第4話 ミルドガルド大陸について
一方、アリア王宮では、アレフが忙しなく活動していた。
一口に『皇王の巡幸』と言っても、一般人の外出ではないのだ。ふらりと訪問できるはずもなく、関係各所との事前調整はそれはそれは多岐に渡る。
そもそも随行員の選定や護衛計画だけで稟議書が必要であるし、第一にびったりと埋まっているビアンカのスケジュールをこじ開ける必要がある。
ひとまず軍務卿の決裁を得て、次の稟議先へ向かおうと思っていたところなのだが。
「よっ! 久しぶりだな、アレフ!」
廊下で声をかけてきた青年がいた。おお、とアレフが笑顔になる。
「セシル、セシルじゃないか! 戻っていたのか?」
「ああ、ちょっと報告事項があってさ。昨晩戻ったところさ」
「コンスタン方面だったか」
「その通りさ」
爽やかにウインクした青年はセシル・アリエル・ド・シャルロイド。シャルロイド公爵家の次男であり、フランソワの兄である。
アレフとは王立学院時代に同学年であり、学生評議会のメンバーとして活躍した仲であるのだが、彼らとビアンカ皇王を含めた3名には、その学生時代(ビアンカの即位前)に伝説とも言える逸話を残していた。
俗にいう、暴走皇女の海賊退治事件である。
きっかけはなんてことはない。ある漁師からの直訴状であった。
「近年海賊が跋扈し、安心して漁ができない。何とかしてほしい」
と。
通常なら海軍を動かして対策に当たるところ…なのだが。
「面白そうじゃない! 丁度暇していたのよね」
というビアンカの面白半分のノリで、漁船をチャーターし、現れた海賊船に対してビアンカが得意の雷魔法をぶっ放し、仰天して逃げ出そうとした海賊船はセシルの水魔法でその動きを留められ、最後はアレフを突撃隊長に3人で切り込み、30人の海賊船をものの一時間で占領してしまったのである。
もちろん、それだけでは終わらない。
「本拠地を吐くか、ここでサメのエサになるか、どっちがいい?」
誤解が無いように伝えておくが、これは海賊のセリフではなくビアンカの発言である。
震えあがった海賊どもは自ら船を指揮して(ビアンカは徴発したキャプテン帽を得意げに被っていた)、本拠地である離島に突撃。やはり3人で親玉含む100名ほどを一網打尽にしてしまったのである。
もう一度述べる。
3人で一大海賊団を壊滅させたのだ。
最後には筋骨隆々、泣く子も黙る海賊団の親玉、バルトロメが半泣きで土下座して詫びたというから…その凄まじさは想像に難くない。もちろん財宝は全部没収、あとは残された海賊どもなのだが。
「このまま放置したら、また海賊になるか山賊になるだけでしょ。セシル、世話を頼んだわ!」
「はい!?」
これまた軽いノリで、海賊船を改装し、ノイエ・エーテル号と名を改め、海賊団をそのまま船員にして(乗り切れなかった海賊はアリアの港湾労働者として徴発した)、『特務艦』という尤もらしい立場を与えて、一応第三艦隊(遊撃艦隊)に所属させた…。
というのが、今のセシルの立場である。
もちろん庶民がそんな面白い話を放っておくわけが無く、タブロイド紙やら劇場やらで散々に広められることになるのだが、定番の肩書を参考程度に記載しておこう。
略奪皇女ビアンカ、海域の魔王セシル、鉄血の番犬アレフ。
であった。なぜアレフだけ犬扱いなのかは不明である。
閑話休題。
「で、お前がここに来る、という事は何かあったんだな?」
「その通り。ビアンカ、空いてるかな?」
「そろそろ政務が終わるはずだ。私室でいいよな」
「もちろん。そうだ、コンスタンで仕入れたコーヒー、とか言う飲み物があるけど、飲む?」
「そういうの、アイツ大好きだから」
「ちょーっと苦いけど、深い味ね! アタシは嫌いじゃないわ!」
「砂糖か何かないか?」
「何よアレフ、これの味が分からないの?」
「俺は常識人なんだよ!」
「何言ってんの、鉄血の番犬が」
「そのあだ名さ、俺だけ酷くない? なんで犬なの?」
「アレフらしいじゃない、極めて!」
と、アレフが砂糖を溶かしている間に。
「で、アタシに会いに来た、ってことは何か報告があるんでしょ?」
「その通り! 流石皇女陛下はわかってらっしゃる!」
「…わざとだと思うけど、今は皇王だからな」
「アレフ、お前王宮勤めで固くなった?」
「文句は義父に言ってくれ」
補足すると、アレフは近衛騎士に登用されるにあたり、ロックバード伯爵家の養子となっていた。元々は平民である。
「あー、ロックバード卿! お堅いの塊だからな!」
「お前の兄も似たようなもんだろ」
「それは良いから、いい話? それとも悪い話?」
ビアンカが身を乗り出した。
「両方あるよ、どっちから行く?」
「当然、いい話よね!」
「それじゃ、コンスタン王国から。コンスタン王と面談できた」
「素晴らしいわ! で、どんな反応?」
「好感触。割と危機感を持っていたよ」
「やはり、ビザンティオン王国が?」
「その通り」
ここで一度、国際関係を整理しておこうと思う。
ミルドガルド大陸は大まかに二つの勢力が支配している。
簡単に言うと宗教で分かれており、西側がヤーヴェ教、東側がルグ教、とそれぞれ別の宗教を信奉しているのだ。双方にイデオロギーの対立が強く、西と東はまともな国交も無いほど冷え切った関係である。
