第5話 フランソワ、顕微鏡に敗北する
「アレフが?」
メイドに呼び出されたの。
講義が終わって、今日もセドリック先生の研究室に行こうと思った時だったわ。
アレフとは幼馴染なのよ。でも、一人で来るとも思えないわね。
「ビアンカ絡みかしら。マルタ、先に行っていてくれる? 今日は先生の顕微鏡をお借りできる予定なの」
「へぇ、承知しやした」
マルタとエラリー、それにニコラスと別れたわ。
シオンはちゃんと来るのかしら。あの子、魔導真理学部だから普段は教室が違うのよね。
◇◇◇
一人で学院の迎賓館へ。元々貴族の育成機関だからね、施設は色々と整っているのよ。学外の人が来るときはたいてい、迎賓館で応対するわ。
一階にはホテルのロビーフロアみたいにソファーやら机が並んでいるの。その一角に、二人の男性がいたわ。
「あれ、セシルお兄様」
予想外の人物がいたわ。
「やぁ、フランソワ。学院生活は楽しんでいるかい?」
「思い切り楽しんでいるわ、ちょっと窮屈なところもあるけれど」
「窮屈?」
「食堂の衝立とか」
あー、とセシルが頭をかいた。
「俺らも下座だったな」
「俺が上座に入れなかったからな」
アレフが言ったわ。
「今なら入れるのにね」
アレフ、実は平民出身なの。今はロックバード伯爵家の養子になっているわ。ビアンカの傍仕えをするのに、平民だと都合が悪いからね。ビアンカとは乳母兄弟の関係よ。
給仕の方にお願いして、紅茶を用意してもらう。
「それにしても久しぶりね、お兄様」
「だなぁ。卒業以来、海にいる方が多いし」
「ノイエ・エーテル号の皆は元気?」
「元気が有り余っているくらいだな。あ、そうだ。フランソワにお土産があるんだよ」
「お土産?」
お兄様が麻袋に包まれたものを取り出したわ。空けてみる。
「なんだかいい香り。これは…?」
入っていたのは黒くなった豆っぽいやつよ。
「コーヒーだよ」
「これがコーヒーなの?」
話は聞いたことがあるの。南方大陸で採れる希少な食物らしいわ。
「お茶にするんだっけ」
質問すると、セシルお兄様がそうだよ、と頷いたわ。
「砕いてお湯を注いで濾せばOK。目がさえる効果があるらしいぜ」
「へぇ、研究の足しにしようかしら。ありがたく頂くわ。でも、どこで手に入れたの? アリアじゃ殆ど入ってこないでしょ」
「コンスタンだよ」
「コンスタン!?」
流石に驚いたわ。だって国交がないもの。
「どうしてまた…」
「色々、皇王様の無茶振りでさ」
「いつもの事じゃない」
「もう一つ、無茶振りがあるんだが」
アレフが言ったわ。
「ビアンカから依頼でもあるの?」
王家と公爵家で、年が近い女子同士だからね。当然私とも仲が良くて。だからビアンカのことは大抵分かるわ。向こうがお姉さんだけれど。
「巡幸したいんだと。シオンに会わせてくれないか?」
「別にいいけど。いつ来るの?」
「来週の木曜日だ」
「一週間後ね」
普通、こういうのってひと月前には連絡が来ると思うんだけど。ビアンカだから仕方ないか。
「どうせ暇しているだろうから、捕まえておくわ。興味があるのはシオンの魔力?」
「それと、漆黒の属性について」
「それは私も気にはなっているのよね。ちょっと調べてみたんだけど、あんまり記録が無くて」
「こちらも同じだよ。話だと、対象物を消去する魔法を使うんだって?」
「そうよ、魔力でも物質でも、なんでも消せるみたいね。でも、物理原則から考えてもありえないのよ。消えた質量はどこに消えているのかしら?」
「あまり詳しくはないんだが…質量が消えると都合が悪いのか?」
「質量保存の法則、っていうのがあるの。物質が消えたように見えても、形を変えて存在している、という概念よ。ほら、お水を沸かしても水蒸気になるだけで、全体の質量は変わらないのよ」
「難しいな?」
「今度教えてあげるわ。あら、セシルお兄様、どうしたの?」
「いや、フリーズしてた。フランソワはすごい子だなぁ」
「私、お兄様の魔法の方がすごいと思うけれど」
「いやいや、普通だよ。魔法と言えば、この前大活躍したんだって?」
「魔力制御装置の暴走事故のこと?」
「それ」
