ、そんなことはありませんわ、お兄様! 彼は研究対象ですから」
「研究対象?」
「ええ、セドリック先生と魔力9999の謎を解いているところなの! ついでに、魔力とは何か、というところまで深掘りしているわ。今日は新しい道具を使わせてもらう予定で…」
そうだったわ。
「フランソワ、早く研究に戻りたいんだろう?」
「そ、それは…でも、セシルお兄様と次に会えるの、いつかわからないし」
「僕らなら今日は泊まりだから、行っておいで。夕食は久しぶりに水入らずでどうだい?」
「それは素敵なお話ね! それじゃあ、研究会が終わったらすぐに戻ってくるから、お兄様、それにアレフも、どうぞごゆっくり」
丁寧にお辞儀をして、早足に向かう事にしたわ。
「魔力の根源か…」
フランソワが立ち去った後、セシルがぽつり、と言った。
「どうした、セシル」
「我が妹ながら、危ない橋を渡るなぁと」
「ああ…だが、アリアにいる限りは大丈夫だろう?」
「そうでもないぜ。例えば、ロッサム教授とか」
ああ、とかアレフは深く頷いた。
ヨハネス=クリストフ・フォン・ロッサム・グリムワルド。
魔道真理学部の筆頭教授であり、ヤーヴェ教会の大司教も兼任している、筋金入りの保守派である。神学絶対主義で、自然哲理学部との諍いが絶えない人物でもあった。
「あの人は相変わらずだよ」
「やだなぁ…明日の面会、アレフだけで対応してくれよ」
明日はロッサム教授への面会も予定していたのだ。
もちろん、二人とも学生時代は色々な意味でお世話になった『恩師』ではある。
「お前がついてきたんだろ…諦めろ」
「はー、妹が可愛すぎるのも罪だよな」
セシルは観念したように嘆息した。
「お、やっと来た〜」
「遅くなったわ!」
入室すると、ニコラスが単眼の、望遠鏡を縦に置いたようなモノに瞳を押し付けていたわ。
これこそ秘密の道具、セドリック先生の顕微鏡よ!
構造は望遠鏡と同じみたい。セドリック先生の話では少し厄介らしいのだけど…。
「そういえば、先生は?」
「今日は用事があるとかで、早上がりしたよ」
「そんな!」
「あ、でも使い方は教わったから、バッチリ!」
その割にはマルタが真っ白に燃え尽きているのだけど。なんで?
「だーーーーーもーーーーーー!」
ニコラスが顔を上げたわ。
「あかん、わいの腕をもってしてもピントが合わん!」
どういう事!?
「フランソワもやってみる? あ、アタシは遠慮しとく〜」
「もちろん、今日はこのために来たんだもの!」
顕微鏡。書物では何度も読んで、ずっと憧れていた夢の機器なの! これがあれば100分の1ミリという未知の世界に踏み込めるのよ!
これを楽しみにせずに、何が自然哲理学生であろうかしら!
という事で、覗きこんだわけよ。
顕微鏡ってね、真鍮製の円柱にレンズを二つつけた代物なの。観察対象はステージ台という、薄く研磨した石の上に載せて、その対象を観察するのよ。ちなみに葉っぱの切れ端が載っていたわ。
なのだけれど。
「…真っ暗よ?」
「下に鏡があるでしょ?」
「これ?」
「それで光を集めるんだって」
だから窓際で覗き込んでいたのね。角度を調整。今度は明るくなったわ。なったのだけど。
「…なにこれ?」
度が合ってないメガネをかけたらこんな感じなのかしら? 緑色はわかるけれど、逆にいうとそれしかわからないわ。
「ピントを合わせるんだよ、円柱が二重になっているでしょ?」
エラリーに言われてよく見てみたら、確かに二重になっているわ。
「これを動かすのね?」
筒の部分をぐい、と押し込む。余計見えなくなったわ!
「なにこれ!?」
「はい、ピントが合うまで頑張って〜。あ、ちなみに今のところ、マルタがダウン、ニコラスが瀕死、あたしは戦略的撤退、要するに全滅で~す☆」
マルタが燃え尽きていたのはこれね!?
「燃えてきたわ! 私、勝負事は大好きよ!」
と、まぁ、頑張ったわ。私。
だってだって! ほんのちょーっぴり動かしただけで、視界の世界はぐわん、って変わるんだもの!
「100分の1ミリの世界だから、こっちの1ミリが100倍になるんだって〜」
「ま、負けないわ! シャルロイド公爵家の名にかけて!」
…結果は必要?
負けたわよ、普通に。