まず、西側の二か国。シルバ教国とフィヨルド王国であり、一般的に『ヤーヴェ教国』と言われている。シルバ教国は宗教国家であり、教皇が政治のトップも兼任するという体制である。
一方、フィヨルド王国は幕藩が乱立する封建制度を採用していた
ここで複雑であるのがアリア皇国の立ち位置である。
元々はアリアもヤーヴェ教を国教指定していたのだが、およそ百年前のレオナード皇王時代にヤーヴェ教皇との対立があり、アリア王室は永久的な破門認定をされているのだ。
その対抗措置としてアリア皇国ではヤーヴェ教の国境指定を解除。十数年ほど冷え切った関係が続いたのだが、同じころ勃興した大航海時代と、それに伴う経済発展の余波を受けてアリア皇国は名実ともにに自立、逆にアリアの交易品を求めていたシルバ教国が音を上げて国交を再開、一応『西側諸国』として数えられていた。
一方、東側も同じく三か国が存在する。
最大の版図と人口を持つ、盟主ビザンティオン王国。
穀物生産豊富なグレキア王国。
そして、ミルドガルド大陸から突き出た半島に位置するコンスタン王国であった。
ただし、西側諸国と同様に、決して一枚岩というわけではない。
特にグレキア王国とコンスタン王国の関係は複雑で、三百年前のコンスタン地方はグレキア王国の一地方に過ぎなかったのだ。
その後幾度の戦争を挟み、独立を果たしたのであるが…。
「コンスタンは経済が思わしくなくてさ。特に穀物輸入に不安があるらしいぜ」
地形は山がちで耕作面積が限られるコンスタン地方は人口も少なく、そして穀物生産も低い。国家としては致命的であるが、それでも独立を維持できていたのは、その山岳地帯と三方を海に囲まれている、という地形的な要因が防御に極めて有利であったためだ。
「コンスタンとの国交樹立は最優先で行いたいわ」
ビアンカが目を付けているのは主に二つである。
一つ目は東側に橋頭保を築けること。東側のルートは完全に塞がれているが、一か国でも開くことができれば単純に貿易収支で稼げる、ということ。
もう一つは防衛上の問題である。地中海は東側へ深く伸びているが、その防波堤となる位置に存在するのがコンスタン王国であった。コンスタン海域が平穏化すれば、東側の大帝国…ペルシア、テンジク、シンといった国との交易がさらに容易になる、という計算である。
「コンスタンもグレキア以外の穀物仕入れ先を欲しがっていてね。渡りに船ではあるんだよ。ただ、ここで悪い話なんだけど…」
「となると、ビザンティオン王国かしら?」
「その通り、皇女陛下は…(以下略)」
「グレキアが破綻しそう?」
「紙幣、ってわかるかな?」
「紙切れに貨幣価値を与えるシステムよね。興味はあるけれど、アリアは金銀経済に慣れすぎちゃって。当面は導入が難しいと思うわ」
「そ、紙である以上、信用をどこで担保するのか、その価値は誰が証明するのか、という問題があるだろ。
それをビザンティオンは国家の保証と、ルグ教の信用で乗り切ったらしい。そこまでは良いんだけれど、最近グレキアが紙幣経済に飲み込まれてさ」
「というと…グレキア国内でビザンティオン紙幣が通用する、ということか」
恐る恐る一口めのコーヒーを飲んだアレフが言った。
砂糖を入れると程よく中和されて、寧ろ後味の苦みが心地よくも感じる。
「アレフの言う通りだけれど、実態はもっと悲惨だね。グレキアの市場じゃ、自国の硬貨よりビザンティオンの紙切れの方が信用される始末だよ。となると大変だ。国の経済が実質的にビザンティオン王国に飲み込まれた形になっている。噂では、ビザンティオン王国が官僚の派遣を始めたらしい」
「実質的な併合に持っていくつもりでしょね」
「そういう事。となると、コンスタン王国の独立も怪しくなるわけで」
「ビザンティオンとグレキアを合わせたら、そうね、9対1くらいの国力差になるかしら」
「コンスタンとしてはその瞬間にビザンティオン併合が確定したようなものだろ? とはいえ、東側には頼れるものがいない。ヤーヴェ教国とはもっての他。ペルシャやテンジクは遠すぎる。新大陸へアクセスできる航海技術もない。となると」
「アリアしか選択肢がない、が正解ね」
「そういう事。だから、国交樹立自体はできると思うけれど」
「コンスタン防衛まで背負うのは酷ね」
「アリア単体なら、どうにでもなるんだけどさ。海軍で敵う国はまぁ当面、出てこないと思うし」
「陸軍防衛は不得意よね。海上からの輸送支援、あるいは援護射撃くらいかしら?」
「だろうね」
「それで、ビザンティオンの目的は? 大陸再統一?」
「それもオプションにはあると思うよ。メルカドは支配されたままだし」
メルカド。
一般的には聖地メルカド、と呼ばれている。ヤーヴェ教の教祖が降り立った場所である。ただ、ここも複雑な問題を抱えていた。
東側のルグ教も『聖地』として認定しているのである。
シルバ教国とビザンティオン王国の間で、過去に何度か所有権の争いがあったのだが、現在はビザンティオン王国の実質的な支配下に置かれている宗教都市である。
「ちなみに、もう一つ噂だけれど」
セシルが声を潜めた。
「フィヨルド王国の一部の幕藩に、ビザンティオンの資金が入っているという話だよ」