「そうだ、ビアンカ、それも気にしてた。あの装置、ビアンカが全力を出しても壊れなかったんだが」
「壊れた理由は分からないわ。シオンの魔力が無尽蔵だからじゃない?」
「無尽蔵?」
セシルお兄様が眉をひそめたわ。
「だって、9999って測定器の上限じゃない。あの子、詠唱も無しにバカスカ魔法を使うんだもの。この前のボヤ騒ぎだって、シオンが火を消したのよ。消火と言うよりは、『火という現象そのものを無かったことにした』ように見えたけれど…。肝心の本人が自覚無しなのよね。いずれ解明してみたいわ」
「相変わらず研究熱心だねぇ」
セシルが感心する。
「そりゃね、性分だもの。ともかく、来週の件はわかったわ。シオンに伝えとく!」
「忙しいの?」
「これから研究なのよ、シオンったらロッサム教授に雷を落とされたみたいで、精霊論についてのレポート、手伝ってあげるの」
「仲良すぎじゃない? お兄さん心配だぞ」
「同級生よ、お兄様。それじゃ、またね」
◇◇◇
「なぁ、アレフ」
フランソワが去った後に、セシルが言った。
「どうしたんだよ」
「もしかして、ロッサム教授、機嫌悪いんじゃね?」
「俺たちも目を付けられていたしな…」
「やだなぁ。巡幸の件、学院長だけにこそっと伝えて帰ろうぜ」
「そうもいかないだろ」
アレフが諦めたように立ち上がった。
「それこそ、伝えない方が厄介だぜ。あの人、王族だろうが学生に容赦しないし」
「そこは一貫してるんだよな」
セシルも同じく立ち上がる。
「というかさ」
「どうした?」
「俺、フランソワに会いに来ただけなんだけど。お前ひとりで行けよ」
「分かってるだろ」
アレフがセシルの肩に手を置いた。
「俺一人じゃきつい、ロッサム教授は」
◇◇◇
「お待たせ、調子はどう?」
そう言ってセドリック先生の研究室に入ったのだけれど。
死屍累々だったわ。
「なんで?」
「無理」
シオンがダウンしてたわ。ちゃんと来たのね。
先生はご不在みたい。マルタも椅子で真っ白に燃え尽きていたわ。
「いやねぇ」
エラリーが肩をすくめたの。
「ちょっと、苦戦してて?」
「何によ。そんなに難しい器械なの?」
実は私も使ったことがないのよね。
「いんや、使い方はバッチリ教わったんだけどね?」
エラリーにしては歯切れが悪いわ。一人、ニコラスだけが格闘していたの。望遠鏡を縦にしたような円柱のものが顕微鏡みたい。筒を上げたり、下げたり、また戻したり…。なにしてるの。
「だーーーーーもーーーーーー!」
ニコラスが顔を上げたわ。
「あかん、わいの腕をもってしてもピントが合わん!」
どういう事!?
「フランソワもやってみる? アタシは遠慮しとく〜」
「やるって、望遠鏡と同じじゃないの?」
言われて、覗きこんでみたわ。
「…真っ暗だけど?」
「下に鏡があるでしょ?」
エラリーが解説してくれたわ。
「これ?」
「先生の話だと、それで光を集めるんだって」
だから窓際で覗き込んでいたのね。角度を調整。今度は明るくなったわ。なったのだけど。
「見えないけど?」
度が合ってないメガネをかけたらこんな感じなのかしら?
ステージ台にある緑色は、薄く切った葉っぱかしら。緑色は分かるのだけれど、逆にいうとそれしかわからないわ。
「ピントを合わせるんだよ、円柱が二重になっているでしょ?」
一度接眼レンズから目を離す。たしかに、二重になっているわ。
「これを動かすのね?」
筒の部分をぐい、と押し込む。
どう変わるのかしら…余計見えなくなったわ!?
「なにこれ!?」
「はい、ピントが合うまで頑張って〜。あ、ちなみに今のところ、マルタとシオンがダウン、ニコラスが瀕死、あたしは戦略的撤退、要するに全滅で~す☆」
そういうことね!?
「燃えてきたわ! 私、勝負事は大好きよ!」
と、まぁ、頑張ったわ。私。
だってだって! ほんのちょーっぴり動かしただけで、視界の世界はぐわん、って変わるんだもの!
「百分の一ミリの世界だから、こっちの一ミリが百倍になるんだって〜」
「ま、負けないわ! シャルロイド公爵家の名にかけて!」
…結果は必要?
負けたわよ、普通に。




